序章:プロポーズ
大内裏を出て街に戻る。
ここはデモル京。このシンノミヤ国の中央都市だ。
石畳の通りには行灯が並び、香の煙と鉄の匂いが混ざっている。木造の楼閣の間を走る鉄の線路を、黒い車両が煙を上げながら横切っていった。遠くで汽笛が短く鳴る。
その街並みをどう伝えればいいのか、しずくにはわからない。だが師匠が「まるで教科書で見た平安京みたいだ。でもところどころ時代錯誤だな」と笑っていたのを思い出す。だからそういうものなのだろう。
「おや、しずく殿」
賑やかな街の中央大路を歩いていると男性に話しかけられた。黒髪、黒目、黒い着物に黒縁メガネと、黒一色に包まれた男性だ。
光すら吸い込む黒。それが彼には、なぜかよく似合っていた。
「セキヤミ殿。ご機嫌いかがでござるか」
「貴女に会えたのですから、これが悪いはずがありませんよ」
その人物はセキヤミ。この国の礼ノ司派閥に属している、21歳にしてその最高位の官僚である人だ。師匠が懇意にしていた人の1人でもある。師匠がいなくなってもしずくのことを気にかけてくれていたようで、この街にしずくが来たということを知るやいなや駆けつけ、どんなことでも力になると申し出てくれた。
「……大内裏の方からいらっしゃったということは、もしかすると、例の件で?」
「やはりセキヤミ殿はご存知でござるか……」
最高位官僚にわざわざ隠すこともないと、素直にそう白状した。
「以前から貴女に任せてはどうかという話は出ていましたから。私は止めたのですが……、結局こうなってしまいましたか。しずく殿に全てを押し付けてしまうような形になってしまい、申し訳ない……」
そのこともあって、自分のことを気にかけてくれていたのだろう、としずくは思った。
「気にしないでほしいでござるよ。不謹慎ながらこれもいい修行になると、少し喜んでしまったくらいでござるから」
「しずく殿はお優しいですね。何かあればいつでもお力添えいたします。いつでもお声がけください」
「かたじけない。そちらも何か依頼があればいつでもよしなに」
「ええ」
「では失礼つかまつる」
そういって宿に戻ろうとした時、またセキヤミに声をかけられる。
「あ、あのしずく殿?」
「? まだ何かあったでござるか?」
「い、いえ、その……。先日のお返事はどうかと……」
「っ……!」
しずくはその時の出来事を思い出し、顔がみるみる熱くなる。
実は、セキヤミがしずくのもとを訪れた際、成長した姿に一目惚れしたらしく求婚されていたのだ。
「……えっと……」
その時は突然のことに驚いてしまい、返事を後回しにしてしまっていた。
確かに、そのまま有耶無耶にしてしまうのは良くないだろうと、しずくはその言葉を口にする。
「拙者は女である前に、1人の流浪の武人でござる。一所に留まるつもりもなく、この街も国もいつか出ていくことになる……。ゆえ、拙者はこの国の官僚であるあなたに嫁ぐことはできない。どうか許してほしい」
誤解のないよう言葉を選び、しっかり告げた。
「も、もしっ……! しずく殿にそのつもりがあるのであれば! 私は官僚を辞めても問題ないと……」
「セキヤミ殿」
「はい?」
「それは少し卑怯ではないでござるか? そういった言葉で婚姻を迫られる側の気持ちにもなってほしい」
「申し訳ありません。しずく殿を侮辱する意図はなかったのです。謝罪します」
セキヤミは深く頭を下げる。
「あ、頭をお上げくだされ。なに、拙者が阿呆なのでござるよ。夢も誇りも捨てて、こんなにもお優しい方に嫁げばきっと幸福になれたであろうに……。その幸福を逃した阿呆な女がいた、それだけの話でござる。気にしないでくだされ」
「……はい。……そうだとしても、あなたの夢を応援したい気持ちは本当です。いつでも頼ってくださいね」
「うむ、こちらこそ。では」
今度こそ本当にその場を後にした。
(こんなにも真っ直ぐに向けられた好意を受け取ることができないなんて、拙者は大馬鹿者でござるな……)
背を向けたしずくの姿が夕陽に揺れ、街の喧騒に消えていった。
セキヤミはその美しい黒髪を目で追いながら、胸の奥で小さく息をついた。




