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40.因果

 (……寝室? 見慣れた……)


 ――この既視感。


 けれど、ここは私とアベル様の寝室ではない。


 薄暗い室内に目が慣れるにつれ、サレット家の金と白の優雅な調度品ではなく、深い琥珀色の木肌に彫刻の施された重厚な調度品が並んでいると気づいた。


 柔らかな金糸のカーテンの代わりに、厚手のモスリンが窓を覆い、その隙間からこぼれる月明かりが床に淡い影を落としている。

 

 鼻先をかすめた懐かしい香り――ジョセフが好んで使っていた沈香油の香りが胸の奥をざわつかせた。

 

 「気がついたか?」


 その声が、遠い記憶を呼び覚ます。


 (ドット公爵家の――かつての夫婦の寝室!)


 私は横たわったまま、体の奥から込み上げる不快感と焦りにも似た恐怖に捉われ、視線を右へ左へと忙しなく走らせた。


 「心配するな。もう、安全だ」


 (なぜ……ジョセフ……私はここにいるの? 過去に戻ってしまったの? また、あの地獄のような毎日が始まるの?)


 「ああ、ああっ」


 絶望に押しつぶされそうになった私は、呼吸が乱れ、声にならない声を漏らしながら、この場から逃れようと手足を激しくばたつかせた。


 「サレット侯爵令嬢! しっかりしろ!」


 ジョセフは必死の表情で、私を抱き起こそうと腕を伸ばした。

 

 「痛いわ……」


 私の腕を掴む指が食い込み、思わず声が漏れる。


 「す、すまない」


 手を離した次の瞬間、今度は私を強く抱きしめてきた。


 「ハッ! 何をするのですか! やめて……ずっと私を冷たく突き放して……挙げ句の果てに……私とお父様を……」


 朦朧とした意識の中、過去と現在の境界が曖昧になり、私はただ混乱し怯えていた。


 「一体、誰と間違えているんだ? ここはドット公爵家だ。君を害する者はいない。もしかして、アベル卿が君に危害を……」


 「あなたが私にしたことよ!」


 「何……を?」


 戸惑いに揺れ、憂いをたたえた赤い瞳がじっと私を見つめている。


 私の中で、感情を宿したオークションの魔物の瞳とぴたりと重なった。


 (あっ……)


 ジョセフは、私が急に冷静さを取り戻したかと思えば、先ほどとは別の怖れを抱いていることに気づいたのか、私から腕を離した。


 そして、私を落ち着かせるように彼は片手を前に伸ばしながら後ずさりしている。


 私がジョセフのもう片方の手の存在を確かめるように視線を移した。


 「サレット侯爵令嬢、違う……違うんだ。ほら」


 そう言って、ゆっくりともう片方の手を私の前に差し出した。


 「両方あるわ……」


 「そうだ。私はあの醜い姿をした魔物じゃない」


 「……私は公爵様が魔物だと一言も言っていません」


 「……!」


 額に脂汗が光り、ジョセフの喉がごくりと鳴った。


 「公爵様、秘密を知った私をここで葬りますか? あなたの手で……」


 「そんなことするわけないだろう!」


 ジョセフの真剣で偽りのない瞳をじっと見つめた。


 ――この男を信じられるの? 私とお父様を過去に殺めた、この男を?


 私の頭の中で、もう一人の私が叫び続けている。


 (そうよ。この男は……自分の利益のために、私たちを。だけど……)


 「ここは過去じゃないわ」


 「先ほどから何を言っているのか……」


 「公爵様、どうして魔物なんかの姿に? 切られた腕はどうされたのです?」


 「……令嬢、私を信じられるのか?」


 「信じるかどうかは、公爵様のお話を聞いてから決めますわ」


 「ハハッ……本当に私への恋情は残っていないのだな」


 今の私は、過去のジョセフと今のジョセフは違うということしか分からない。


 そして、目の前のジョセフは、まるで私の心が離れたことを惜しみ、魔物であることをさらけ出してでも再び縁を繋ぎ止めようとしている。


 (過去の彼は、付き纏う私を確かに嫌っていた。けれど、突然の求婚には企みがあって……。今世のジョセフも、結局は『ラピスラズリの杯』欲しさに演じているだけかもしれない)


 「ええ、公爵様。私は夫のアベル様を愛しています。公爵様、何があったのか話してください。そして、あなたが……突然、私を欲するようになった理由をお聞かせください」


 私の毅然とした態度にジョセフは少したじろいだが、深い吐息を吐き出すとベッドの端に腰を下ろした。


 ――私は皇室騎士団の役目の合間に、帝国図書館で過ごすのが日課になっていた。


 あの場所まで、あなたのような……いや、今は違うが、私を慕う令嬢たちに追いかけられることもないからな。


 通い続けているうちに、奥へ奥へと誰も近寄らないような書庫まで足を運ぶようになっていた。


 知っているかい? 最奥の部屋は、そこにたどり着くまでに何万と蔵書がある部屋を数十も越えていかなければ着かない。


 だから、最奥の部屋には貴重な書物が保管されているが、よほどの物好きでない限り、行こうとは思わないだろうな。


 私は、ある時、最奥の部屋の薄暗い書架の片隅に『バムア帝国建国史』を見つけたのだ。


 何気なくページをめくっていたが、『蒼杯秘録』という古い建国神話が私の心を捕えた。


 すぐに、これがサレット侯爵家の家宝『ラピスラズリの杯』のことだと思い当たった……。



 「公爵様、その神話についてはアベル様が聞かせてくださいました」


 「アベル卿が? 『バムア帝国建国史』は帝国に一冊しかない。彼もあの最奥の部屋を訪れ、目にしたのか?」


 「いいえ、ブルボン辺境伯家の蔵書だそうですわ。所々、落丁しているようですが……」


 「落丁……ふむ、辺境伯家がそれをどうやって手に入れたかは分からないが、どうやら不届き者が偽造した本のようだな。本物は落丁などしていない。まるで、時代を経ていないように美しいままなのだ」


 「ということは……私たちの知らないことが、本物には書かれているようですわね」


 「令嬢も気づいているようだな。『蒼杯秘録』の神話が今のこの状況を指していると」


 「つまり、神話の神々が力を込めて女神に与えた杯が『ラピスラズリの杯』。そして、その強大な力を使えば、代償がある。帝国に魔物が現れたのは、杯の力の代償。つまり、崩れた自然の摂理と考えるのが一番腑に落ちますわ」


 「私もサレット侯爵家の誰かが杯の力を使ったのだろうと考えた。その矢先に、令嬢、あなたは人が変わったような振る舞いを見せるようになった」


 いつの間にか立場が逆転したように、じわじわと私を追い詰めるジョセフに疑心の目を向けた。


 「公爵様、私が使ったと仰るの? そのせいで、公爵様が魔物の姿になったと?」


 「……分からない。神話では代償を払ったのは……女神が愛した男だからな」


 私の背筋にゾッとするような嫌悪感が走った。


 (そんなはずない――この男のために私が命を落として時間を巻き戻したというの!)

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感想へのお返事は控えさせて頂きますが、大切に読ませていただきます。

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