第2話
そこで再び場所は聖堂へと移る。
結界の強さが増した事を何となく肌で感じ取った聖女は、ホッと安堵の息を吐くように緊迫していた表情を和らげた。
…と同時に、役目も終えたのかいつの間にか舞うのも止めていた。
「これで結界は以前のような輝きを取り戻した筈ですわ。当分の間は、外部の脅威を退ける事が出来るでしょう」
そう言い放つ聖女の顔つきには、達成感と安堵に満ち溢れていた。
──この街ルーチェでは“聖女”と呼ばれる存在がおり、彼女は街でもあまり公にはされていない人物。
人目に出る事も稀な為、街の間ではその秘匿性も相まって神秘的な印象を持たれている。
聖堂で身を隠すようにひっそりと暮らす聖女はこの街では絶大な役割を課せられており、いなければそれこそ街の存亡にも関わる。
聖女の主な役割としては、先程行った結界の儀式であろう。
この土地は元来から魔物など人間にとっては脅威と成りうる存在が多く蔓延っており、太古から人間達はそれらに虐げられ続けていた。
しかし何時からか大地に根を張りぐんぐんと成長を始めた神樹が魔を退ける結界を創り上げ、以来人々は神樹の恩恵にあやかりその周囲に街を形成したのだ。
けれど、それも長くは続かない。
時の流れと共に、結界が弱まってきたのだ。
このままでは結界が破られてしまう、そうならばこの安寧の日々が──人々は再び不安に晒されてしまう。
そこで突如現れたのが、神樹と力を通わせ強い魔力を保持する人物が現れたのだ。
その人物は結界に再び強い効力を与え、脅威を街から退ける事に成功した。
人々はその人物を崇め奉り、以来強い魔力を持つ者をこう呼ぶようになった。
──聖女、と。
長い時を経てそれは結界の儀式と呼ばれるようになり、聖女は舞を舞う事で神樹からエネルギーを集め、自身の魔力を放出する事で弱まった結界を元に戻すのだ。
そして、現役の聖女は歴代のどの聖女よりも強く、そして美しく舞った。
「それにしても…今回は儀式をやるまでの期間が短かったですわね。この前は、もっと時間を置いていても平気だった筈……っ」
訝しげにふと疑問を漏らした聖女であるが、不意に強烈な虚脱感と目眩を覚え、視界にシャッターが下りたように真っ白になってしまう。
床に立っているという感覚さえおぼろげで、気が付けばその場にへたり込んでしまった。
「聖女様っ!? 大丈夫ですか!?」
「え、ええ…大丈夫ですわ。お気になさらないで下さいまし。迷惑をかけてしまって申し訳御座いません」
すぐさま司祭の何人かが彼女の傍に駆け寄れば、気丈に振る舞う聖女。
しかし彼女の顔色は真っ青で血の気が完全にひいており、彼女が強がっている事は最早明白。
「しかし、ご無理をなさっては…」
「わたくしの事は気になさらないで。皆様に迷惑はかけたくありませんし…それに、街の人々が平和に暮らす為ですもの、このくらい何ともありませんわ」
健気に微笑む聖女の姿を目の当たりにして、『なんて慈悲深い女性なのだろう』と感銘を受ける司祭達。
司祭達の手を借りて何とか立ち上がった所で、枢機卿の1人が彼女の傍に歩み寄った。
「聖女殿、御苦労様であったな。これで結界は暫く大丈夫であろう…貴方は下がって構わぬぞ」
ローブを着込んだ枢機卿は威厳さえ感じさせる佇まいで、年老いてはいるもののその眼光に衰えは全く感じられず。
すると、聖女も流石に体力の限界だったのか、力なく小さく頷いて見せた。
「ええ、それではお言葉に甘えて失礼致しますわ」
その場にいる一同に会釈をすると、聖女はその場を後にした。
◆◇◆
──ガキィィン!
