15 かいしんの一撃
「おおおお前っ!?」
鼻を鳴らしながら、地面を掻いて突っ込んでくる猪っぽい魔物のその速度の乗った顔面に、横から赤色のスライムが思いっきり体当たりをぶちかました。
初めて見るスライムの敵意剥きだしの攻撃に目を見開く。
赤色のスライムはまるで大型トラックに追突されたかのように空高くふっ飛ばされるが、魔物の方も首を強く弾かれてそのままもんどり打って倒れ地面を滑る。
さらに黄と緑のスライムも追撃とばかりに、前後不覚に陥ってるのか倒れながらバタバタと足を動かして暴れる魔物の顔面に自分の体を打ち付け、二つの破裂音を響かせた。
「えぐぅ……」
ため池の苔をモニモニするようになってからというもの、スライムたちはさらに大きくなっており、今では1匹がサッカーボールを半分に切ったくらいの大きさで、重量も2、3キロくらいはある。
それがこの元気になったスライムのスピードで顔面に突っ込むのだから、威力は相当なものだろう。
例えば、3リットルの水を入れて口を閉じたビニール袋で、思いっきり頭を殴られるところを想像してみてほしい。
……怖い。
痛いというよりも怖い。
目立った外傷こそ見られないかもしれないが、脳震盪を起こすか下手したら首がやられる可能性もある。それくらいの衝撃だろう。
しかし魔物は苦しそうに金切声を上げてはいるが、まだ動ける状態のようだ。
さすがに人間よりは体が頑丈だ。
魔物は立ち上がろうと、前脚を立て上半身を持ち上げる。
――ここしかないだろ!
と、俺は魔物に向かって走り出し、手の中の短い木の槍を両手で握る。
そのまま、まだ立ち上がれていない魔物の腹に目掛けて、両手を押し出すようにして短い槍を突き刺した。
「うわっ」
しかし短い木の槍は魔物の皮の上を滑り、さらには俺も、慣性のまま魔物を乗り越えるようにしてすっころがっていった。
「いてて……」
ダメだ。あまりに慣れてなさすぎる。
相手は体高1メートルほどあるとはいえ、倒れている状態だと突き刺すのにかなり下向きになる。素人が駆け込みながら下段に槍を突く、しかもぶっつけ本番で初挑戦となると、当然うまく行くわけがなかった。
しかも突くことで頭がいっぱいで、手元の握り込みも疎かになっていた。こんなへっぴり腰に浅い握りの状態で、生き物の厚い皮を貫けるはずがない。
素材となる木がないので仕方がないが、俺が作った槍が短すぎるのもその動作の難しさに拍車をかけている。
なんて反省会をしていると、フゴッという唸りが頭の上から聞こえてきた。
ハッ――として顔を上げる。
すると、そこには足元が覚束ないながらも立ち上がった魔物と、その間に立ちふさがる3匹のスライムの姿があった。
「っ……」
両手に乗るくらいの、俺の体と比べても魔物の体と比べてもはるかに小さなその体が、今の俺には大きく、そして力強く見えた。
――情けねぇ。
何やってんだ俺は。
手元の短槍を、ぎゅっと握りしめる。
この世界にきてすぐ、俺はこいつらと出会った。
その時はもっと小さくてトロくて、今にも死んでしまいそうで、俺が助けてあげなきゃって思った。
だけど今はどうだ。
こんなに頼りない俺を、こいつらが身を呈して守っている。
領主になりたいとか、内政チートやりたいとか、そのために早く人間に会いたいとか、そんなことを考えて過ごしていた過去の自分を殴ってやりたい気分だ。
俺はまだ、この世界ではただのちっぽけな生き物のひとつ。勝てば生き残り、負ければ死ぬ、弱肉強食の世界にいるんだ。
「負けらんねぇ……」
まずは勝つ。勝って生き延びる。
マヨネーズも、トランプも、ノーフォーク農法も、複式簿記も、今の俺には関係のない話。俺は一個体の生物として、まずはこの大自然の中で身を立てていかなければならない。
――強くならなきゃ。
まだ見ぬ未来の領民のためではなく、あの日出会った、このスライムたちと肩を並べられるように――。
魔物がけたたましい雄叫びを上げ、前脚で地面を掻く。さらには口元が赤く光り、そこからは炎がこぼれる。
俺はその一挙手一投足を見逃さないよう注視する。
四足歩行の獣が地面を蹴る時の、今では嫌な印象のあるドドドッという音を立て、炎を口に湛えた魔物がこちらに向かってきた。
スライムはまた体当たりでそれを弾こうとするが、距離が近いせいで溜めが効かないのか、その体当たりはどこか力がない。
結果、魔物はスライムをその巨体で弾き飛ばし、そのまま俺に突っ込んでくる。
――冷静になれ。
タイミングを計り、落ち着いてそれを躱す。
俺は頭がいい方ではない。物事を始める前からあれもこれもと考えるが、実際に事に当たると結局想定外の失敗をしてしまう、そういう男だ。
