8 復活
「んん!?」
口の中の果実を噛むと、さくっと小気味よい音が鳴った。それを合図に、どこか青さのある爽やかな香りと、ほんのり甘くて酸味のある果汁が口の中で弾ける。
それをしゃくしゃくと噛み締める度、歯触りの良い果肉が潰されてじゅわっとジュースが溢れてくる。
「うんま!」
甘味はかなり控えめだが、昨日からろくにものを食べていない体にはこれくらいがちょうどいい。
しかしそれは小さな果実。種を除き、ごくりと喉を鳴らして嚥下するとすぐに口からなくなってしまった。
「全然足りん!」
目の前の木に実る、おそらく十粒以上が連なった房をひとつ手に取る。ぐいっと引き寄せると、枝がつられて引っ張られ、葉がかさかさと音を立てた。
俺は一度落ち着き、房が枝と繋がっている部分を探してくるっと捻じるようにして断ち切る。
……さっきは何も考えずにそのまま口にしてしまったけど、一応洗った方がいいよな。
手にストンと落ちたしっかりと重みのある房を川に運び、じゃばじゃばと軽く水の中で揺らす。川から上げると艶やかな果実に水滴が乗り、より一層美味しそうに見える。
森の壁があるのでここからでは直接見ることは叶わないが、朝日も昇り、あたりはかなり明るくなってきた。それにつれて濡れた果実も艶めきを増し、今の俺にとってはそれが宝石と同じような輝きに思えた。
房から赤黒い実をひとつちぎり、口に入れる。食感は葡萄というより、熟れる前のスモモのようなしゃっきりとした感じ。もしかしたら追熟するともっと甘くなるのかもしれないが、俺はどちらかというとこっちのほうが好きだ。
酸味のある果汁が喉を潤し、体の隅々にまで行き渡る。ひょいぱくひょいぱくと次から次へと手が伸びる。
さすがにシャインマスカットみたいに種無しとはいかないが、それもまた一興。むしろ種が増えてラッキーまである。
種は綺麗に洗って取っておこう。そうすればおそらく植物魔法で新しく増やせるだろうからな。たぶん。
もしそれが可能なら、もう有事の際の食糧問題は解決したも同然だ。俺個人レベルではなく、村や集落単位での飢饉にも対応できるだろう。
建築に使えるのもいいが、俺としてはこっちのほうが植物魔法に期待している能力だ。地球の歴史から考えても、食料の安定がそのまま国力に繋がるのは明白だからな。
そんなことを考えながら一心不乱に腹の減りを満たしていると、気づけば二房も食べきってしまっていた。
さすがにお腹もたぷたぷで、口の中に積もりに積もった皮のえぐ味みたいなものも少し残っている。
「あー、満足だ」
思えば異世界生活二日目でこれだけ満ち足りた気分になれるのはかなりの上振れじゃないか? まぁ人間社会の中に転生するのに比べたらだいぶ野性味が強いが、幸先の良いスタートは切れたと思う。
もちろんもっと文化レベルの高い生活を目指してはいるが、ひとまず俺の水と食料問題の急場は凌げた。一旦解決ということでいいだろう。
「となれば後は……」
気になるのはあいつら、スライムたちだ。
俺の手には新しい赤黒い果実が一房。もちろんこれは俺が食う用ではない。
こんなにも瑞々しく、おいしく、自然味溢れるこの感じ、まさにスライムにうってつけではなかろうか。
根拠は全く無いのだが、何故か妙に自信はあった。……だってこんなうまいんだもん。
くくく、あいつら喜ぶぞ。
驚き、喜び、ありがたやと俺に感謝するスライムたちを想像して笑みを浮かべる。きっと鏡で見たらニヤニヤと気色の悪い顔をしていることだろう。
そうと決まれば早く戻ろう。ここは小屋のある場所からそれほど離れていないので戻るのはすぐだ。
そうやってスライムたちのことを思い浮かべると、ふと『まさか森に散歩に出かけて、そのまま迷子になっちゃったりとかしてないよな?』なんて不安が頭をよぎった。
俺が小屋を出てからそれほど時間は経ってないし、スライムたちは昨日からずっと小屋でじっとしてたから大丈夫だとは思うが……。
なんだか胸の奥がざわざわする。
俺はスライムへのお土産を手に、足早に小屋へと戻るのだった。
◆◆◆
小屋へと通じる道、つまり川から森への入り口は狭く小さいので、万が一にも見失うことがないよう入り口に大きめの木の枝を立てておいた。
川岸には大きな石がごろごろしており、さらには苔がびっしりと生えていて足を取られて走りにくいが、転ばないよう気を付けながら俺は急いで森の入り口へと向かう。
そしていよいよ森の中に入ろうかという時、目の端で何か動くものがチラッと見えたような気がした。
「な、なんだ?」
一瞬息を呑み、ゆっくりとそちらの方を見ると……。
「ふぅ。なんだお前らか」
そこにあったのは、川岸の苔が生えた石に貼りつき、体を元気に揺らしているスライムたちの姿だった。
驚いて損したな。この世界ではまだこんな風に元気よく動く生物を見たことなかったので、反射的に身構えてしまった。
「おーいお前らー。お土産持って――」
と、そこまで言って違和感に気づく。
「ん?」
足を止め、小首をかしげる。
”元気”に……?
