62 空を飛ぶ計画
「うわああああああぁぁぁぁぁぁ!」
腹の底が抜けたかのような気味の悪い感覚。
ヒュウヒュウと耳元を駆け抜けていく風。
落下。
俺は今、全身で重力を感じていた。
――死ぬっ!
こんな終わり方ありえねーだろ! ……と、気を持ち直し、肘から手首まであるアームガードに植物魔法を使う。
アームガードを急に魔法で固定してしまっては、俺の肩が外れるか、ないとは思うがアームガードに負担がかかって腕から外れるなんてこともあるかもしれない。
俺はゆっくりと、今の落下スピードが徐々に落ちるようなイメージで植物魔法を使う。
ぐぐぐっと、両腕に想像以上の重みがかかり、肘が伸びそうになる。しかし腕を真上に上げてしまっては、ガッチリと装着したアームガードでも腕からすっぽ抜けてしまうかもしれない。
――それは本当に死ぬ!
「うおおおおおお!」
俺は渾身の力で両腕を押さえ込み、空中で、崖から這い上がる時のような体勢で静止する。
……ほっ。
なんとか止まることができた。
そんな安堵した気持ちのまま、地面に降りようと一定の速度で降下していると……。
「うわぷっ」
そのままため池にちゃぽんと沈んでしまった。
慌てて今度はアームガードを上昇させ、ため池から自分を引き上げる。
「ため池の上で練習してたの忘れてたわ……」
ずぶ濡れになった体からポタポタと水滴が落ち、俺が起こしたため池の揺れる水面を、ぷかぷか浮いていたスライムたちが楽しそうに乗りこなしていた。
◆◆◆
「やっぱ油断は良くないな」
時刻は日が傾き始めた頃。
もう数時間もすれば1日が終わる、そんな時間に、俺は焚き火にあたって濡れた服を乾かしながら肉を頬張っていた。
今日も早朝からスライムたちと訓練をし、魔物の解体やトレビュシェットの手入れもし、余った時間にこうして空を飛ぶ練習をしている。
俺の空を飛ぶ計画は大きく分けてフェーズが2つある。
1フェーズ目はこのアームガードによる空中制御。
やってることは木剣や木盾に植物魔法を使って空に浮くこととほぼ同じなのだが、これは木剣など木材が手元にない時、そして意図せず空中から落下してしまった時などに使う、緊急時の安全装置としての機能を担当するものだ。
緊急時用なので常に身につけていられるような形状、かつ命を守るための最終防衛ラインとして信頼できる安定性、この2つをバランス良く満たす物としてアームガードを選んだ。
素材は魔王から貰った巨木製で、肘の下あたりから手首までをしっかりと覆うようにできている。
着けていない時は緩く湾曲しているのだが、腕に通して装着する時は植物魔法できつく締め上げる。
これが意外と安定感があり、今のところ空中での急停止や移動などですっぽ抜けたことはない。むしろこれが抜ける時は、皮膚ごと持ってかれるだろうなという感覚すらある。
とはいえ怖いのは怖いので、できる限りそうならないよう姿勢は気を付けるけどな。
安定感だけでいうならベストのように胴体に装着するタイプも考えはしたのだが、きつく締めると苦しいし、何より動きの邪魔になるのがかなりのマイナスポイントだった。
腕輪や首輪みたいな明らかに安全性に欠陥のあるものも当然排除。その結果、このアームガードに落ち着いたのである。
それにシンプルに防具としても優秀だ。
人体急所に比べて防御が疎かになりがちな腕周りを保護できて、素材も安心安全の巨木製。
鉄剣を叩き折る、硬化処理した木材すら過去のものにする、完全上位互換となる素材だ。
魔王から貰った枝が巨木に育った時は、貰い物を増やすのどうかと思って植林はしていなかった。しかしこの異常に硬いという特性を知ってからは、そんなことを忘れ、新たに増やしては素材にしている。
あまりにでかすぎて視界の邪魔になるので、最初の1本以外は植えっぱなしにはせず素材として保管しているのだが、この巨木がスライム領に与えてくれた恩恵は計り知れない。
ほんと、魔王には感謝だ。
この世界に俺を連れてきてくれたあの老人と、魔王……実質老人。2人のじいさんのおかげで俺は今の生活を送れている。
「ありがたや……」
どこかわからない、適当な方の空を向いて手を合わせて拝む。
今まであまり敬老の気持ちが深い人間ではなかったけど、これからは大切にしていこう。老人。
……だいぶ話が逸れたが、とにかく俺の”空を飛ぶ計画”のフェーズ1は保険のためのもので、実際に飛ぶのはフェーズ2のもの。
まだ作ってはいないが、巨木のぶっとい幹から小さな船のような物を削り出す予定だ。
本命はこれ。
なにせ俺という存在はスライムにかなり依存している。それなのに、アームガードによる飛行では移動の際にスライムを数匹しか連れて行けない。
そんなことにならないよう、こうした乗り物を用意する必要があるのだ。
「なんか物を運ぶような時も来るかもしれないしな」
ぽいっと、魔物の肉が刺さっていた串を焚き火の中に放り込む。
脂が染みたその細い串は、ジュッと音を立て、煙を上げて燃えていく。
久しぶりに炭ではなく焚き火で肉を焼いたが、これはこれでなかなか良いものだな。
焚き火のおかげで濡れていた服もそれなりに乾いたし、これくらいなら寝る時に気持ち悪い思いをしないで済むだろう。
そうやって焚き火の前でしばらく過ごしていると、スライムたちがピリつき、スライム領の空気が変わった。
「お」
敵か……なんか、嫌な予感がするな。
とりあえず俺は焚き火に水をかけ、急いで木剣と木盾を取りに行く。
スライムたちはというと、背伸びするように小さく体を伸ばし、何かを感じ取っているようだった。
「次はゴーレムとかいうんじゃないだろうな」
これが、その嫌な予感というやつだ。
つい先日、コヨトル領の長から無理矢理果たし状を突きつけられたばかりだ。
次はゴーレム領辺りから喧嘩を売られるなんてことがあってもおかしくはない。
ただ、コヨトル領はスライム領から近いと鳥人間から聞いているが、ゴーレム領が近いというのは聞いたことがない。
交易ができるくらいには離れていないのだろうが、わざわざ森を突っ切ってやってくるのだろうか?
それにコヨトルなら鼻が効きそうだから俺の領に辿り着くのもギリギリわからないこともないが、ゴーレムって……鼻がいいなんてことはないよな?
うーん……。
と、頭を悩ませていると、スライムたちが一斉に南の方を向いた。
「南か……」
俺は急いでトレビュシェットの準備をする。
数が多いので早くしないと間に合わなくなってしまう。
――とりあえず、これでゴーレムの線は消えたな。
ゴーレム領は確かスライム領の北の方だ。鳥人間を丸太にふんじばって聞いた時、あいつはゴーレム領の話をする時に北の方を指していたはずだ。
今回はその真逆、南。
それは、あの人間どもが2度もやって来たことのある、水路側の森の方だった。
さらに付け加えていうのならば、このスライムの反応的に1人2人といった数ではないのだろう。
……嫌な予感どころの話じゃないかも。
予想以上に悪くなりそうな現実に、俺はふっとひとつ息を吐いて気を引き締めるのだった。




