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「断る!」
スライム領に、俺の決然とした声が響く。
「頼むよ。あいつ戦え戦えってうるさいんだよ」
そう眉を八の字にして頼んでくるのは、トトトル領の長。通称鳥人間。
「うちにメリットがひとつもないし、そもそも戦いたくない。もっと言うと俺は戦闘向きじゃない」
「いやいや、そんなはっきりと言われるとお前にやられた俺の立場がないじゃねぇか」
「俺らの領を攻めてきた時のことを言っているんだろうけど、あの時お前の意識を飛ばしたのは俺じゃなくてスライムだろ」
と、先ほどからお互い一歩も引かないやり取りを繰り返している。
時間の無駄としかいいようがないのだが、こいつがなかなか諦めず、半ば無理矢理付き合わされているような形だ。
「なんか木をシュバシュバ! ってやってたじゃねぇか。あれでなんとかやっちまえよ」
鳥人間は手を高速で振り回し、ひとりでなにか組み手のような動きをする。
「はぁ……」
ことの発端はひと月ほど前のことだった。
「コヨトルの長がお前と戦いたいっていってるぞ」
何度目かになる交易品の輸送の時、鳥人間が突然そんなことを言い出した。
「はぁ? 何言ってんだ」
と、その時は歯牙にも掛けていなかったのだが……。
「どうしても戦いたいらしいぞ」
「戦わせろって、なんかめちゃお願いされたぞ」
「戦わないつもりならこっちから攻めるとか言ってたぞ」
と、交易の回数を重ねるごとに変な方向に過激になっていき、鳥人間もとうとう取り込まれたのか、今回はやたらと熱心に誘ってくるようになっていた。
「なんでお前がそんなに必死なんだよ。弱みでも握られたか?」
「いや、そういうわけじゃないんだけどな……なんか『戦いを避けるような軟弱者にお前は負けたのか』って笑われてな。なんかすげーむかつくんだよ」
「そっちの角度から攻めてきたか……」
どんだけ俺と戦いたいんだコヨトル領の長は。
鳥人間曰く、コヨトルは数が多くて、鋭い牙と爪の生えた黒っぽいもじゃもじゃらしい。
俺の勝手なイメージだと狼とか犬系がそれに該当するのだが、どちらの魔物だったとしてもかなり強そうだ。
そんなやつらの長が弱いなんてわけがない。しかも謎に好戦的だし、力こそパワーを地でいく脳筋タイプに違いない。
なんでそんなやつと俺が戦わなければいけないんだ。
「とにかく、俺は戦うつもりはないぞ。早くテオシントを持って帰った帰った」
そう早く帰るよう促すのだが。
「おわっ!」
と、鳥人間が毛を逆立てて驚き、スライム領にピリついた空気が流れる。
どうやらスライムが敵を探知したようだ。
俺はいつも通り、木剣と木盾を呼び寄せ、スライムたちの動向に注視する。
「東か」
燻製などを行う、大きな東屋がある方角だ。
俺はそっちの方に走って向かう。
「なんだ!? どした!?」
と、慌てた様子の鳥人間もついてくるが、生憎構ってやる余裕はない。
拠点の東の端までくると、遠くに小さく黒い点が見えた。
どうやら相手は森を抜け、すでにスライム領――この荒野に踏み入っている段階のようだ。
――速いな。
スライムが探知してから1分も経たずして荒野まで辿り着くということは、まっすぐ走ってこちらに向かってきているのだろう。
スライムたちも興奮した様子で、俺の周りにゾロゾロと集まってきた。相変わらず頼もしい奴らだ。
「んー……」
早く帰ればいいのに、鳥人間は俺の隣で軽く腰を折り、目を細めている。
「なんだ。結局きたのか、アイツ」
……は?
なんだか、かなり聞き捨てならない台詞が聞こえてきた気がする。
「あいつって、お前あれが何か見えるのか?」
「そりゃ見えるだろ。逆にお前は見えないのか?」
くっ……。
そうか、こいつは鳥人間。目が発達してるといわれれば、たしかにと納得はできる。
俺はといえば、この世界に来てから視力が上がったような気はするが、それでもこの距離で相手が何かを判別することまではできなかった。
「……それで、なんなんだよ」
と、嫌な予感がしつつも聞かずにはいられない。
「ほら、さっき言ってた――」
『コヨトルの長だぞ』と続くより早く、俺は頭を抱えてしゃがみ込んでしまった。
やっぱりそうか。あぁ、最悪だ!
