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37.幕開け

 夜の帳が降りると、目覚めたようにまばゆい光を灯した館――新しく『ミラージュ』という名を冠した娼館へ、私たちは向かっている。


 揺れる馬車の中で、緊張のせいで口の渇きを感じながら黙りこくっている私に、先ほどからアベル様が優しく話しかけてくれる。


「とにかく僕から離れないで。それから、これを……」


 身元がバレないようにと、アベル様は孔雀の羽根のついた葡萄色(えびいろ)のマスクを私に差し出す。


 私たちは、闇に紛れやすい深紫の衣装を選んでいた。


 (こんな時でも、アベル様はセンスが良いのね)


 アベル様もお揃いのマスクを着けると、私をじっと見つめた。


 「不謹慎だけど……とても似合っているよ。綺麗だ」


 そう言うアベル様こそ――マスクから覗くサマーグリーンの瞳は、ため息が出るほど美しく宝石のペリドットを思わせた。


 「今さらですけれど、アベル様はさぞかしおモテになったでしょうね」


 「プハッ、今それを言うのかい?」


 まんざらでもない顔でアベル様は応えた。


 「……他にも僕に聞きたいことがありそうだね」


 「ロベル様とは騎士学校時代の同期でしたでしょう? だから……」


 「もちろん剣の腕は確かだけど、女癖は良くないという噂は耳にしていたよ。野心家で打算的な恋愛を好むとね」


 「つまり、利用価値のある令嬢かどうかで恋愛を楽しんでいたということね」


 「彼の複雑な立場も聞こえてたから、中には同情を寄せる者もいたさ……僕とルディはそうは思っていなかったけど。たぶん、ノア卿もね」


 「ナタリーのことは……」


 「ロベル卿の妹だと知ったのは最近のことだ……本当だよ。彼女は話さなかったからね。でも、僕も彼らの策略にまんまと引っかかっていた。情けない話だ」


 「お父様から聞いたのだけれど……魔物のオークションや帝都の近くにまで出没していることは重要機密なのでしょう? それなのに陛下はなぜ私たちに?」


 「陛下のお考えを量ることなどできないよ。でも、僕はユージェニーと苦難を共有できることに、少しホッとしているんだ」


 「それは……喜びの時も悲しみの時も――」


 私とアベル様の声が重なる。


 「これを愛し、敬い、慰め、助け、 命ある限り、真心を尽くすことを誓います」


 試練を前に、私たちは本物の夫婦となろうしている――。


 (ふふ、おかしいわね。偽物とか本物とか分かるはずもないのに、そんな気がするなんて)

 

 不意に馬車が止まった。


 「アベル様、いよいよですわね」


 アベル様が先に降り、私に手を差し伸べる。


 私を安心させようとする柔らかな笑顔に、心がきゅうっとなった。

 

 (いやだわ、こんな時にもときめいてしまうなんて……。たとえどんな危険が待っていたとしても、アベル様の力になりたい)


 ◇


 「アベル様、ジニー、こちらです」


 娼館の一番奥の部屋に入り、ナタリーが豪奢なカーペットを力いっぱいめくると、床に地下へ続く隠し扉が現れた。


 「まぁ! こんな所から下りるの? はぁ……もうっ」


 「ジニー、気をつけて」


 床の扉を持ち上げランプで中を照らすと、薄暗い階段が下へと続いている。


 「ユージェニー、僕の腕をしっかり掴んで」


 狭く少し勾配のある曲がりくねった階段を苦労して下りると、オークション会場の扉とおぼしき前に、仮面を着けた屈強な男が立っていた。


 男は手に片刃の湾曲した大剣を持っている。


 「私のお客様よ」


 ナタリーの言葉に頷くと、男は重厚な鉄の扉を開けた。


 一歩中に入ると――思わず息を呑んだ。


 松明の明かりだけの黒絹のような闇の中に、地下とは思えない黒と赤で統一された豪奢な空間が広がり、ここが劇場だと言われても不思議ではない。

 

 私たちと同じように仮面を着けた男女が、華やかな衣装や煌びやかな宝石を纏い、整然と並んだ座席で雑談を楽しんでいる。


 客たちの異様な熱気が会場を覆っていた。


 「まったく、愚かな貴族がこんなにも多いとはね。さながらオペラの開演でも待っているようだ」


 居心地の悪さに、アベル様の腕を掴む手をきゅっと強めた。


 「大丈夫だよ、落ち着いて。ここに座ろう」


 赤のビロードの座席に腰を下ろしホッとしたのも束の間、突然明かりが消え、あたりは暗闇に包まれた。


 そして、突然、一筋の光が舞台に立つ仮面の男を照らした。


 「満たされた生活に飽き飽きしている、紳士淑女の皆様! 妖しく神秘的な世界に生きる醜きものたちの(あるじ)となり、今宵も存分に楽しもうではありませんか!」

 

 他の客たちは舞台上の男の正体に気づいていないが、私は分かってしまった。


 (あれは……ロベル様! でも、私の知るロベル様ではないわ)


 「あなた、あの方は……」


 「しーっ、夫人。楽しみはこれからだ」


 私たちは正体がバレないよう、あらかじめ決めていた呼び方で会話を交わす。


 「本当だったのですね。自分の目で姿を確かめるまで、まだどこか信じられなかった。でも、もう疑う余地はありませんわね」


 「これで僕も安心だ。夫人が無用な情けをかけないか心配しなくて済むよ。なんだあの仮面は? 黄金の仮面なんて、まぶしいったらないな」


 アベル様は、すねたように少し意地の悪い口調でひとりごちている。


 そこへ、ガラガラと不快な音を立てて、布がかぶせてある大きな四角い箱型のものが舞台に運ばれてきた。


 「それでは、本日最初の出品はこちらです!」


 ロベル様が興奮気味に客たちを煽っている。


 そして、おもむろに布が外されると悲鳴にも似た歓声が上がった。


 檻の中には今まで見たこともないような生き物が、こちらに向かって雄叫びを上げ、ところ構わず体当たりしている。


 「あれが魔物……」


 額を割るように大きな角が生えた猪のような頭――そして、獣毛に覆われた巨躯で人のように立ち上がり、前肢には分厚いひづめが見える。


 興奮して檻に身体を打ちつけたせいか、全身を覆う鋼のような獣毛には血がべったりとまとわりついていた。


 「想像していた以上に醜く、残酷な生き物だろう?」


 低く怒りを含んだ声音でアベル様が耳元で囁いた。


 人の頭すら飲み込みそうな大きな口から血の混じったよだれを撒き散らし、咆哮を会場中にとどろかせた。


 「ええ……醜いですわ」


 恐ろしさに目を背けてしまいそうになったのだが、思いがけず視線を感じたその先に――魔物の瞳に人のような感情の色が見えた。


 ヒュッ。


 驚きのあまり、私は凍りついた。


 もう一度、目を凝らして確かめる。


 間違いない、その瞳は助けを乞うように揺れていた。

 

 「まさか、人なの?」

感想やリアクションをいただけましたら、とても励みになります。

感想へのお返事は控えさせて頂きますが、大切に読ませていただきます。

よろしくお願いします。

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