7 命の水
粗雑に作られた小屋の壁の隙間から外を覗くと、真っ暗だった世界が少しずつ明るさを取り戻しつつあった。
「もう、いいよな」
無理やり立て付けた扉という名の壁に手をかざし、植物魔法で破壊して外に出る。
「くぅ~~」
ぐっと背伸びをし、大きく息を吸う。どこか潤いのある森の朝の空気は、思わず「うまい」と零したくなるような気持ちの良さがあった。
時間でいうと朝の5時くらいだろうか。まだやや薄暗さが残るくらいの明るさだが、さっさとあの狭い空間から解放されたくて外に出てしまう。
後ろを振り返ると、昨日間に合わせで建てた見るからに歪で質が悪い小屋が目に入る。質が悪いというのも、ただ先を尖らせた厚い板材を魔法で浮かせ、突き刺すように地面に打ち付けて壁にし、それに簡単に相欠きで継いだ屋根を乗せただけのものだからだ。
自分で建てといてなんだが、小屋というのもおこがましいそのみすぼらしさに思わず苦笑してしまう。
ただ壁となる板材はかなり厚くしたし、全て地中深くまで埋まっているので強度はそれなりに高いと思う。昨日は時間も無かったし、植物魔法がどれくらいのことまでできるかのお試し的な意味もあったのでこの出来なのも仕方ない。
暇だった夜の間に反省や改善点も思い浮かんだので、次はもっと上手くやれるだろう。
軽く体を動かし、凝った体をほぐして覚醒させる。
とりあえず川を見に行くか。
昨日からどう変化があったのか気になるし、川周辺の自然環境も見てみたい。
「ちょっとそこらへん歩いてくるなー」
おまんじゅうサイズの小さなスライムたちにそう声をかけ、すぐ近くの川へ向かう。
スライムたちはたまにもぞもぞと動いてはいるが、昨日からずっと草のベッドの上でじっとしており、やはり元気はないようだ。
水は……微妙。食い物は……どうだろう。スライムってなんか食うのかな。それこそ獲物を体にきゅぽんと収納して溶かして吸収してしまうみたいなのはスライムあるあるだ。
草食だったらあの草ベッドを食べていてもおかしくないし、肉食なのか?
でも肉食の生き物って相手を倒して食い物にするんだからそれなりに強くないとやっていけないよな。
その点こいつらは……うーん。
元気のない今の姿しか見てないからなんともいえないが、それを差し引いてもあんまり肉食っぽい凶暴性みたいなものは感じないな。
まぁ狩りの仕方は色々あるし、待つタイプの狩りならスライムでもできるか。俺もいずれは肉を手に入れたいので、肉を食うかはその時にでも試してみよう。
そんなことを考えていると、すぐに川のほとりに着く。
「おおー」
口から出てきたのは、驚きと感嘆の混ざった声。
昨日の濁流はたった一晩で澄んだ綺麗な小川に生まれ変わっていた。いや、生まれ変わるというかこっちが本来の姿なのだろうが、そう思ってしまうくらい昨日とはまるで違った様相をしている。
「すげー」
増水で濁った川というと、元の水質に戻るまで数日くらいかかることもあるらしいが、昨日の雨が短時間だったことやこの川がおそらく支流であることなどがあって、1日でここまで綺麗になったのだろう。
4メートルほどあった川幅も今では1メートルくらいしかなく、水の奥に見える川底はかなり浅く見え、流れも昨日に比べればだいぶ落ち着いている。
川岸にしゃがんで手を伸ばす。ここらの気温は暖かい寄りだが小川の水は程よく冷たく、手の周りを撫でるように流れていくのが心地良い。
さらに手を伸ばして一番深そうな真ん中あたりに手を沈ませると、やはり水深は浅いようで、手首あたりまでしか水に浸からなかった。
「こんな小さな川だったんだな」
昨日の激しい雰囲気から一転、穏やかな森を演出する癒しのある小川になった。
そして水位が減ったことによって露わになったこの川岸だが、こういった大雨による増水はよくあるのか、昨日まで水面になっていたところが軽く抉れており、少し低くなった川岸にはよく育った苔がびっしりと生えていた。
