序章:赤いまつり事変
鉛筆がコリコリと紙をこする音がする。エミの手が走るたび、机が小さく震える。
「ううう……、わかんないよぉ〜。勉強つまらない〜! 頭が溶けるぅ……」
宿題に取り組んでいたエミが、ぐでーっとしながら言う。
「ねぇしずくちゃん?」
「なんでござる? 言っておくでござるが、勉強を教えるなんて、拙者にはムリでござるからな」
「あは。それは期待してないよ」
「……致し方ないこととは言え、少し傷つくでござるな」
しずくは貧しい村の出であるため、女も子どもも貴重な労働力だった。故にまともな教育を受けることができなかったのだ。
「そうじゃないよ。ね! 私も冒険に連れて行ってよ! 私、しずくちゃんみたいなかっこいい冒険者になるのが夢なんだ!!」
「いいでござるよ」
「え! 本当?!」
「うむ。寺子屋を無事卒業できたらその時は、冒険者として一緒に旅をするのも悪くないであろうな」
本来であればエミは卒業していておかしくない年齢だ。しかしながら先の事件の影響で休養していた時期が長いため、まだあと半年かかる。
「えーー! 今じゃないの?!」
「今は勉強があるでござろう?」
「だってぇ……」
「勉強は大事でござるよ」
教育をまともに受けられなかったしずくだからこそ、その価値と贅沢さがよくわかる。
しずくの師匠の修行には座学もあった。しかし共にいた期間はそう長くなく、教えてもらえたのは最低限の教養だけ。
今、資料を読んでいるところだが、本来文字を読むことすらしずくにとっては難しく、苦行のそれなのだ。エミにはそうなってほしくはない。
「とにかく、あと半年で卒業でござろう? それまでの辛抱でござるよ」
「うぅ……、ケチぃ」
「何を言ってもダメでござる」
「……ぶぅー!」
エミの抗議を受け流し、資料に目を戻す。
(さてこの字は……、なんて読むんだったでござるか……)
しずくにとっては、刀を振るうより、この小さな文字と向き合う方がよほど骨が折れる。
資料の見出しには、こう記されていた。
———赤いまつり事変。
この国の歴史を大きく変えた大事件である。
事は2年前の降夜叉祭り。4000年もの間、巫女天皇を務めていた"夜叉鬼"を讃える祭りの日の出来事だった。
最も人が集まっていたアマハヤ神社で、突如として惨劇が起きた。
ジンマ教団とは、子どもを犯し、その身体を食らうことで邪神ジンマに近づこうとする、それを教義とした邪教だ。しかし末端の者どもは人肉によって脳を汚染され、それを食らうことに執着するようになった。
結果、人の集まるその祭りで、集団で人々を食らい始めるという残虐な事件が起こった。
また、それを囮として、ジンマ教団が当時手を組んでいた集団の目的であった"セオリの殺害"も、その混乱のさなかに達成されてしまった。
その時、人々の血で祭りの中心部は真っ赤に染まり、人々はこの一連の事件を「赤いまつり事変」と呼ぶようになった。
(さて、何から手をつけたものか……)
有難いとはいえ、師匠はとんでもない課題を残してくれたものだと、しずくはため息をついた。




