41.もう弱くない
私の心臓がドクンドクンと音を立てているのが分かる。
(落ち着くのよ……。そんなはずがないじゃない。私がジョセフのために時間を巻き戻しただなんて、馬鹿げているわ)
「公爵様……ごまかさないでくださいませ。神話の話ではなく、私の質問にお答えいただきたいのですわ」
「……魔物の姿になった理由は分からない。まるで悪夢のように唐突だったのだ。ある夜、帝都周辺に魔物が出没したと聞き、警備のために森へ向かったのだが――」
――確かに、森には数体の魔物がいた。
私はすぐさま剣を抜き切りかかったのだが、どういうわけか魔物たちは襲ってこなかった。
それどころか、まるで私を主とでも思っているかのように、目の前で跪いたのだ。
その異様な光景に狼狽していた、その時だった。
背後から突然、矢が放たれ、胸を貫かれた。
気配には気づいていたが……避けきれなかった。
致命傷だと悟った瞬間――私の姿は、魔物へと変わっていた。
私はその事実を受け入れられず、気が狂いそうな恐怖を抱えたまま、無我夢中で公爵邸へ戻った。
どうやって人の姿に戻ったのかは覚えていない。
ただ、しばらくして分かったのは…… 。
命が危険にさらされた時、私は魔物の姿になるということ。
そして、人間の傷は魔物になれば癒え、魔物の傷は人間に戻れば治るということだ。
「そんなことをどうやって信じろと……」
「ハハッ、自分でも気が触れて、幻覚でも見ているのかと何度も思ったさ。しかし、これは真実だ、サレット侯爵令嬢」
私もはっきりと魔物の姿は目にした。
それに、私は時間を巻き戻して回帰した身。
「今のお話……信じますわ」
ジョセフの赤い瞳の奥が揺れるのを感じた。
「ありがとう。は、初めは……なぜ、あなたを欲するのか私も理解できなかった。あっ、すまない、そういう意味では……」
「お気遣いいただかなくても結構ですわ。公爵様が私を疎ましく思っていた理由も理解していますし、もう何とも思っておりませんので」
私とジョセフの間に気まずい空気が流れた。
「コホンッ、令嬢……あなたが変わってからだ。私を避けるようになり、他の男を追いかける姿を目にして我慢ならなかった……これは、なんだ?」
ジョセフの間の抜けた答えに、私は先ほどまでの恐怖が全身からすっかり抜け落ち、怒りすら感じていた。
「そんなこと知りませんわ!」
「部下が言うには、私の目が節穴だった、そうだ」
「はぁ……もう、勝手になさってください。私はお暇させていただきますので」
「サ、サレット侯爵令嬢、馬車で送ろう! まったく、どうやって屋敷まで戻るつもりなんだ? ドレスもそんなに汚れているというのに」
「お構いなく。誰のせいで……ああ、もうっ、これでも私、辻馬車ぐらい乗れますの。使用人に見つからないように外へ案内してくださるだけで構いませんわ」
先ほどまでの弱々しさがどこかへ吹き飛んでしまった私を見て、ジョセフは目を細めた。
「やはり……部下の言った通りだ。あなたがこんなに魅力的な人だったとは。変わったのではなく、私が知ろうとしなかったからだな」
ごく普通の令嬢ならば、ジョセフの容姿と甘い言葉に騙されるところだろう。
(残念ね、ジョセフ)
今は過去ではないけれど、全てが変わるわけではない。
悔い改める人以外は、過去のままなのだ。
「公爵様、騙されませんわよ。その呪いのような姿を解くには、『ラピスラズリの杯』が必要なのでしょう? あるいは……落丁していた所に何が書かれていたかは分かりませんが、『ラピスラズリの杯』で公爵様の欲しいものが手に入るのかもしれませんわね」
「アハハ! 本当にあなたは面白い人だ。賢く度胸まである……本気であなたが欲しくなりそうだ」
ジョセフは、私にローブを着せ屋敷の外まで連れ出すと、用意周到に辻馬車を呼んでいた。
