第10話
──時間は少々遡る。
今はまだ、ルーチェが混乱の渦に叩き込まれる前の時刻。
これから遠くない未来、阿鼻叫喚と化すなどとは微塵も思っていない街の人々は、表通りでのんびりと買い物を楽しんだりお喋りに興じたり、皆各々の時間を満喫していた。
勿論それは、街の片隅で女の子と仲良く会話に花を咲かせているシグニスも同じ事。
彼の元からいる知り合いなのか、それとも街を歩いている所彼が目を付けて声をかけたのか、それは分からないが。
「…でさー、そうなったワケよ。おかしな話だろ?」
「ふふっ、何よソレー」
「あ、これからどっか行く? 何か食いにでも行くかー?」
「そうねぇ…あ、シグニスってテンプルナイトなんでしょ?」
「ん? まぁな。これでも日夜街の平和の為に命張ってるんだぜ~? …なーんてな」
突如女の子からそう聞かれ、へらりと笑い飛ばしつつ軽口でそう返すシグニス。
すると、女の子は少し躊躇いがちにシグニスを上目使いで見上げる。
「あの…それなら一つお願いしたい事があるんだけど…」
「オレに? 勿論君の為ならどんな事でもしちゃうよ~?」
パッと顔を輝かせながら二つ返事で了承するシグニス。
しかし、こんな軽く調子で承諾された所で、どうにもまともに対応してくれるようには見えないが。
すると、女の子はおずおずとこう切り出した。
「私と一緒に、うちに来てくれない?」
◆◇◆
「…此処が私の家よ」
「へぇ~此処がか。そんじゃま、お邪魔しようかな」
女の子に連れられやってきたのは彼女の自宅。
案内されるがままに家へと招き入れられたシグニスは、ポケットに手を突っ込みながら興味深く室内へと視線をずらす。
室内をぐるりと見渡した後、視線は再び女の子の方へと。
「…にしても、アニスちゃんがうちに来てほしいって言うもんだから随分積極的だな~って期待してたのになぁ」
「ふふ、ごめんなさいね。そういう意味があって言ったんじゃないのよ。…こっちよ」
アニスと呼ばれた女の子はくすっと悪戯っぽく微笑むと、シグニスを手招きしながら廊下を通りとある扉の前まで彼を誘導する。
扉をノックした後、ゆっくりと扉を開いて室内へと足を踏み入れた。
「…あ、お姉ちゃんお帰り」
「ただいま…ルアン」
室内から聞こえてきたのは、ゆったりとした、何処かか細い少年の声。
部屋は小奇麗に片づけられており、ベッドの周りに身の回りの物があれこれ置かれている事からこの部屋の主がベッドを中心に暮らしているのは容易に推測できる。
そして、ベッドに横たわりうっすら微笑みを浮かべるのは色白の少年であった。
顔色は悪く透き通るような白い肌、そして折れてしまいそうなほどの華奢な体型。
恐らく病弱な体質なのだろう。
「お姉ちゃん…後ろの人は?」
「ええ、シグニスさんって言うの。テンプルナイトだそうよ。ルアン、前に言ってたでしょう? テンプルナイトと一度会ってみたいって」
「え…? じゃあ、わざわざ僕の為に…?」
「おう、君がルアン君か。可愛いお姉さんの頼みなら、オレも無下には出来なくてねぇ」
ニッと爽やかな笑みを浮かべつつ、軽い調子で答えるシグニス。
そのままずかずかと遠慮なく室内へと足を踏み入れれば、ベッド傍の椅子にどっかり座り込んだ。
「お兄さん、テンプルナイトなの?」
「ああそうさ、街の平和の為に日々頑張ってるんだぜ~ってな」
「わぁ凄い…! 格好いいな~、僕もいつかテンプルナイトになるんだ!」
シグニスがテンプルナイトとして日々街の平和の為に頑張っているのかどうかは些か疑問が残る所ではあるが、ルアンと呼ばれた少年は素直にシグニスの言葉を信用したらしい。
キラキラと目を輝かせるその姿は、シグニスに憧憬の念を抱いているのだろう。
「ねぇねぇ、やっぱりお兄さんも強いんでしょ?」
「まぁな。やっぱ強い男ってのは女の子にもモテるし鍛えて損はねぇな」
強くなるポイントが何処かズレている気がしなくもないが、その辺りは深く追求しないでおこう。
一方、ルアンはそういった細かい事は全く気にする素振りも無く、相変わらず憧れの眼差しを向けるばかり。
「何だ、君もテンプルナイトになりたいのか?」
「うんっ、いつか僕もなりたいんだ!」
「そっかー、じゃあ頑張れよ」
ニカッと爽やかな笑みを浮かべつつ、ルアンの頭をくしゃっと無造作に撫でるシグニス。
しかし、激励の言葉を貰ったにも関わらず、ルアンの表情は何処か憂いを秘めていて。
「でも…僕は無理だよ、こんな身体じゃ……げほっ、げほっ!」
「……! ルアン! 大丈夫、無理はしないで!」
突如咳き込むルアンの元へと鉄砲玉のように駆け込んだアニスは、心配そうに眉尻を下げルアンの顔を覗き込む。
ルアンは姉に心配かけまいと作り笑いを浮かべようとするが、そんな体力も気力も今の彼には持ち合わせていないようだった。
「だ、大丈夫、だから…」
「何処が大丈夫なのよ! いいから寝てなさい」
アニスは半ば無理矢理ルアンをベッドに寝かせると、肺の奥に溜まった息を吐き出す。
一連の出来事をただ傍観するしかなかったシグニスは、心配そうな眼差しを2人に注いだ。
「アニスちゃん、君の弟どっか身体悪いのか?」
「ええ…昔から病弱であまり外にも出られないの。でも、テンプルナイトに昔から憧れてて…だから、貴方に会わせたいって思って…」
「…成程。いつか…良くなるといいな」
「ありがとう…。ごめんなさい、ルアンを暫く休ませてあげたいから…」
慰めの言葉にアニスは小さく微笑むものの、部屋に人がいるとルアンもゆっくり休めないと思ったのか暗にシグニスに部屋を出るよう促すアニス。
すぐさまそれを察したのか、シグニスはコクリと頷いてから部屋を立ち去ろうとした…のだが。
「騎士さん…待って、ちょっと話したい事があるんだ…」




