あなたと私の気持ちが全く同じで心から嬉しい!(違うw)
「エルナ、またそんな可愛げのないことを。カイルとの婚約、お父様たちはもう前向きに進めるつもりですよ」
「ですから、お母様。私は最初から何度も申し上げているはずです。私はカイルのことなんて何とも思っていないし、婚約なんかしたくないの。断って下さいと何度も言わせないで」
「まあまあ、そんな照れ隠しなんてしなくていいのよ。幼なじみ同士、素直になれないだけでしょう?」
王都のタウンハウス、午後のティータイム。
エルナは目の前の母親が浮かべる、慈愛に満ちた(しかしこちらの言葉を一文字も理解しようとしない)微笑みに、奥歯が砕けそうなほどの苛立ちを感じていた。
物心ついた時から、近所に住む同い年のカイルとエルナは「将来結婚する」と決めつけられてきた。
周囲はそれを微笑ましい幼なじみの恋物語として語り草にするが、エルナにとってはただの思考停止した押し付けでしかない。
エルナは、ため息を飲み込んで立ち上がった。
「今日は夜勤での王城での仕事がありますから、これで失礼します。あぁ……そういえば、おばさまに頼まれていた差し入れ『だ』『け』はちゃんとカイルに届けてきますわ」
「ええ、ええ。いってらっしゃい。カイルと仲良くね」
嫌味は聞き流し、微笑ましいものを見るような母親の視線に、さらなる苛立ちを感じるエルナ。
今すぐ差し入れのマフィンを投げ捨てたい気持ちになるが、それをどうにか我慢して王城へ行くための馬車を使用人に頼んだ。
せめて父親が理解してくれていれば違ったのかもしれない。
しかし、母親だけでなく、父親も同じ調子で、エルナの本心からの言葉を信じない。
(そんなにカイルが好きならお母様が結婚すればいいのに……)
エルナは苛立ちを心の底から吐き出すようにして大きなため息を吐いたのだった。
王城で馬車を降りたエルナは、騎士団の訓練場へと向かった。
手元の袋には、領地のことで忙しいカイルの母に頼まれたカイルへの差し入れであるマフィンが入っている。
訓練場の隅にある休憩スペースへとエルナが近づいた時、そこには、数人の騎士見習いたちに囲まれ、得意げに笑うカイルの姿があった。
「カイル、お前またエルナさんから差し入れが届くんだろ? いいよなぁ、愛されてんなぁ」
「おいおい、お前ら、茶化すなって。そんなんじゃないから」
カイルは鼻を鳴らし、わざとらしく肩をすくめて見せた。
「別に俺が頼んだわけじゃないし、あいつが勝手に持ってきてるだけだ。はっきり言って、あんな世話焼き、もう迷惑なレベルなんだよな」
「えー、でも婚約するんだろ?」
「誰がそんなこと言ったんだ? 俺とあいつはただの幼なじみで、恋愛感情とかゼロだっての、ゼロ。親が勝手に盛り上がってるだけで、俺にしてみればあいつはせいぜい妹みたいなもんだ。結婚なんて勘弁してほしいね」
カイルの言葉に、周囲の騎士たちがドッと沸く。
「へえ、なら俺が口説いてもいいのか?」
「勝手にしろよ。関係ないし?」
カイルは仲間の前で「選ぶ権利は自分にある」と誇示したかったのだろう。
それは浅はかな「照れ隠し」であり、少しばかりの優越感に浸りたかっただけの嘘で、カイルの「本音」は別だった。
だが、エルナにとってそれは、人生で最も待ち望んでいた「公式声明」だった。
大喜びで大興奮。
エルナが最強すぎた。
エルナはどーんとそこに乱入した。普通の人は陰口を叩かれている現場に突入したりしないのだ。
「――その通りだわ! カイル!」
突然の女性の声。
そのせいでシーンと静まり返った休憩所。そこにいた全員がエルナの凛とした立ち姿に注目していた。
「エ、エエエ、エ、エルナぁ……!? い、いい、いつからそこに……」
慌てて額に大量の汗を浮かべるカイル。
「たった今! まさにこの瞬間よ! もちろん全部聞いたわ! あなたも私との結婚なんてありえないと思ってたのね! 安心したわ、カイルの本心を聞けて最高に嬉しい!」
エルナは満面の笑みで、カイルの肩をぽんと叩く。
「本当にウチの親ったら、何回嫌だって断っても、婚約しろってしつこくて! これでちゃんと説得できそう! あ、差し入れもいらないんでしょ? これは私の職場の方でみんなと食べちゃうから! これ、おばさまに頼まれてたけど、もう作らなくていいなんてすっごく楽になるわ! それじゃ!」
引き止めようと焦って手を伸ばすカイルを、エルナは一切振り返ることなく置き去りにした。
この時のエルナの足取りは、これまでの人生で最も軽やかだったのかもしれない。
「お、おい……カイル……」
「……なんだよ?」
「よ、呼び止めなくていいのか……?」
それは仲間からの、本心からの心配の言葉。
(おまえらが煽ってきたからだろ!? ふざけんな!?)
