22 スライム学
「どうした!? 大丈夫か!?」
バッと椅子から立ち上がる。
緑色のスライムは俺の話も聞こえていない様子で、ずっと規則的に波打っている。
たったひと月くらいとはいえ、それだけの期間を24時間ずっと共に行動してきた相手の初めて見る姿に戸惑いを覚える。
怪我は……見た感じなさそうだな。じゃあ病気とか? なんか悪い物でも食ったのか?
そういえば、数時間前にまた魔物の腹から出てきた魔石をあげたけど、まさかあれが良くなかったのか!?
俺にスライムの治療なんてできないし、もしあったとしてもスライムを見てくれるとは思えないが、当然ここに病院なんてない。
つまりもし病気だった場合、俺はどうすることもできず、ただ側で見ていることしかできない……!
おかゆも作ってやれないしっ……! ここにはあったかい布団もないっ……!
治さなきゃという焦りと、自分の無力感と、”もしも”のことが起きたらと不安になる気持ちがないまぜになって胸がいっぱいになる。
頭では色々考えを巡らせても、結局その場から動くこともできず、俺は半ばパニック状態に陥っていた。
――そ、そうだ! 他のスライムは!?
もちろん最初からずっと同じテーブルの上にいるのだが、それすら目に入っていないほどに焦っていた。
だめだめ、落ち着け……。
焦っても何もいいことはない。
「すー、はー」
一度心を落ち着けて、赤と黄のスライムの様子を見る。
そこには、いつも通りぼーっと外を眺めている2匹の姿があった。
「あ、あれ?」
拍子が抜けるとは、まさにこのことか。
もし魔石が原因なら、3匹ともこうなっていてもおかしくない。もちろん発病の有無には個人差があるが、スライムの標準的な耐性を突破するほどの脅威ではないとも考えられる。
それにもし問題があるようなら、他のスライムがこれだけ落ち着いてるはずがない。
俺もこのひと月で、それくらいのことはわかるようにはなっていた。
「大丈夫……か?」
ふぅと息を吐き、椅子に座りなおす。
緑スライムは、いまだに脈打つようにぷるぷる震えている。
予断を許さない状況ではあるが、こうやって見ていること以外、現状俺にできることは何もない。赤と黄のスライムが静かという安心感もあるし、とりあえず今は様子を見よう。
と、俺が静観する心持ちに入ろうとした時だった。
「んん!?」
我が目を疑うような光景が飛び込んできた。
ぷるっとしていた緑スライムが、一度大きく伸び、プニーン! とテーブルを叩くようにして体を打ち付けたかと思うと……。
「ふ……ふえた」
小さくなった”2匹”の緑スライムが、こちらを見ていた。
◆◆◆
雨が上がり、斜めから照らす優しい光が大地をキラキラと輝かせる。
スコールが去ると、ため池と近場の水路くらいは壊れていないか点検をする。といっても、小さいため池なのですぐ終わる。
今日みたいに、スコールが降るとうちの小さいため池や水路はすぐにキャパをオーバーしてしまう。ため池から水路に流れるところに水門を設けてるとはいえ、そんなの関係なく大地ごと雨に飲まれる。
特に最近は水路を下って行ったところで魔物の解体なんかもやっているので、水の逆流が怖い。ため池から1キロくらい離れてるので大丈夫だとは思うが、気分的にだ。
それでなくとも、ため池はうちのシンボルなので大切にしていきたいという思いもある。……毎日スライムと一緒になってため池で水浴びしてるけどな。
いや、いいんだよ俺とスライムは。ここの管理者みたいなものだから。
管理者特権ってやつだ。
そういえば、日本にいた頃道路の冠水なんかに止水版が使われていたな。
水路から溢れた水がため池に入り込まないように水門の両脇に止水版を置いてもいいかもしれない。高さ10センチもあればスコール対策には十分だし、邪魔にもなりにくいだろう。
それにスコールの後は外から泥水が入り込んでくるからか、やはりどうしても水が濁ってしまう。ため池の周りの苔がかなり防いでくれてるとは思うのだが、それに止水版が組み合わされば鬼に金棒だ。
それかいっそのこと、苔のエリアをもっと広げるか。苔なんていくらあってもいいだろう。特に”今回の件”を見た後では。
スライムたちを見ると、取水場に安息の地を見つけたらしく、上手く体を側面に引っ付けて新鮮で綺麗な地下水を楽しんでいた。中には取水場によじ登ってはため池に流され、よじ登ってはまた流されというのを繰り返しているのもいる。
「なにしてんだ」
こいつらにもやはり好みはあるらしく、どうやらスコール後の苔はお気に召さないらしい。絶対にというわけではないが、このタイミングで苔をモニモニしているのを見るのはかなりレアだ。
それと同じで、スコール後の濁ったため池も好きではないらしい。なかなか綺麗好きなのかもしれないな。こいつらは。