あいつ、我慢できずにわざわざうちまで来やがった。
――面倒くせぇ!
鳥人間にも相当頼んでたっぽいし、そのままお帰りくださいで素直に帰ってくれるわけないよな。
こうなったら対応を考えなければならない。
戦わないという選択はもう取れないだろう。
できるだけリスクを排した上で、戦ってから帰らせる。考え方をこっちにシフトだ。
そうやって、急場凌ぎで丸く収まるような方法を思案していると、ドドッドドッと重量感のある大地を駆ける音が聞こえてきた。
「猪の上に……人が乗ってる?」
その猪を見てピンときた。
あれはおそらく、俺がこの世界で初めて戦った魔物だ。
大きさこそかなり違うが、黒……というかやや灰色に近い毛色に、そり返る大きな牙を持った魔物。
俺がまだのほほんと生きていた時に、この世界の厳しさを教えてくれた、思い出深い魔物でもある。
――懐かしいなー。
なんて思っていると、そいつらはすぐに俺たちの近くまでやって来て、猪の上に乗っていた人間が飛び降りてきた。
「よう。お前が例の魔族か」
例の、という言い方が少し引っかかるが、まぁその魔族は俺たちのことだろうな。
「そうだ」
「よし、トトトルから話は聞いてるな。やるぞ!」
と、腕から肩、脇腹と黒い体毛に覆われた、上半身裸? の大男は、威嚇する熊のように両手を上げて構える。
――この相手の事情とか全く気にしない感じ、やり辛いな。
やはり戦うことは避けられないようだ。
「その前に、なんでそんなに俺と戦いたいんだ?」
「ん?」
と、その熊みたいな男は構えたまま小首を傾げた。
「魔族同士だ、戦うことだってあるだろ」
そういうことを聞きたいんじゃないんだけどな……。と、心の中で嘆息する。
――このいまいち話の通じない感じ、魔族だわー。
なんて思いつつ、俺も腹を決める。口でどんな理屈を捏ねようとも、こいつは聞く耳を持たないだろう。
「俺たちじゃなくて、俺と……がいいんだよな」
「そりゃそうだ。お前の強さを確かめに来たんだからな」
なんでわざわざそんな必要が? と思うが、こいつがそう思うならそうなんだろうな。
俺も魔物との付き合いが上手くなったものだ。
しかし俺の不満気な顔に気づいたのか、そいつはそこからさらに言葉を続けた。
「弱い魔族ってのは悪だ。お前らは最近生まれた魔族らしいが、力の無い魔族に生きる価値はない。だからその場合は、人間の肥やしになる前に俺がここで殺してやるってわけだ」
……思ったより危険な思想の持ち主だった。
俺は、お互いトドメを刺さない――つまり、殺し合いをしないことを条件にこいつと戦ってやるつもりだったのだが、この言い分だとそれも難しいだろう。
どうしたものか……。と頭を回すのだが、そんな考えとは裏腹に不思議と口は勝手に動いていた。
「そうか……じゃあやるか」
今となってはもう手に馴染む、木剣と木盾を構える。
頭は冷静……だと思う。しかし体は熱かった。
胸の奥で、闘争本能がぐつぐつと滾っているのを感じる。
初めから、まるで俺など相手ではないかのようないい草、舐めた態度、全てが癇に障った。
別に俺がどうというわけではない。俺の性根なんて、本来は事なかれ主義のただの小市民だ。この世界で生き抜いてきたこいつや鳥人間からしたらそりゃあ取るに足らない存在だろう。
だけど俺は今、スライム領の領主だ。
俺が侮られたら、それはスライムたちも侮られるってことじゃねーか。
なぜかそれだけは、どうしても許せなかった。
合理的ではないのは理解している。たかが口で少し煽られたくらいで、やり合うという致命的なリスクを孕んだ選択をこうも簡単に受け入れてしまっている。
自分でもわからない。
……これはたぶん、理屈じゃないんだろうな。
それほど長くないとはいえ、スライムと共に歩んできた俺たちの歴史に対するプライド。
誇り。
それと、スライムの前で情けない姿は見せたくないというちょっとした見栄。
目の前の熊男はニヤリと笑い、一呼吸の間を置いて――駆けた。
こうして俺とこいつの、理由の不明瞭な、なんの利もない戦いが始まったのだった。




