42 閑話⑤
「それにしてもスライムですか……懐かしいですね」
不死族の生き残り――エルナは、高速で空を飛びながらそう呟く。
大気を切る音がびゅうびゅうと煩いはずだが、どうやらその影響は2人にはなさそうだった。
「懐かしい、か。わしでも名前しか聞いたことないぞ」
エルナの腕の中で小さくなっているこの老人が、今代の魔王になってはや数百年。その魔王ですら見たことのない魔物を『懐かしい』というエルナは、どれほど長くこの世界を見てきたのだろうか。
「もうずっと昔のことですけど、この辺りでは1、2を争うほどの勢力だった時もあったような気がします」
「見かけによらず、意外と繁栄しておったんだの」
「てっきりもう滅びたものだと思ったんですけどねぇ。久しぶりに会えてよかったです」
「そのスライムたちは当時は魔族ではなかったのか?」
「はい。たしか……長はいなかったはずです」
セミロングの黒髪をはためかせ、エルナは遠い記憶を呼び起こすように小首を傾げる。
「かなりの武闘派魔物だったんですけどね。その強さと数の多さから、人間に目をつけられて長いこと派手にやりあってたみたいですよ」
「……現状を見ると、その争いには勝てなかったみたいだの」
「そうですねぇ。でも生き残りがいたみたいでよかったです」
不死族の生き残りとして、自身の境遇と似ているところがあるのか、エルナはうんうんと嬉しそうに首を揺らす。
「ほっほ。よき長を見つけたようだし、今度は頑張ってほしいの」
「人間どもの勢力図もだいぶ変わりましたからねぇ。過去戦った人間の国はもうないでしょうけど、あそこはナワ湖に巣くう人間の国の近くですから、うまく立ち回ってほしいですね」
「ま、あの長も人間のようだし、おおっぴらに人族と事を構えようとはせんだろう」
ほっほっほ、と老人の軽快な笑いが続く。
「だと、いいんですけどねぇ……」
エルナは言った、スライムたちのことを『かなりの武闘派』だと。
『……スライムたちが信頼するあの人間が、本当にそのような穏健派なのでしょうか』
理由はもう過去の彼方のことで忘れてしまったが、エルナはスライムと三日三晩、死力を尽くして戦ったことがある。
スライムたちの様子を見るに、彼らもそれを覚えていたようだった。
「リベンジなら、いつでも受け付けますよ……」
そう小さく零し、ニタリと口角を上げる。
残念ながらこのエルナという不死族の女も、スライムに負けず劣らずの武闘派だったようだ。
「……やれやれ。わしはみんなに長生きしてほしいんだがの」
平穏を望む魔王の心情は、この一番近くにいる配下にも届いてはいないようだった。
◆◆◆
「……んだとぉ?」
クァナック王国の最北に位置する、カテペックという町のギルドマスターは額に血管を浮かべて凄む。
「てめぇどういうつもりだ……この依頼をトチる意味わかってんのかぁ!?」
目の前のボロボロの男の襟を掴み、ギルドマスターである大男は声を荒げる。
「それは……すみません」
たった今森から帰ってきたばかりのこの薄汚れた男は、チーム『白光』のポーターで”あった”モトルク。
「しかし事態は急を要します。あの魔物は、必ずこの町の脅威となります」
苦々しい顔をしつつ、ギルドマスターはモトルクを突き飛ばすようにして首から手を離し、カテペックの冒険者ギルド内にある応接室の椅子にどかっと座り込む。
部屋にはモトルクとギルドマスターの2人のみ。そのどちらともが一言も発しない、重苦しい空気が漂う。
しばらくして、そんな空気の中、ギルドマスターがゆっくりと口を開いた。
「これは貴族からの依頼だ。お前らのことはどうでもいいが、この話が上までいけば俺の身も安全とは限らねぇ」
クァナック王国は豊かな自然の恵みを背景に大きく発展してきた国家だ。その強みはなんといっても人の数。ギルドマスターほどの地位であっても替えとなる人材は多く、一度の失敗が進退を決めることなどはよくあることだった。
「なによりも”魔族”を生み出したかもしれないとなれば、俺もお前も命の心配をしなきゃならんだろう」
モトルクは黙ってそれを聞いていた。
「”人の味を覚えた魔物はまた人を襲う”、有名な話だ。しかも相手が群れとなれば最悪だ。あいつらは群れると想像以上にやっかいだからな」
そのなかでも人間社会に大きな影響を与える魔物の集団のことを、クァナックでは”魔族”と呼んだ。”魔族”とは、昔から人間の悩みの種となっている存在だった。
カテペックのギルドマスターは顎に手を当て思案する。
再び部屋はしんと静かになった。
今回の件は形としては貴族から白光への依頼というものだが、貴族がいちいち冒険者のことなど覚えているはずもなく、その実はもう少し複雑だ。
貴族からの命をその下の者が預かり、その下の者がギルドマスターに一任し、ギルドマスターが白光に依頼、という流れになる。
貴族から直接命を受けた者がどれほど重用されているかはギルドマスターにはわからなかったが、少なくとも末端の冒険者と、その次に替えの効く自分は助からないだろうとこの大男は思っている。
「男と、小さい魔物が6匹……そう言ったな」
ギルドマスターの言葉に、モトルクは眉を顰める。
「……はい」
「そうか、ならやるしかないな」
その言葉にモトルクは慌てる。
「ぎ、ギルドマスター! 上に報告はしなくていいんですか!?」
「うるせぇ! ここでやらなきゃ俺もお前も終わりなんだよ!」
そういうと、ギルドマスターはバタンと大きな音を立てて応接室を出て行ってしまった。
「くっ……」
仲間を失った悲しみと、国の未来を憂う正義感、そのふたつがモトルクの胸の内を渦巻く。
――ぐっと、手を強く握りしめる。
しかし、その奥にどうしても誤魔化せない感情もあった。
体を飛ばして仲間を打ちつけるあの小さな魔物。奇妙な動きで棒を振り回すあの男。
忘れられない。
最後の――逃げろと訴えるショコの顔。
胸中とは裏腹に、その瞳には燃え盛るような憎悪の炎が映っていた。
『冒険者全員に知らせろ! 明日の朝、準備を整えてギルド前に集まれってな。従わない奴は冒険者資格剥奪だって言っとけ!』
扉の外のギルドマスターの怒声がここまで響いてくる。
ポーターのモトルクはざっと頭で計算する。
まっすぐ向かえば4日……いや、大勢を連れて動くのならもっとかかるか。それにあまり急いで向かって戦うための体力が失われては本末転倒だ。
「5日分。この森なら帰りの食い物も水もどうにでもなるから、行きの5日分の用意さえあれば十分だ」
戦線を組むことになるであろう”仲間”のサポートをするため、モトルクも急ぎ足で応接室を出て行った。
多くの人で賑わうカテペックの町が、その日はピリピリとした冒険者たちの空気に当てられて、どこか活気無く感じられるのであった。