カイルは怒りをぶつけるように言った。
「うるせぇ!? 余計なお世話だ!?」
それがどういう未来をもたらすのかも考えずに……。
その日の夜、エルナが自宅に帰るなり放った一言は、両親を凍りつかせた。
「今日、カイルに直接会って、お互いに愛がないことを確認してきました。彼も私のことを『結婚なんて勘弁してほしい』『差し入れも迷惑だ』と仲間の前ではっきり仰っていましたわ。これで満足?」
「そんな、カイルがそんなことを言うはずが……」
「本人の口から出た言葉です! これでもまだ、私の『照れ隠しだ』なんて言って、カイルとの婚約を強制するつもり? もういい加減にしてよ!?」
エルナは食卓をドカンと叩き、今まで溜め込んできた鬱憤を爆発させた。
「カイルも嫌がってるし、私も嫌がってる! 私たちは全く同じ気持ちなのに、どうして無理やり婚約させたいの? そんなに娘を不幸にしたいわけ!? 愛することも! 愛されることもなく! そんな結婚が私の幸せだとでも言うの!? それでも親なの!?」
エルナの凄まじい気迫に、両親は言葉を失った。
娘を愛していないわけではない。
ただ、彼らもまた「幼なじみの結婚」という自然な流れに身を任せていたというか、あちらの両親から「カイルはエルナのことが好きなの」だと聞かされてきたというか……。
振り返れば……両親ともに「ウチのエルナもカイルのことが好きなのに素直じゃなくてごめんなさいね」などと発言していたことを思い出し、背中に大量の汗が流れる。
今、間違いなく、エルナは本気で言っている。
流石にこれは伝わった。
カイルのことなど、何とも思っていないと。
とんでもない勘違いをずっと垂れ流してきたのだ、両親そろって。
カイルの両親には悪いが今はそれどころじゃない。
そのことにようやく両親そろって気が付いたのである。
「分かった……あちらの家には、正式に断りを入れよう……」
「そ、そうね……」
これまでの自分たちの態度から、エルナの怒りの大きさを感じた両親は、その夜からとても大人しくなったのである。
そして、二度とカイルとの婚約を口にすることはなかった。
ようやく両親を説得できたエルナは、翌日から驚異的な行動力を発揮した。
職場である王城の文官局。
そこにはエルナが以前から密かに尊敬していた青年がいる。
若手ながら王太子妃の信頼も厚い、ジュリアン・ランカスターである。
エルナはジュリアンに、極めて事務的に、しかし情熱的にアプローチを開始した。
「ジュリアン様、私は現在、家が決めた不本意な縁をすべて断ち切り、真に尊敬し合えるパートナーを探しております。もしよろしければ、一度お話しさせていただけませんか?」
「……確か、幼なじみの騎士見習いと……」
「本当にその噂で困っていて……両親までがこの何年もずっと信じてくれなかったんですよねぇ」
一瞬、昏くて遠い目をするエルナ。
しかし、すぐにやる気を取り戻す。邪魔な両親は既に排除したのだから、エルナは立ち止まれないし、立ち止まらない。
「でも! 昨日の夜! ついに納得してくれたんです! だから、本当に尊敬できる婚約者をちゃんと選びたくて……あの? 私ではダメですか……?」
カイルには一度も見せたことなどない、ほんのりと潤んだ瞳での上目遣い。
ジュリアンは、突然のエルナの宣言に驚きつつも、彼女の真っ直ぐな行動力に惹かれていた。
行動する。それがジュリアンの信条であり、彼はそうやってここの仕事での結果を残してきたのだ。
通常ならドン引きする可能性が高いエルナの行動も、ジュリアンにとっては許容範囲であると同時に、魅力的に見えた。何とも度量の広い男である。
