61 領主の意地
熊男は右手を大きく振りかぶり、駆ける。
その瞬間的な加速は、あまりにも速かった。
距離が近い分、鳥人間のトップスピードか、下手したらそれ以上に感じる。
「くっ……!」
しかも攻撃が速いだけではない。
なんとかその右手に木盾を合わせ、弾くようにして受け流すが、ほとんど吹っ飛ばされるようにして体が持っていかれた。
――パワーも尋常じゃない!
俺を吹っ飛ばした相手を見ると、振り切ったその体のまま、顔だけこちらを見てほくそ笑んでいる。
指の先にはきらりと光る爪が生えており、擦りでもしたら俺の肉など容易く抉っていくのであろうことは明白だった。
――爪と牙、ね。
前に鳥人間は、コヨトルのことを鋭い爪と牙を持つと言っていた。
しかしどうだ、あいつが乗ってきた猪っぽい魔物を見ると、鋭い牙は納得できるが、鋭い爪は見られない。あるとしたら頑丈な蹄くらいだ。
ということは、鳥人間が言っていた爪と牙というのは、あの猪のみの特徴ではなく、コヨトルの長を含めた全体的な印象というわけだ。
なんとも説明の足りない鳥人間らしい表現だとは思うが、これは逆に言えばあの長である熊男の特徴は爪――つまり手による攻撃に偏っているということだろう。
鳥人間はコヨトルと戦ったことがあるようなことも言っていたし、印象に残っているものをそのまま口にした可能性は高い。
再度、熊男が飛ぶようにこちらに向かってくる。
その速度と遠心力を最大限に使って、鋭利な爪の生えた大きな手を力強く叩きつけてくる。
が、これも俺は盾で受け流す。
……視えるぞ。
力を受け流すようにして後ろに飛び、植物魔法を使ってふわりと着地。
スライムたちとの日々の訓練のおかげで、俺は攻撃を捌くことに関してはかなり上達していたようだ。それに、相手の腕の初動に注目すればいいという心構えもあった。
この2つのおかげで、単体の戦闘能力では明らかに俺より上と思われるこいつの攻撃を、しっかりと防ぐことができていた。
さらに一度、二度とその攻撃を躱わしていく。
静かに燃える闘争の炎の熱はそのままに、俺の視界はクリアになっていき、自信という名の余裕が生まれ始めていた。
それは侮りや舐めといった慢心ではない。
俺が感じたことのない、世界が広がったかのような感覚だった。
熊男は何度目かの右手の大振りをまた俺の木盾で防がれると、今度はそのまま距離を詰め、左手を横から力任せに振り回してきた。
しかしその起動も俺には見えている。
「うらぁ!」
その左手の横薙ぎをダッキングのように上体を下げて躱わすと、木剣に植物魔法を使い、無理な体勢から力任せに熊男の脇腹を打った。
「ぐぬぅ……っ!」
体が流れたところに1発もらい、そいつは苦悶の表情を浮かべる。
魔王から貰った巨木産のこの頑丈な木剣、さらに植物魔法のブースト付きの一撃を喰らってその程度で済まされたのは不満だが、確実にダメージは入っている。
熊男の顔からはもう笑みは消えていた。
代わりに、ぎりりと口角に皺を寄せてこちらを睨んでいる。
「があっ!」
咆哮と共に、また右手を振り上げる。
俺はそれを木盾で受け流すのだが、半分避けるようにして大きく左に回り込むと、そのまま木剣を斜め上――そいつの顔面に向けて木剣を振るう。
――捉えた!
かと思ったが、そいつはすんでのところで頭を下げて回避した。
……そんなに上手くはいかないか。
俺の反撃に反応するように、熊男も体を捻って左手を斜めに振り下ろすが、その前に俺は植物魔法で小さく距離を取った。
この世界に来てからそこそこの数の魔物を倒してきた。魔族と戦うのもこれで2度目だ。それに人間とも戦ったことがあるが、俺は人間の戦いと魔物の戦いには大きな違いがあると感じていた。
……またか。
熊男はこちらに向かってダッシュをし、右手を大きく振り回す。
俺は体を引きながら木盾でそれをいなし、続けて振り下される左手を重心移動で躱わす。
その振りの鋭さに、頬で風圧を感じるが、自信を持ってその攻撃を避けることができた。
回避ざま、そいつの脇腹を木剣で打つ。
同じことの繰り返し。
そいつの大振りな攻撃を避けては、胴めがけて木剣を打ち込む。
それはもはや作業だった。
――これなら、”今の”スライムの方が全然強いな。
もう木盾で防ぐ必要もない。腕の振り下ろしを躱し、木剣を相手の顔面に打ち込む。
当然熊男は頭を下げてそれを回避するが、それも織り込み済み。
顔への攻撃はブラフ。相手が回避行動を取るのに合わせて、左手の木盾を植物魔法で急加速させ、沈み込んだそいつの側頭部に向けて殴るようにして木盾を叩きつける。
「ガッ――」
小さく喉から息を漏らし、そいつは白目をむく。
ゆっくりとその巨体が傾いていき、そのままドサリと音を立てて地面に倒れ込んだ。
相手の攻撃を見切れて、植物魔法による無理な体勢からの攻撃もできれば、これほど膂力に優れた魔族が相手でも倒せるのか。
今回の件ではっきりした。
魔物と人間の戦い方の違い。いや、魔物の弱点といってもいい。
それは攻撃に工夫がないということだった。
自分のやりたい攻撃しかしてこない。おそらくこれは魔物や魔族の性なのだろう。