金属が激しくぶつかり合う、耳障りな音が辺りに響き渡る。
その音はあちらこちらから上がり、他にも地面を蹴り上げる靴音、気合を入れる為に放たれた雄叫び。
何故こんな物騒な音が絶えず交差しているのか──答えは明白、此処が教会所属の騎士達、所謂テンプルナイトの訓練場だからだ。
騎士達が各々の腕を磨いている中、その一角で同僚の騎士と手合せをしている1人の騎士の姿があった。
腰の下までの長い髪は無造作に伸ばしているだけなのか毛先は外側に跳ね、しかも髪色は薄い水色だというのに毛先だけ青紫色という変わった髪色を持つ人物。
さらに、騎士にしておくには勿体ない程整った顔立ちをしており、男らしい精悍な顔立ちというよりも、何処か線が細く中性的な美貌を持ち合わせているという印象を受ける。
しかし今は手合せの最中、艶やかな長い睫毛の奥に潜む双眸は射抜くような鋭さを放っていた。
互いに武器を構えてほんの一瞬の斬りかかるタイミングを見計らう。
相手が僅かな隙を見せた時──それを見逃す訳には行かない。
最初に動いたのは長髪の騎士の方。僅かにガードが下がったのを相手の騎士は目敏く見抜き、一気に地面を踏み込んで距離を詰める。
刃を翻して一気に手にした剣を振り下ろした。
…が、その剣は空しく空を切り裂くばかり。
それもその筈、長髪の騎士は身体を僅かに横にずらす事で難なく己に襲い掛かる凶器を退けてみせたのだ。
さらに腰を低く構えて手にした剣に力を込める。刹那、まるで迅雷の如き速さで刃を振り上げれば、それは相手の騎士の剣を易々と弾き飛ばした。
手から離れた剣は重力に従って緩やかなカーブを描いて最終的には床に突き刺さる。
「くっ…俺の負け、だな…」
「…そのようだな」
「…なぁ、一つ聞いてもいいか。さっき、僅かにガードを下げたの…あれ、わざとだったのか」
「ああ。隙を誘えば必ずそこから斬り込んでくると思ったからな。あんなに上手くいくとは思わなかったが」
悔しそうに唇を噛み締めてその場に片膝をつく騎士とは対照的に、そんな騎士を涼やかな眼差しで見下ろしながらゆっくりと剣を鞘に収める長髪の騎士。
眉一つ動かさないその立ち振る舞いにさらに悔しさが込み上げてきたのか、負けた騎士は苦々しい表情を浮かべた。
「くそっ、また負けたか…。何故だ、俺には何が足りないって言うんだ」
「そんな事、俺に聞かれても困る。自分で考える事だ」
切り捨てるようにそれだけ言い放つと、ふと壁にかけられた時計へと目を移す。
「もうこんな時間か。…さてと、少し休憩するか。じゃあ、俺はこの辺で失礼する」
長髪の騎士はそう言い残すなり、踵を返すと軽やかな足取りでその場から立ち去った。
◆◇◆
「……ふぅ、流石に少し疲れましたわ…」
1人大聖堂から抜けた聖女の顔には明らかな疲労の色が浮かぶ。
それでも気怠い身体を何とか奮い立たせながら、彼女は自室へと向かう。
だだっ広い廊下を暫く歩いていると、丁度曲がり角に差し掛かる。
しかし、疲労の為に集中力が散漫になっていた彼女は曲がり角の向こうから人がやってきている事に全く気付けずにいた。
そのまま曲がり角を曲がろうとした所で、鉢合わせと云う形で向こうからやってきた人物とあわやぶつかりそうになってしまった。
すんでの所でぶつからずに済んだのは、向こうから来た人物が聖女の存在を察知して瞬時に足を止めたからだろう。
「きゃっ!? 申し訳ありませんわ、わたくしったらぼんやりしていたもので…」
「…いや、俺の方こそもう少し早く気づいていれば…」
曲がり角の先から姿を現したのは、先程の長髪の騎士。
2人は反射的に弁解の言葉を発した後、互いに顔を見合わせた…のだが。
互いの眼差しがぶつかった瞬間、2人はその場に硬直した。
『……あ』