第5話
一方、ミトネが自分の方へ歩み寄ってきている事に気づいた男の子は、さらに警戒の色を濃くすると不安そうに瞳を揺らす。
ミトネも彼の警戒心に気づいたのか、何とかそれを解いて貰おうとふんわりと優しげな笑みを浮かべながら目線を合わせようとその場にしゃがみ込んだ。
「どうしたのかしら? そんなに怯えなくても大丈夫ですわよ? わたくしが誰だか分かりますか?」
ミトネに一つの仮説が浮かんでいる為、男の子と目線を合わせながら努めて優しく接しつつもそう問いかける。
すると、男の子はおずおずとミトネの顔を見上げてから、不思議そうに首を傾げてみせた。
「ううん…分かんない」
「あら、そうですの。……、お母さんやお父さんはどちらにいらっしゃいますか?」
「分かんない…おかあさんとおとうさんって、だれ…?」
両親とはぐれた、とか迷子、といった類ではなく、父親や母親の存在そのものを知らないような口振り。
すぐさま男の子の言葉の裏に隠された真意を汲み取ったミトネは、途端に表情を曇らせる。
そうこうしていると、2人のやり取りに興味を示したのかユトナがそちらへ歩み寄ってきた。
「なぁおい、このガキ何処の誰なんだよ? 迷子か?」
「それが…よく分からなくて困っているんですの。そういえば、貴方と一緒にソルも此処に居たんですのよね?」
「へ? あ、あぁそうだけど」
「成程、分かりましたわ」
ユトナの返答を聞いて何か確信を持ったらしく、ミトネは再び男の子へと向き直った。
「自分の名前、言えるかしら?」
「えっと…あの、ソルマ…」
──ああ、やっぱりそうか。
確信を得ると同時にずっしりと胃が重くなるのを感じるミトネをよそに、ユトナが驚愕の声を上げた。
「はああぁぁ!? 何でこのちっこいガキがソルマなんだよ!?」
「理由は分かりませんが、この子はソルで間違いないと思いますわ。本人が名乗ったのが一番の理由ですけれど…わたくし、この子に見覚えがありましたから。幼い頃のソルにそっくりですわ」
胃痛に続き頭痛まで覚えたのかげんなりした様子で頭を抱えるミトネの視界の隅にふと映り込むソルマの姿。
その姿は、ずっと昔に一緒に過酷な毎日を乗り越えていった幼馴染の姿そのものであった。
胸の奥から、じんわりと懐かしさに似た感情が込み上げる。
「けどさー、そんなら何で聖女サマの事知らねーんだ? 自分も何で此処にいんのか分かってねーみたいだし」
「それも、あくまで推測に過ぎませんが…一時的に記憶を失った上に幼児退行しているのでしょう。何にせよ、由々しき事態ですわ」
ミトネは自分の仮説を口にしてから、人知れず溜息を零す。
自分で言っておきながら、何という事態に巻き込まれてしまったのかと内心げんなりしているのだろう。
「何にせよ、こんな状態のソルを放っては置けませんし、一体街で何が起こっているのか調べる必要もありそうですわね。でも、今はロゼルタ様の身の安全の確保が最優先ですわね」
「それでしたら、一旦教会の方に戻りましょうか」
「うぉっ!? 何だよこっち来てたのかよ脅かすなよ」
不意にすぐ傍から聞こえたロゼルタの声に、過剰なまでに肩を揺らして驚愕の表情を浮かべるユトナ。
無論、ロゼルタの体調が一気に回復した訳ではなく、キーゼに肩を貸して貰って漸くゆっくりとした足取りではあるが進めるといった程度だ。
「そんなに驚く事でもないでしょう、人を幽霊か怪物扱いしないで貰いたいですね」
「オマエに比べりゃユーレイとかの方がよっぽど可愛いっつの。まぁ確かに、此処に居てもしょーがねーもんな。街の様子も気になるしよ」
「だなー、ガチでさっぱり状況掴めなくてワケワカメだけどな」
ユトナの言葉に続くように、キーゼもこくこくと頷いて見せる。
一同の顔をぐるりと見渡してから、ミトネが満足げにこう言い放った。
「…では、決まりですわね。それでは参りましょうか。…さぁ、貴方も一緒にわたくし達と行きましょう?」
最後にソルマに向き直ると、再び目線を合わせてにっこりとまさに聖女の微笑みを浮かべるミトネ。
しかし、今のソルマにとってはミトネだけならず周りにいる大人全てが見ず知らずの他人にしか見えないのだろう、不安そうに瞳を揺らしながらいやいやと首を横に振った。
「ど、どこに行くの…? やだ、ぼく行きたくない…」
「あら、怖いんですの? 大丈夫ですわよ、怖い所になんて連れて行きませんから。それに、此処に居るお兄さん達も皆優しいですわよ」
「ほ、本当に…? 怖いことしない…?」
「勿論ですわ。それに、此処で独りぼっちになるよりは全然怖くないでしょう?」
「……! や、やだ…1人は怖いもん…」
「それなら決まりですわね。怖いなら、お姉さんが一緒に手を繋いであげますから」
「うん、お姉ちゃんありがとう」
漸くミトネに対して警戒心を解いたのか、にこっと笑顔を浮かべてからおずおずと躊躇いがちにミトネと手を繋ぐソルマ。
一方、ミトネはやっと多少は自分に懐いてくれた事に内心ホッと安堵の息を吐きつつ、手を繋がれればふんわりと穏やかな笑みを零した。