16 耐性あり
どれくらいの時間そうしていただろうか。
10分くらいかもしれないし、1時間くらいかもしれない。それくらいの時間、魔物を見つめながら茫然としていた。
しかしずっと惚けてるわけにもいかない。この戦いの勝者となった俺には生きる権利が与えられ、それに伴い生活という実務もやってくる。
目の前に倒れているこの大きな猪のような魔物は、現状サバイバル生活を強いられている俺からすれば一月弱ぶりの動物性タンパク質であり、体のコンディションを保つためにも生活を豊かにするためにも重要な素材だった。
ゆっくりと魔物に近づき、足の先でツンツンと小突く。
「よし、死んでるな」
こんなところを見られたら、日本だったらボコボコに叩かれそうだなと思いながらも、魔物に反応がないことにほっとする。
とりあえず魔法を使うための木がないと何も始まらないので、大量に余っている丸太数本とツタを、拠点から魔物が倒れているところまで運ぶ。当然魔法の力でだ。
「これからもう一仕事だぞ」
極度の緊張から解放され、弛緩している脳みそをなんとか再起動し、さぁどうするかと頭を悩ませる。
野生生物の処理の仕方は一応知識としては知っている。ただそれは現代日本での処理の仕方であって、今の俺の状況とは大きく異なる。今思いつくだけでも血抜きに使う道具に、皮や肉を切断する刃物類、そして肉を冷やす設備と、足りないものだらけだ。もちろん経験も無く、それが一番の問題ともいえる。
とはいっても今の俺にはどうしようもない。やれる範囲でなんとかするしかないな。
まずは魔物と持ってきた木材類を、この先にある水路を中継するために作った小さな池までもっていく。
かなり血が出るだろうし、さすがに拠点からはできるだけ離したい。
魔物はツタを使って丸太にくくりつけ、その丸太を魔法で動かすことで運べるようにした。この方法を使えばかなりの重さの物も運べるな。やはりこの植物魔法、かなりのチートである。
別に呼んだわけではないが、スライムたちも俺のやることが気になるのか、興味深そうに後ろをぴょんぴょんとついてきた。
「よし!」
まずは今日やることを決めよう。
とりあえず血抜きだな。本来はまだ心臓が動いているうちにしたほうがいいのだが、道具とか以前に俺にそんな度胸はない。
となると、今簡単に思いつくのは首を切って逆さ吊りにするとか? どれほどの効果があるかは不明だが、今はそれくらいしか手段が思い浮かばない。
その次に内臓を取り出して、本体を冷やす。
これをしないと肉がすぐダメになる。ここらへんは魚と同じだな。
冷蔵するような設備がない頃には、獲った野生生物を川に浸けて冷やすという方法と、日陰に吊るして冷やすという方法があったらしい。
川に浸けるのは衛生面でのリスクが高く、日陰に吊るす場合は気候が適していることが条件になる。
この土地の場合、どちらも一長一短で難しいが、今回は川に浸けるほうでやろうと思う。なぜならここは地下水の湧き水のすぐ近くであり、川の水よりかは衛生的リスクが低いからだ。
それに木陰に吊るすよりは水に当てたほうがよく冷えそうな気がする……。
なんか冷えてた方が安全な気がするし。たぶん。
ということで、この2つが今日やるべきことだ。
俺は持ってきた丸太を魔法で切断し、A型のようなスタンドをササッと作る。続いて魔物を丸太から外し、後脚をツタでぐるぐる巻きにしてきつく縛り、スタンドに吊るす。イメージ的にはアンコウを捌く時のような感じだ。
吊るすだけだと魔物がクルクル動いてしまうので、適当な木材を地面に突き刺しそれに魔物をしっかり固定する。
「さて、次は首を切って血抜きだぞ」
……。
どうやって?