抉れている川側より外、つまり昨日まで川岸だったところに生えている木々は小川の方に向かって大きく枝を伸ばしており、両サイドから葉で覆い隠された空が川に沿ってラインを描いている。水面の光を求めてそうなるのは知識としては知っていたのだが、こんな小川でもその現象は起きるんだなと感心する。
「なるほどねぇ」
専門家ではないので詳しくはわからないが、たしかにここには自然が長い時を重ねてきた足跡があった。異世界とはいっても地球と同じで、雄大な自然の前では人間ひとりなんて本当にちっぽけな存在なんだなと改めて認識させられる。
小川の水を両手で掬い、ばしゃりと音を立てて顔を洗う。当然昨日は風呂に入れてないので、ちょっと顔を洗うだけでもとても気持ちがいい。
我慢できず、そのまま水をもう一掬いして口に運ぶ。
「ぷはぁー」
貼りつくほどに乾いた喉に冷たい水が流れ込み、しなびた細胞が息を吹き返す。
「うめぇ~!」
どんな嗜好品も勝てない、命の根源となるうまさ。やっぱ水は人間にとって必須なんだなと、当たり前のことに改めて気づかされる。
どさりと後ろに尻もちをつき、天を仰ぐ。
「あ~、生き返った」
昨日のうちに川を見つけられて本当によかった。頭ではわかってるつもりだったが、こうやって身をもって水の重要性を理解した今では、まだまだ昨日までの考えは足りなかったと己を恥じる。
もし今また真っ黒い空間に呼ばれてひとつチート能力をやるって言われたら、水魔法って答えちゃうかもな。
植物の中には水を多く湛えるものもあるので、どうにかすれば植物魔法でも水を用意できるのではないかとの期待もあったが、”水”という直球で人間を構成する要素の前にはそれも霞んでしまう。
ふぅと一息つき、川を見る。
昨日は老人にだったが、今はこの川の水に祈りたい気分だ。
しかし人間とは強欲なもので、ひとつ欲が満たされても次から次にと別の欲求が湧いてくる。目の前に川があって、喉も潤ったとくれば次はそう、体を綺麗にしたい。
この川で水浴びすれば相当気持ちいいだろうなぁ……。
そう思ってしまったらもう止まらない。俺は靴を脱ぎ、それを苔の絨毯の上に並べる。
汗もかき、砂埃もたっぷり浴びたシャツを脱ぎながら川の中に入っていく。底が浅いので文字通り水浴びしかできないのだが、その気持ちよさが心に与える喜びはかなりのものだった。
「風呂……絶対作ろ」
この世界の文化レベルがどれくらいのものなのかわからないが、俺が権力者になった際には最優先で毎日入れる浴場を作るのだと、俺は冷たさの残る川の水を浴びながらそう思うのだった。
◆◆◆
「こ、これは!」
水浴びを終え、着ていた服も簡単に洗濯し、濡れたそれをそのまま着て川沿いをぶらぶらと散策していると、わしわしと繁茂する木々の間に一本、黒っぽい実をつけた小さな木を発見した。
小さな川をひょいと飛び越え、対岸に見えたその木に近づき、葡萄のように房になっているその実をひとつちぎる。
「ふむふむ」
見た目はどこか禍々しさのある赤黒い色で、大きさは一粒がビー玉くらい。顔の前に持ってくると、主張するような匂いはないがほのかに青っぽいものを感じる。
「うーん。食えるのかコレ」
遠くからは葡萄のように見えたけど、近くで見ると少なくとも日本で見た葡萄とは違うように思える。色も葡萄より赤みが強いし、手でつまんだ時の感触が葡萄のようにソフトではなく、もっと果肉がしっかりしていた。
正直、ここが日本だったらこんな得体のしれない物は絶対に口にはしない。
だが今俺がいるのは異世界。しかもがっつりサバイバル中。
川で魚を獲るという目論見は外れ、肉を手に入れる目処も未だ立たず。喉の渇きは一時的に解消されたが、いくら綺麗に見えるとはいえ川の水を生でがぶがぶ飲むのは怖かったので、数口程度で我慢していた。
俺が置かれている状況からみても、体の具合からみても、目の前のこの小さな果実はとんでもないお宝くらいの価値はある。
「重い……」
指先で摘まめる数グラムのそれが、まるで鉄球のように重く感じる。
これが命の重みか。
俺の人生が懸った重み。そしてこの自然が育んできたひとつの果実という生命の重み。
「……いただきます!」
気づけば俺は、その赤黒い実をひょいと口の中に放りこんでいた。




