王太子ルートのフラグが折れたので、転生令嬢は攻略表を捨てて直接口説きに行きます
舞踏会の夜。バルコニーで殿下が差し出したハンカチを、私は「い、いえ。またのちほど」と断ってしまった。
ゲームで何度も見たイベント。
選択肢は「受け取る」一択、なのに。突発イベントが発生したため、それ相応の準備をすることができていなかった。緊張と焦りで口が勝手に動いてしまったのだ。
殿下は「そうか」とだけ言い、去っていく。どこかで、ぽきん、と乾いた音がした。そう、もうこれは確実に折れてしまった音だ。
自室に戻り、私は机に広げた攻略表とにらめっこした。前世でやり込んだ『薔薇の誓い』の知識を、転生後も三年かけて書き溜めた王太子ルートの完全攻略表。好感度の上がる贈り物、出現する場所、最適解の台詞。それが今夜、ただの紙切れに成り果てた。隅々まで調べた結果がこれだ。これまでの苦労は何だったのか、分からなくなる。突発イベントの存在もその重要性も、頭に叩き込んでおいたはずなのだ。それなのに私は、いつもあと一歩のところで、似たような過ちを繰り返してしまう。
私はこんなに頭のできが悪かっただろうか。前世の方がもっと冴え渡っていたような?
「あれこれ考えてもしかたないわ。もう、表に頼っても意味ないし」
考えを改めよう。
殿下は選択肢で動く立ち絵じゃない。ハンカチを断られれば驚くし、きっと少し傷つく。もし私が殿下の立場だったら、間違いなく悲しいと思う。必要なのは次の最適解ではなく、本人に向けた私の言葉だ。用意された台詞と行動ではない。
そうと決まれば、行動は早かった。私は迷いなく、攻略表を暖炉に放り込んだ。炎が紙を舐めていく。三年分の努力が燃えるのは惜しかったが、胸は不思議と軽い。
灰になっていく紙を眺めながら、ためていた息をふぅーっと吐く。
さて、と思う。表がなくなった以上、明日からは自分の頭と言葉だけが頼りだ。まずは何と言おうか。
取りあえず、ペンを取り、殿下への謝罪の言葉を書き出してみる。
『昨夜は大変失礼いたしました。心よりお詫び申し上げます』
うーん、固い。どこか他人行儀で、余計に距離を感じさせる。
書いては丸め、書いては丸め、気づけば足元に紙くずの山ができていた。結局、攻略表の代わりに「台本」を作ろうとしている自分に気づいて、思わず笑ってしまう。
「だめね。これじゃ同じことの繰り返しだわ」
私はペンを置き、残った紙くずもまとめて暖炉に放り込んだ。ぱちぱちと爆ぜる炎を、ぼんやり見つめながら、伝えるべき言葉を探る。
謝りたい。けれど、「お詫び申し上げます」では、私の気持ちの半分も伝わらない気がする。
私は、ただ謝りたいだけじゃない。断ったのは、嫌だったからじゃない。嬉しすぎて、頭が真っ白になったからだ。
「――よし」
誰にともなく呟いて、私はベッドに潜り込んだ。眠れるはずがないと思っていたのに、瞼はすぐに重くなった。
翌朝、私は図書館の窓際で本を読む殿下のもとへ、一直線に歩いていった。
「殿下。昨夜はハンカチを断ってしまい、申し訳ありません」
「……あぁ。気にしていないよ」
「気にしてください。私は気にしています」
殿下の目が瞬く。
私は勢いのまま続けて言う。
「緊張しただけです。本当は嬉しかったのです。殿下のことが、ずっと気になっておりました」
静まり返る図書館に、司書の咳払いが響く。
顔から火が出そうだが、ここで引いたら折れたままだ。
私はスカートの裾を握りしめ、真っ直ぐに殿下を見つめた。
「ですから、その、今日から口説かせていただきます。覚悟してくださいませ」
言ってしまった。
殿下は目を丸くしたまま、ぴくりとも動かない。
一秒。二秒。三秒。四秒。五秒。長い。さすがに長い。やっぱり引かれた? 令嬢が図書館で「口説く」などと宣言するのは、きっと礼儀作法の本のどこにも書かれていない。
ぐるぐると後悔が回りはじめた、そのとき。殿下の肩がぶるぶると揺れ、しまいには声を出して笑い始める。
「ははっ! 令嬢に口説き宣言をされたのは初めてだ……ならば、こちらも宣言しよう」
殿下は新しいハンカチを、私の前にそっと置いた。
そして、試すように目を細める。
「今度は受け取ってくれるかな?」
おのずとハンカチへ伸ばした指先が、殿下の指に触れる。その瞬間、胸の奥でぱっと花が開くような感覚が広がった。
攻略表はもう要らない。折れたフラグは、私の言葉で何度でも建て直せる。それが分かってしまったから。