そう、今日の一番の難関はここである。どうやって魔物の皮や肉を裂くか。血を抜くにしろ、内臓を抜くにしろ、これができないと話にならない。
とはいっても、俺は魔法に頼るしかない。なーに、木の槍でこいつの皮を貫くことができたんだ、切るのもいけるだろ。
まずは手近な木材を使って、ナイフを作ってみる。
うん。見た目はいい。ペーパーナイフより鋭利で、魔法で硬化処理もしているからそこらのペーパーナイフよりもずっと強度もあるはず。
刃こぼれしたら作りなおせばいいので、雑に扱っても大丈夫だ。
そんななかなかに高性能な木のナイフを、吊るされた魔物の首元に当てる。
「んっ!? んお!?」
ぐにっと刃が沈みはするが、少し沈むだけで止まってしまう。
「うーん。やっぱ切れ味が足りないのか」
硬化しているとはいえ、ナイフのブレードの部分も当然木製なので、研ぐのは厳しいだろう。これが木製ナイフの限界なのか、それとも俺のイメージが足りないのか、難しいところだ。
どうしたものかと手を止めるが、ひとつ案が浮かぶ。
「待ってろよ」
と一度ナイフを置き、別の木材で先端の鋭利な小さい槍を用意する。ちょうど先の戦いで使った短槍と同じようなものだ。
すぐにできた短槍を構え、ツタでがっちりと縛り付けられている魔物の喉元を思いっきり突く。
手応えは十分で、魔物の首の皮に小さな穴が開いた。
魔物と戦っていた時の、あの生きている肉をグリグリとかき分けていくような感触を思い出し、また気分が悪くなるんじゃないかとヒヤっとしたが、死んでることがわかっているからか、案外大丈夫だった。
なんて安堵していると。
「うっ」
獣臭さの中に、鉄っぽい臭いが混じってきた。
大丈夫だと安心したのも束の間、突きさした穴から血がたらたらと垂れてくるのを見て、さすがに眉を顰める。一度目を背け、くるっと小さく数周散歩をして、横隔膜が元気に行動を起こそうとするのをゆっくりとなだめる。
「大丈夫大丈夫。血抜きが進んでるってことだしプラスじゃん」
そう自分をごまかすように言い聞かせる。
ふぅ、とひとつ息を吐いてメンタルリセット。
よし、次の作業だ。
首元の皮に開いた穴に木製のナイフの先端を入れ、刃先が皮と肉の間になるように角度をつける。
そうすればあとはパワーだ。
「うおりゃー!」
俺の全力と、魔法の力を合わせて皮の裂け目に力を加える。
最初は皮が引っ張られるだけだったが、ギコギコと刃をずらしながら力を入れると、少しずつだが皮が音を立てて裂けていく。
皮を剥ぐわけではないので、とりあえずある程度皮が開いたら、そこにナイフを突き立てて肉を切る。
弾力があって切りにくいが、皮に比べれば容易いものだ。
「よっしゃ~」
力を入れっぱなしだった手をプラプラと振る。
時間はかかったし、傷口もひどい状態だが、なんとか皮を裂いて首の深くまで刃を入れることに成功した。逆さにしているのもあってか、血もダラダラと首から下に垂れていっている。
「おんなじなんだな」
今更ながら、魔物の血液も俺たちと同じ赤色なんだなと気づかされる。
隣で俺の作業を見つめているスライムたちを見る。
……おんなじじゃない。
生き物が生きてるって、なんか不思議だな。と、漠然とそう思った。
魔物に対し、両手を合わせて合掌をする。
言葉だけでは伝わらない生命の尊さというものを、なんとなく肌で感じとれた気がした。
その上で、これだけ苦労してでも肉を食らおうとしているのだから、俺は人間が恐ろしいとも思う。食うけど。
そうして少し休憩を取り、次はいよいよ腹を開く。
さすがにここは覚悟が必要だが、やらないという選択肢はない。
大丈夫、魚と似たようなもんだろ。と、再び自分を鼓舞する。
「よし、いくぞ!」
と気合を入れて、首の時と同じように魔物の後脚側の腹に穴を開け、そこから皮を裂いていく。慣れてきたのか、腹のほうが皮が柔らかいのか、さっきよりはスムーズに刃が通っていく。
そうして、魔物を固定しているツタを避けながらしばらく魔物の腹を切り開いていると、内臓が重力に負けて体の外に押し出されようとするが、肋骨がそれの邪魔になっていることが分かった。
そういえば日本で見た猪の解体動画では骨を割ってたような気がするな。
しかたないので、魔法の力を使い木材で無理矢理開くようにして肋骨を折る。パキッという意外と軽い音がしたなーと思って見ていると、中から大量の血と内臓が一緒に流れ出てきた。しかも腸や膜などで所々まだ体と繋がっていて、それが俺の目の前で血を垂らしながらだらんと垂れ下がっている。
「うっ……おおおええええええっ」
これまで我慢していたが、さすがに限界だった。
スライムたちが心配そうに俺を見る。
「大丈夫……。大丈夫だけどちょっと休憩」
魔物から離れ、血と脂でドロドロの体を洗い流すように、緩く流れる水路の水にバシャリと浸かる。
――これ、思った以上に大仕事だ。
空を見上げると、太陽は少し傾き始めていた。
「今日中には終わらせなきゃな……」
そう呟きながら、俺は疲弊したメンタルをしばし休ませるのだった。




