電車の空席、どこ座ろかな
平穏を選んだ男
仕事帰り。
疲れ切った主人公の隣に、美人が座ってくる。
少しだけ嬉しくなる主人公。
しかしすぐに我に返る。
「今の時代、知らない女性の隣なんて危険だ。」
痴漢と勘違いされるかもしれない。
トラブルに巻き込まれるかもしれない。
主人公は静かに席を立ち、離れた空席へ移動する。
これが最も安全な選択。
そう思っていた。
ところが女性も立ち上がり、再び主人公の隣へ座る。
主人公は混乱する。
「どうして俺の隣に……?」
女性は小さな声で言う。
「お願いです。恋人のふりをしてください。」
主人公が視線を向けると、一人の男がこちらをじっと見ている。
ストーカーらしい。
女性は震えながら助けを求める。
しかし主人公は首を横に振る。
「ごめんなさい。」
「警察や駅員を呼ぶなら協力します。でも、あなたの恋人役はできません。」
「どうしてですか……?」
「事情が本当かどうか分からないからです。俺が利用される可能性だってある。」
主人公は隣の車両へ移る。
自分は悪くない。
知らない人に人生を賭ける必要なんてない。
それが自分の信条だ。
しばらくすると隣の車両が騒がしくなる。
別の青年が女性を助け、車掌を呼んでストーカーは連れて行かれる。
主人公は何もせず、その様子を遠くから見ているだけだった。
偶然にも三人は同じ駅で降りた。
女性は青年に何度も頭を下げて礼を言っている。
主人公はその光景を横目に見ながら、足早に改札へ向かう。
疲れていたはずなのに、なぜか足取りは妙に速かった。
数か月後。
主人公は街で偶然、その女性を見かける。
隣には、あの日助けた青年。
二人は楽しそうに笑っている。
恋人なのか。
友人なのか。
それは分からない。
主人公は視線を逸らす。
「……まあ、俺には関係ない。」
そう呟きながら歩き出す。
事件にも巻き込まれない。
誰とも揉めない。
今日も平穏な一日だった。
それでいい。
そういう人生を、自分で選んだのだから。
だがその言葉は、胸のどこかに小さな引っ掛かりを残したままだった。