スライムたちを見る。
赤、黄、緑の3匹のスライムたちは、苔の生えた石の上でモニモニと細かい伸び縮みを繰り返している。
しばらくじーっと見ていると、満足したのか別の場所にスリスリと移動して、またモニモニ。
機敏な動きとはいえないが、緩慢というほどでもなく、昨日のこいつらの様子を思い返せばこの動きはかなりのもの。
もちろんスライムなりの”すばやさ”なので、目で追えないとか手が付けられないとかそんなことは全くないのだが、昨日と比較するとそれは雲泥の差だった。
モニモニと縦横に弾むような動きにもどこか力強さがある。
なんというか、昨日は大げさにいうならほぼ死に体のような状態だったが、今のこいつらは生き生きしているというか、変な話、ちゃんと生き物なんだなと改めて実感させられるような生命力を感じる。
今のこいつらと比べると昨日の状態はマジでやばかったんじゃないのか? と肝が冷える。
「おっ?」
ちょっと待てよ……。
一番近くにいた赤いスライムの側まで近寄り、ぐっと屈んで顔を近づける。
近くで見るとなんだか体が綺麗になったような気がする。なんというか体の濁りみたいなものが消えて透明感が強くなった。肌もしなしなではなくぷるっとしているし、体の色味も水にちょっと赤い絵の具を零したようなうすーい赤色から、透け感のあるしっかりとした赤色に変わっている。
そしてなにより……。
「お前らでかくなってね?」
相変わらずモニモニと上下運動を繰り返すスライムの隣に、昨日までずっとスライムたちを抱えていた俺の腕を近づける。
「でっか!」
やっぱりこいつら、でかくなってる!
昨日まではおまんじゅうくらいの大きさだったのに、今やソフトボールの球くらいの大きさはある。
朝見た時はまだ昨日と同じくらいのサイズだったよな? 急に成長しすぎだろ。
にわかには信じがたいが、実際に起こっていることなのだからしょうがない。何よりも、昨日より明らかに元気そうなのはいいことだ。
色艶もいいし、大きくなることだって生き物にとっては基本的にはいいことだろう。
「あっ……」
ふと、嫌な予感。
こいつら元気になったからって、魔物の本性を思い出して急に俺を襲ってくるとか……ないよな?
いやいや、そんなことはない!……たぶん。
訝しげな眼でスライムたちを見つめる。
スライムたちはそんな俺のことなど気にもせず、自由気ままにモニモニモニモニ。
……何がそんなに楽しいのやら。
川に沿った森の切れ目から空を見上げる。そこにはもう朝焼けはなく、淡い水色が満たされていた。
この川が通り道になっているのか、この辺りは結構風が吹いてくる。そういえば俺が最初にいた荒れ地も風が吹いていたな。この辺りはそういう気候なんだろうか。
汗ばむくらいに暑い昼に比べて、朝はだいぶ過ごしやすい。
手頃な岩を見つけ、椅子がわりにして腰を下ろす。
風に揺らされて森がさわさわと鳴り、川からは控えめなせせらぎが聞こえてくる。
腹も満たされて、自然は綺麗で、スライムもとりあえず元気になって、とても気分がいい。
俺は満足した気持ちで。異世界で初めての朝をまったりと過ごすのだった。