だが、失敗から何も学べないほどの愚か者ではないと信じている。
突進を交わしながら切りつける、そんな手慣れた動きは今の俺にはできない。今は”時”を待って、回避に専念するべきだ。
通り過ぎるようにして少し離れた魔物が、振り向きざまに火球を飛ばしてくる。圧倒的な熱の塊に尻込みしそうになるが、落ち着いて見れば突進よりも躱しやすい。
よっ、と飛ぶようにして回避すると、俺はそのまま横にずれて魔物を挑発する。
「やーい! 下手くそ~!」
飛び跳ね、手を振り、そいつの注意を引く。
手に持っていた短槍も魔物に投げつける。
魔法の力も加わった短槍は思いのほかスピードに乗り、魔物のおでこにサクッとささるが、重みが足りないのか、さすがに四足歩行生物の頑丈な頭蓋骨を貫くには至らなかった。
魔物がフルフルと迷惑そうに頭を振ると、短槍が地面にコロンと落ちる。
まぁそれはいい、本命じゃないからな。
魔物はおでこへの攻撃に怒ったのか、それとも馬鹿にされてるのが分かったのか、こちら見てブンッと鼻から黒煙を吐き出すと、前脚で地面を掻いてまた俺の方に向かって一直線に突進してきた。
「来い!」
さっきと違い、今回は充分な距離がある。
――頼む。
俺一人では魔物一匹倒せない。だけど俺は一人じゃない。
大地を蹴り上げまっすぐこちらへやってくるその姿はまさに猪突猛進。その所作の全てが俺の恐怖心を煽り、俺の決意を砕こうとする。
さらに、魔物は走りながら口を開き、そこから火球を作らんと喉奥から炎を生み出す。
……しかし、その炎が魔物の口から吐かれることはなかった。
「いけーーっ!」
ひとつ前の火球を交わした時、俺が横にずれたことによって再現された位置関係。
赤、黄、緑。3匹のスライムが、疾走する魔物の横っ面を、その小さな体でぶん殴る。
カウンター気味に入ったそれは、魔物の首から上を跳ね上げ、その大きな胴体ごと魔物を吹っ飛ばした。
――今度こそ本当に、ここしかない!
魔物が吹っ飛ぶと同時に、俺はさっき投げ捨てた短槍を魔法で回収しながらそいつに向かって走っていく。
数百キロはありそうなその巨体が、土煙を上げて地面に転がる。
それを追って魔物のすぐ側まで近づくと、その場で滑り止めの鍔を加えた短槍を両手で逆手に持ち、大きく頭上に振りかぶった。
――くらえ。
「うおおおおおお!」
振り下ろすという単純な動作。それに魔法の力も加わり、俺の体の限界を超えたスピードで短槍が魔物の腹部に向かう。
ぶつり。
と、弾力のある肉を突き刺す感触。
急激に手のひらに摩擦と圧力がかかるが、今しがた短槍の持ち手の部分に刀の鍔のような取っ掛かりを加えていたので、反発する力をしっかりと両手で受け止められた。
耳をつんざくような魔物の悲鳴。
「はぁ……はぁ……」
俺が振り下ろした短槍が深く突き刺さる。その姿はまるで、俺が両の拳で魔物の腹を殴りつけているかのようだった。
魔物が暴れ、その脚が俺の腹を直撃する。
それはかなりの力で、俺は吹っ飛んで力なく大地に突っ伏す。
「うっ……うう……」
視界が歪む。
痛いからではない。
手には赤い温もりと、肉を貫く感触。
なぜだかはわからない。
正体不明の涙がじわじわと出てきて零れ落ちそうになった。
それでもまだ戦いは終わっていない。
俺は慌てて立ち上がり、腕で目を拭う。
弾かれたスライムたちがぴょんと跳ねて、俺の足元に帰ってくる。
ひとりと3匹で、腹部から血を滴らせる魔物をじっと見つめる。
腹に木の棒が刺さったまま、魔物はまだ立ち上がろうとしていた。
……早く楽にしてあげなきゃ。
俺はもがく猪のような魔物に手のひらを向け、その体内に深く差し込まれた木の短槍に意識を向ける。
瞬間、腹に刺さっていた短槍がじゅぶじゅぶと水音を立てさらに深く埋まっていき、すぐに魔物の体を貫通するように抜けて行った。
上手く急所を狙えたかはわからない。しかし、その魔物はうなだれるように横になり、10回ほど息をした後……動かなくなった。
終わったのか?
日本にいた頃、実際の狩猟では撃ち殺したと思っても、完全に無力化したと確信できるまでは獣には近づかないというのを聞いたことがある。
死んだように見えてもまだ生きていたり、致命傷を負っていても反射的に体が動いたり、そういった死に際の一撃が最も危険なんだとか。
ふぅ、とひとつ息を吐く。
俺は動かなくなった魔物の少し離れたところで、血に濡れた手もそのままに、その魔物を見つめながらじっと立ち尽くしていた。
力は抜け、頭も回らず、ぼーっとしている俺の周りを、ぴょんぴょんと嬉しそうに跳ねて回るスライムたちが、どこか印象的だった。