目の前にエスコートの手が差し出されたのを軽く掴み、辻馬車に乗り込もうと足を掛けた私は、思い出したようにジョセフの耳元に口を寄せた。
「ああ、そうそう、公爵様の目は節穴ではありませんわよ。私は本当に悪女ですの。ですから、せっかく心を開いてくださったのだけれど――『ラピスラズリの杯』で公爵様をお助けするかどうかは……私の心ひとつ、ということを覚えていてくださいね」
◇
明け方から小雨が降り出し、サレット侯爵家は一層重々しい空気に包まれていた。
「ダン、アイツはまだ目を覚まさんのか?」
たまらず、苛立ちをぶつけるように口を開いたサレット侯爵は、先ほどから落ち着かない様子で部屋を歩き回っている。
「はい、旦那様。魔物の傷も深く、高熱が続いております。医者の話では、命を落としていても不思議ではなかったとか。今は、妹のナタリー嬢が付きっきりで看病しておりますが……」
そこへ、目の下に大きな隈を作ったアベルが、勢いよく部屋に入ってきた。
「宰相、やっとロベル卿が目を覚ましました!」
「……すぐに行こう」
――熱に浮かされ、視界もぼんやりとしているが、ここがあのジメジメとした娼館の地下でないことは分かる。
(俺は……助かったのか? まだ……神は俺を見捨てなかったようだな)
「お兄様……お兄……おにいちゃん!」
ナタリーの悲鳴にも似た叫び声に、やっとロベルははっきりと意識が戻った。
「ナ……ナタ……リー?」
「そうよ、私よ。お兄ちゃんは魔物にやられたけど、一命を取り留めたの」
大きな足音を立て、サレット侯爵がベッドに駆け寄り、ロベルの胸ぐらを掴んだ。
「お前! ユージェニーをどうした! 今すぐ居場所を吐け!」
「宰相! 気持ちは分かりますが、手を離してください!」
「侯爵様! 兄を……お許しください……」
「旦那様! 傷口が開いてしまいます」
面々がサレット侯爵の腕や胴を引っ張り、なんとかロベルから引き離した。
「ロベル卿……僕が分かるか?」
「ア……ベル卿」
「そうだ。僕の妻は魔物にさらわれた。居場所の心当たりは分かるか?」
アベルは、いたって平静にロベルに語りかけたが、こめかみには怒りで浮き出た青い筋が見える。
「……」
「口をつぐんでも無駄だよ。僕たちは魔物のオークション会場に潜入し、君があの場で仕切っていたことをこの目で確認したんだ。違法なことに手を染めた事実は消えないぞ」
「……」
後ろに控えていたルディは前に出ると、魔物の腕に刺さっていた剣をロベルの前に差し出した。
「相変わらず、往生際が悪いな、ロベル。ハァ……だんまりか。切り落とされた魔物の腕に、ドット公爵家の家紋のついた剣が刺さっていた」
「僕の妻の失踪に関係しているのだろう。ドット公爵がオークションに絡んでいるのか? ドット公爵と君はどういう関係なんだ?」
アベルの言葉に、ロベルの口元が薄い笑みを浮かべるように歪んだ。
「貴様!」
今度はアベルがロベルの胸ぐらを掴んだ。
「おいおい! アベル、お前が冷静さを失ってどうするんだよ」
ルディがアベルを羽交い締めにして抑え込む。
「ルディ、離せ! こいつは今……僕の焦りに気づいて、ユージェニーの安全より自分の利を計算したんだ。どうやったら、この状況を上手く切り抜けられるかってね」
「いいだろう、ロベル卿。ユージェニーの居場所さえ教えてくれれば、お前の罪を追放で目をつぶってやる」
サレット侯爵が表情のない目で言い放った。
「……約束ですよ。ユージェニー嬢は、おそらく……」
ロベル卿が話し始めようとしたその時、扉がバーンと大きな音を立てて開かれた。
「お父様、そんな取引する必要ありませんわ! アベル様、その男をしっかり尋問して、牢へ放り込んでくださいませ」
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