今思えば、スライムたちも前までは執拗に顔面狙いの体当たりばかりしていたなとどこか得心する。それを矯正するのにかなりの時間を要したものだ。
最近になってようやくその身体能力を十全に活かした攻撃ができるようになってきたのだが、当然それの相手をする俺の負担も激増した。
その苦しい訓練のおかげで俺はこうやって自分より能力が高い相手ともやりあえるようになったのだろうし、スライムにとっても、図らずとも魔物としての弱点を克服するような訓練になっていたということだろう。
まだこの世界の歴が長くない俺ですら魔物の攻撃が単純だと思うのだから、この世界の人族の間ではそれが常識として知られていてもおかしくはない。
もちろんそれを覆すだけのパワーがあるのでやっかいではあるのだろうが、そのパワーに加えて戦い方まで学んだスラちゃんたちは、魔物の中でもかなり強い方なのではないだろうか。
「お前、やるな! 俺は空を飛べるから余裕だけど、地上での戦いならこいつはかなり強いんだぞ!」
と、どこか興奮した様子の鳥人間がパタパタと飛んできた。
「そ、そうか。俺も結構やるだろ?」
鳥人間の、子供のような純粋な感想に少し対応に困ってしまう。なんだか気まずくて、俺はすぐに話を変えた。
「それより、こいつどうしよう……」
目の前には、気を失ったもじゃもじゃの巨漢。
「どうするって、ここに置いておくしかないんじゃないか?」
なんとも魔族らしい野生み溢れる回答だが、俺としては、拠点の近くにいつ目を覚ますかもわからない魔族がいるのは嫌だ。
それに、今はちょっと……早く帰って欲しかった。
「なぁ、お前あの魔物と話できないの?」
俺が指を指す先には、熊男が乗ってきたでかい猪っぽい魔物が、離れたところで所在なげにこちらを見ていた。
「えー!? まぁ、できなくはないこともないけど……」
こいつにしては珍しく煮え切らない返事だ。スライムが木の玉みたいな魔物……アココだっけ? と話す時もそんな感じだったし、別の魔物同士の会話ってこいつらの中ではどういう扱いなんだろうな。
「じゃあこの男を連れて帰ってくれってお願いしてくれないか? 今回の交易の報酬、おまけするからさ」
『テオシントか!?』と、体をぴくっとさせた後、そいつはすぐに猪っぽい魔物の元へ向かっていった。
――あいつ、悪い魔族に騙されないといいな。
自分からお願いしおいてなんだが、鳥人間の将来が気になった。
少しすると、猪っぽい魔物がトコトコと歩いてきた。
――でけぇ。
軽自動車ほどもあるその巨躯は、存在するだけで威圧感を放っている。
この世界で最初に出会った猪っぽい魔物と同じ種だとしたら、あいつはまだ子供だったんだな。あの時にこのでかいのが来てたら死んでたわ。
と、自分の運の良さを今更実感する。
その魔物は、地面に寝そべっている熊男を長い牙で器用に掬って背中に乗せ、そのまま東の森に帰って行った。
あの熊男もこれで文句はないだろう。どうかこのまま俺たちに関わらないでいて欲しい。
あ、交易はどうなるんだろう……コヨトル領からの魔石は惜しいが、こんなことになってしまったからな。まぁ仕方ないか。
すぐに鳥人間にも籠いっぱいのとうもろこしを渡して帰ってもらう。俺が促さなくとも、コヨトルの長からのしつこいお願いからも解放され、とうもろこしも手に入れてウキウキの鳥人間はすぐに帰ってくれた。
そうして、俺は後ろに控えていたスライムたちと向き合う。
そのスライムたちは、どこかソワソワとしているように見えた。
色々と戦いの後処理があったが、俺は何よりもこいつらに一言伝えたかった。
あの熊男を倒してすぐに伝えればよかった気もするのだが……なんか、鳥人間がいる前では照れ臭いような気がしてしまった。
スライムたちを見る。
いまだに数をじわじわと伸ばし、かなりの数になったスライムたちがそこには集まっていた。
いつか改めてちゃんと数でも数えないとな。と、そんなことを考えながら、実は俺は何を言えばいいのかまだ決められていなかった。
気持ちだけはあったんだけどな。
特に痒くもない頬を、ぽりぽりと掻く。
鼻もすする。
服の袖とかも気にしちゃう。
「あー……」
今思うと、スライムの力を借りずにひとりで倒した、初めての相手だったんだなと気づく。
それにしてはかなりの強者だったような気はするが、俺だってスライムと一緒に成長してるんだ。
「……やったぞ!」
ただ立ってるのも変かなと思い、ぐっと、木盾を持った方の腕を曲げて力こぶのポーズをとる。
これだけ時間を使って、なんの変哲もないたったの一言。
俺も鳥人間に説明が足りないなんて言えないな、と思いながらも、上手く言葉が見つからなかったのでしょうがないだろと1人で反論する。
今までの戦いの経験と、植物魔法の使い方、俺の戦闘スタイルが混ざり合ったひとつの成果と自信。
スライムを、スライム領を下に見ていたあの野朗に一泡吹かせてやったぞという清々しさ。
何よりも、それをスライムの前で見せることができて――嬉しかった。
スライムたちはそんな俺の言葉を聞くと、少しの間を開けて、ぴょんと跳ねたり体をふるふると震わせたりして、全身で喜びを表すのだった。