「……面白い方だ。あなたのその潔さ、その行動力。私の好みに近いです」
「では、ぜひ。一度、デートでもお願いします」
にっこりと笑うエルナに、ジュリアンも微笑みを返すのだった。
一方、その頃のカイルは、未だに「あの日の一件」を自分の都合のいいように解釈していた。
あれからエルナの顔を見ていないというのに。
(エルナのやつ、あんなに怒るなんて。まあ、俺に愛されてないって聞いて拗ねてるだけだろう。しばらく放っておけば、また差し入れを持って泣きついてくるさ)
彼は、エルナが人生のステージを一段飛ばしで進んでいることに、全く気づいていなかった。
一ヶ月後。
王城の中庭で、カイルは偶然エルナを見かけた。
どこか晴れやかな顔をしている彼女を見て、カイルはニヤリと笑い、上から目線で声をかけた。
「よお、エルナ。少しは見つめ直す時間になったか?」
「何の話?」
「いつまでも意地を張ってると、本当に行き遅れるぞ」
「まだ会議まで少し時間はあるから遅刻はしないと思うけど……?」
エルナとカイルの会話は噛み合っていなかった。
カイルが言いたいことをエルナは想像もしていない。だから、意味が正しく伝わらない。
なぜならエルナにとってカイルは視界の外、アウトオブ眼中だから。
「ふん、誤魔化さなくていい。そんなに強がるなよ。他に相手も見つからないんだろ? お前の両親だって困ってるはずだ。……まあ、いいぜ。しょうがないから俺が婚約してやるよ」
「心配してくれてありがと。でも……あれ? まだ届いてないの?」
エルナは首を傾げた。
それを見たカイルも首を傾げる。
「何が?」
「婚約式の招待状。送ったはずだけど? おばさま、まだ領地の方なの?」
「え? 気が早くないか……?」
「早い方がいいわよ。モテるんだもの……」
エルナはジュリアンの顔を思い浮かべたが、カイルは自分のことだと勘違いする。
本当に愚かな男である。
「そ、そんなにモテるってこともないけど……」
「え? すごくモテてるんだけど?」
「いや、そんなにモテないって」
「まあ、モテてたとしても、もう私のモノなんだけどね!」
エルナは最高の笑顔を浮かべる。
あんなにモテるジュリアンを「そんなにモテない」と励ましてくれる優しい幼なじみだとエルナは思っていた。
「心配してくれてありがとう! でも、カイルがあの日、あんなにはっきりと言ってくれたお陰で、ようやく両親も諦めたわ! カイルも嫌がってるんだから娘を不幸にするなって、強く当たったのがすっごく効いたみたい!」
「は? 何のはな……」
「お陰で素敵な婚約者も決まったし! 全部カイルのお陰だわ! 本当にありがとう、カイル! あなたは、世界で一番の幼なじみだわ!」
「……え? 何……? 何の話……?」
「じゃあ、仕事だから! あ、会議に遅れちゃう! 次は婚約式で!」
エルナは急ぎ足で立ち去り、カイルのことなど振り返りもしない。
奇しくもそれは、あのカイルが本音を隠して嘘をついた日に、騎士見習いたちの輪の中から立ち去った時のエルナと全く同じ動きだった。
この日、タウンハウスへと戻ったカイルは、エルナの家から届いた婚約式の招待状を確認する。
そこに書いてある名前が自分ではないと気づいて、立ち尽くすカイル。
カイルの両親はもちろん、使用人も含め、誰一人として慰める言葉を持たなかった。
だから、その場からひとり、ふたりと次々に姿を消していく。
そこには自分のついた嘘の重みに押し潰され、二度と戻らない幸せの影を想って涙する一人の男だけが残されたのだった。




