一 バカと天才は紙一重
生まれながらにして天才、などという人間は存在しない。図らずも、天は人の上に人をつくらず、といった言葉の通りである。日本史上でも屈指の有名人である福沢諭吉先生は、そう言った。序文を要約して説明する。
〝「天は人の上に人をつくらず」って言葉がある。人は生まれながらにして貴賎の差はないけど、世の中を見渡せば、金持ちも貧乏人もいるよね。その違いはなにかっていうと学の違いなんですよ。よく学んだ人は困難な仕事を与えられてお偉いさんになれるけど、学ばなかった人は簡単な仕事ばかりで偉い人にこき使われる立場になるんです。このようにして富の差が開いていく〟と。
要約の仕方は個人によって変わる。文句を言ってもらっても構わない。
いやぁ、まぁ、しかし。生まれながらにして貴賎が定まらないというのは、かの福沢翁の論に異議を唱えざるを得ない。
先進国の大企業の子息として誕生すれば、それは素晴らしい教養と学問を身につけることができるだろう。だが、地球の果て。電気や水道すら通っていない未開の地に生まれ落ちた人間は、果たして素晴らしい教養と学問を身につけることができるだろうか。
それは答えるまでもない。
……と、もっともらしい前置きを並べてみた。
だがそんなことは僕からしてみれば、ミジンコがなにを主食にして生きているのかという事と、同じくらいどうでもいい。
かの論の前提をひっくり返す存在、つまり〝反例〟がここにいるのだから……。
僕にとっての〝意識〟というものが芽生えたのは、母の胎内に生じてから三日後のことである。外の音も逃すことなく聞こえたし、それがなんという音であって、どんな意味を含むのか全て理解できた。
……それはなぜか?
僕が天才だからだ。ここでいう天才とは〝天性の才能をもつ〟という意味だ。神に祝福されたのか、はたまた呪われたのか。そんなことは考えるだけ無駄だ。
神は存在しない。無神論者はある種正しい。
これは、神を崇め奉る人間を軽蔑しているわけではない。なにかを思想し、信仰するのは知的生命体にのみ許された、いわば特権だ。僕はそれに対して、論を述べて、完膚なきまでに否定しようとは思わない。
……なぜそんなことが分かるのか?
僕は、現生人類で言うところの〝アカシックレコード〟に近いものにアクセス可能なのだ。便宜的にアカシックレコードという名称を使っているが、本当の名前は僕ですら知らない。