まぁ気持ちはわかる。俺もこの状態のため池には入ろうとは思わない。
特別汚いというわけではないが、綺麗な時のため池を知っちゃってるからな。わざわざ今入る必要はない。
そんなスライムたちを数えると、ひぃ、ふぅ、みぃ、よー……いー、むー。
うん、やっぱり6匹いる。
ついさっきまではバスケットボールくらいのサイズの奴が3匹だったのに、たった数十分後にはハンドボールくらいのサイズが6匹になっている。
もちろん赤、黄、緑それぞれ2匹ずつである。
緑スライムがポンとふたつに分裂した後、後を追うように赤と黄もぷるぷると脈打ち、プニーン! と分裂したのだった。
こいつら、俺があれだけパニックになって心配してたというのに、ことが終われば何事もなかったかのように日常に戻っていきやがった。まぁ病気とかじゃなくて良かったけどな。ほんとに。
とにもかくにも、今日”スライムの増え方”が判明した。
これまたスライム学会に激震が走るだろう。
ざっくばらんに言ってしまえば無性生殖。自分のコピーを量産するような生殖方法だ。
魔法的要素で突然ポップするとかでないなら、たしかにスライムといえばこのイメージがある。
この世界のスライムは後者で、ある程度体が大きくなると分裂が起こる。これが今回判明したことだ。
日常的に苔をモニモニして大きくなり……魔石を吸収して大きくなり……日々大きくなっていたスライムたちに『こいつらいったいどこまで大きくなるんだ』と思ったことはあったが、答えは分裂によるリセットだった。
大きい方が戦闘面では有利そうに思えるが、物質として安定するサイズがあるのかもしれない。
魔力を摂取すると体積が増え、ある一定を超えると分裂し、倍の効率でまた魔力を溜める。このサイクルでスライムは増えていく。うん、実に理にかなっている。
「ただ……」
俺は腕を組んでうーんと唸る。
スライムの貴重な増殖シーンを生で見られて気持ちは満足しているのだが、それが明らかになったことで新しく疑問も湧いてくる。
「なんでこいつらは3匹だけだったんだ?」
スライムと出会ったあの日、この荒野には3匹のスライムしかいなかった。
こいつらがいたということは、分裂する前の親スライムがいたということで、つまり片割れのもう1匹のスライムもいるはずである。
もっと辿れば、そうして増えていたスライムの群れがどこかにいるはずなのだが、今のところこの周辺で他にスライムを見たことはない。
「どこか遠くにスライムの群れがあって、たまたまこいつら3匹だけがはぐれてこの荒野に迷い込んだ?」
うーん……なんかしっくりこない仮説だな。
こんな荒れ地だ。川で流されてきたというわけでもないだろうし、群れとはぐれたとしてももっと過ごしやすい場所はある。
数キロ移動すればこいつらの好きな苔の生えた川だってあるわけだし、こいつらの運動能力があれば川も苔もすぐ見つけられただろう。
なぜこんなところに3匹だけがやってきて、それもあんな死にそうな状態になるまでじっとしてたんだ?
……あ。
「そっか」
その時頭に、ピコーンと閃きが生まれた。
こいつらが群れからはぐれたんじゃなくて、そもそも”ここが群れの住処だった”。こうは考えられないか。
例えば、昔は数多くのスライムがこの地にいたのだが、なんらかの要因があって数を減らし、もう3匹しか残っていなかった。なんてのはどうだろう。
今思えば、この地下水を掘り当てたときの謎の魔法陣。あれは何だったんだ?
安直に考えてしまうのならば、ここの地下水を封印していた、とか。
そもそもこの地下水を見つけたのもスライムだ。
あの日、わざわざ俺を引っ張ってまで、またこの荒れ地に戻ってきたんだよな。
じゃあなんでスライムはここに地下水があるって知っていたんだ。
今まで散らばっていたピースが突然繋がり始めたような気がして、鳥肌が立つようなゾクゾクが肩を震わせた。
もちろんこれらはただの仮説、むしろ空想に近いものだ。たまたま死にかけのスライムがそこにいただけかもしれないし、地下水を発見したのも地下の魔力を察知しただけかもしれない。こいつらの探知能力は、森から出てくる魔物を感じ取れるくらい鋭いからな。
しかし、この土地だけ切り取られたかのように不自然に木が生えていないのも、魔法陣の下に地下水があったのも、そこでスライムがじっとしていたのも、ただの偶然だと言って可能性を切り捨てるのは少し難しい。
……なんだか、スライム族を巡るひとつのストーリーが見えてきたような気がするな。
全くの見当違いかもしれないし、いい線いってるかもしれない。しかしそれは、どこか俺をワクワクさせるものだった。
と、そんな時。
「ん?」
取水場にいたはずの6匹のスライムが、いつのまにか水門の方に移動しており、全員で一点――南の方を眺めているのに気がついた。




