77 閑話⑨
クァナック王国の最北にあるカテペックという町から歩いて3日ほどのところに、チティトリという栄えた町がある。
町の生まれこそ、カテペックと同様の開拓村から発展したというものだが、その歴史は大きく異なり、チティトリは古くからある主要な町だった。
ポツァルトが治めていた領の中でも領都に次ぐ2番手という位置に収まり、北方に展開するいくつかの開拓村との中継地点という重要な役割もある町なのだが、現在、その町の行政はほぼ停止していた。
領主であったポツァルトの戦死。
それによる世継ぎ問題。
食料が豊富という利点による、物理的に人の多いクァナック王国では、このような後継者問題は泥沼化することも多い。
しかも今回はただの世襲ではなく、どうやら強力な魔族が近隣に現れたらしいといういわくの付いたもの。
領主になるという機会をみすみす逃すわけにはいかないが、それには必ず魔族問題が付随してくる。そういう事情があり、次代の当主争いは過激化もせず鎮静化もしないという最悪の状況だった。
さらに加えていうなら、チティトリには今、代理ではあるが一時的にこの領を任されたテモノノクが来ていた。
特別優秀というわけではないが、若くしてひとつの領を運営しているという実績を持つこの男が権力を盾に介入すれば、領都でもないチティトリなど簡単に正常化できただろう。
しかし、このテモノノクという男もまたのっぴきならない事情を持つ人間であった。
ポツァルトの失態の罪を被せられたような形で、この国の王から直々にお家の取り潰しを示唆されているという、いわば首の皮一枚という状況。
そんなテモノノクに他領の政治など気にしている余裕はなく、現在は付近に現れた魔族についての情報収集に躍起になっていた。
「……次」
静かな怒気と、困惑の混じった声が静かな部屋に響く。
それを聞いた平服の兵士は「ハッ」と一言残してきびきびと部屋を出ていき、代わりにまた別の兵士が入ってくる。
ここはチティトリにある執務室のひとつ。
中には額に青筋を立てるテモノノクと、その部下。そして次々に呼び出されては先日の魔族討伐の委細を聞かれる兵士の3人がいた。
「まぁ座れ。お前所属は?」
そう言われるも座ることはせず、直立したままその男は答える。
「自分はポツァルト様管轄の私兵団、第3隊の従士です」
「従士か……」
テモノノクの眉が僅かに歪む。
従士というのはまだ見習いの騎士ということだ。少しでも新しい情報が欲しいテモノノクが、目の前の男は隊の重要な情報は持ってないだろうと肩を落とすのも無理はない。
しかし色んな兵から集めた情報を元に作った、本作戦の交戦時の隊列が書かれたものを見ると、ポツァルトの第3隊は全体の中央付近に位置していることに気づく。
それは、魔族の長と思われる者が暴れていた場所であり、最も被害の大きかった場所でもある。
椅子の背もたれに体を預けていたテモノノクが、机に肘をつき前のめりになる。
「お前は魔族の姿を見たか?」
「はいっ。自分は後ろにいましたので直接戦ったわけではありませんが、目視はしております」
「なんでもいい。その魔族について見た目、行動、お前が感じたこと全て話せ」
そのテモノノクが発する静かな気迫に、従士である男はごくりと一度唾を飲む。
「はい! 見た目ですが、子供の頭ほどの大きさがあり、弾力があるようで伸び縮みしておりました。自分の見た限り赤色、黄色、緑色の3種類いて、攻撃方法としてはその体をぶつけるという単純なものでした」
「ふむ……」
「どうやったのかはわからないのですが、ポツァルト様が手配した魔法ギルドの大魔法を無効化し、そいつは合体して大きく……それこそ我々をひと飲みしてしまうほどに大きくなりました」
従士の声に、僅かに震えが混じる。
『この話になるとみな言い淀む』
テモノノクも、そのことには気づいていた。
「突然、横から強い力で押され……倒れてからそちらを見ると、その……もう、形を成していない……血と、鎧が散らばるように地面にあり、後ろを見ると、その巨大な魔物が鎮座しておりました……」
すぅとひとつ息を吸って、その兵士は続ける。
「あれはおそらく、魔物が小さい時と同じような、体をぶつけるだけの攻撃だったのだと思います。ただ、その時はわけがわからず、またそいつが消えたと思ったら、別のところで金属がひしゃげる音がして……おそらく前の方では兵たちが戦っていたのだと思います。しかしそれが全く意味のないことだというのは、後ろにいる自分にもわかりました……」
『それが、見習いとはいえ、自分が兵士であった最後の瞬間でした』
そう最後に付け加え、取り留めのないその男の話は終わる。
テモノノクも何度か聞いた、この魔族が兵士たちの心を折った瞬間の話。
最初聞いた時、それはにわかには信じられず、よくある敗残兵が敵を誇張するものだと思っていたのだが、どうやらそう楽観できるものでもないらしい。
「そうか……。何かその魔族に有効な攻撃はあると思うか?」
「は、はいっ」
その問いに、従士の男は言葉を詰まらせる。
「自分には……わかりません」
そう。わからない。
それは今まで兵士たちの話を聞いてきたテモノノクも同じ気持ちだった。
今回の作戦に従事した兵士の数は3000弱ということがわかっている。
それを森の中に送り込むというのだから、ばかばかしい作戦だとテモノノクは思ったのだが、魔族の住処の周辺には広大な開けた土地があるらしく、それだけの隊を展開することを可能にしたということもわかった。
兵士たちの話からしても、今回の作戦にはかなりの時間と労力をかけており、少なくとも戦闘に入るまでに何か致命的な問題があったとは思えなかった。
『なのに、だ』
魔族の数は100とか200とか300とか、その程度らしいのに、その10倍以上はある兵士たちが逆に大きな犠牲を払って逃げ帰ってきたというのだ。
テモノノクは顔を顰める。
『ありえないと思っていたが、もし本当に、この魔族には剣も魔法も効かないのだとしたら……たしかにそれは起こりえることなのかもしれん』
それは兵士たちの話の正確さを裏付けることにもなり、情報を集めるテモノノクとしては喜ばしいことのはず。
しかし、それは大きな問題をはらんでいた。
『では、どうやってそんな化け物を排除すればいいのだ……』
我が身可愛さから精力的に事態の調査に励んでいたテモノノクだが、そのような気持ちは徐々に薄れてきていた。
我が身どころの話ではない。
『この魔族は、我が国すら脅かす存在になりえる』
そんな否定してしまいたい考えが、テモノノクの頭の隅にこびりついて離れなかった。




