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36.新しい関係の始まり

 「私は……ナタリーのことを友人だと思っているわよ。ジニーと呼んでくれないのを寂しく思うほどに」


 ナタリーは鼻先を赤くして、涙の光るくしゃくしゃの笑顔で笑った。


 「ふむ、ユージェニーが赦すというのなら私は構わないが……。但し、ナタリー嬢、わが娘を傷つけたり危ない目に合わせたら、兄もろとも報いを受けると肝に命じなさい」


 「はい……もちろんです、侯爵様」


 「もしかして、ナタリー、ユージェニーが娼館に乗り込んだ――あの日、ドット公爵様が必ず現れると言ったのは、その『蒼杯秘録』の取引を利用したのか?」


 アベル様は少し眉を寄せ尋ねた。


 「はい、アベル様」


 「無茶なことを……。君には情報を流してくれることだけを頼んでいたはずだ」


 「ちょ、ちょっと、待ってください。ねぇ、ナタリー、ドット公爵様は『バムア帝国建国史』を探していたのではないの?」


 「ユージェニー、『バムア帝国建国史』は、各地に語り継がれる建国の神話や逸話を集めた書だよ。 『蒼杯秘録』は、その中でも“蒼の杯”にまつわる伝承を、より詳しく記したものなんだ」


 「その……“蒼の杯”というのは、わが家の『ラピスラズリの杯』? いつかアベル様が聞かせてくださった神話は『蒼杯秘録』に記された神話だったのですね」


 「そうだよ。どうやら、わが家にある古文書と同じものが帝国図書館に所蔵されているようだね」


 私はハッとしてマリーズと顔を見合わせた。


 「それなら辻褄が合いますわ。ドット公爵様は、帝国図書館で『蒼杯秘録』を探していたようですが……盗まれてしまったと。もしかして、ナタリー、あなたが?」


 「いいえ! ……盗もうと思ったのですが、すでに失われた後でした。何が書かれているかも知りません。私は文字が読めないので……」


 「読めない? ナタリー、『蒼杯秘録』の話は他の誰かにしたかい? 例えば……」


 「ロベルとか?」

 「兄にしました」


 アベル様とナタリーの声が重なった。


 皆が同じことを考えているのを、ルディ様が口にする。


 「あのー、話を聞いているとロベル卿からプンプン臭ってきますね」


 「話を整理しよう。ロベル卿は『セクレ』や魔物のオークションに深く関係している。『蒼杯秘録』の行方についてもね。だけど、どうも黒幕ではなく、誰かが背後にいるようだ」


 「アベルの言う通り、俺も背後に誰かいると思います。それが、ドット公爵なのか分からないが、行動からして公爵も無関係じゃない……」


 「とにかく、次の魔物のオークションで探るべきだな。まずは、ロベル卿の悪事の証拠を押さえ、そこから誰に繋がるか……だ」


 「ええ、お父様。それに、その『蒼杯秘録』はわが家の家宝『ラピスラズリの杯』にまつわる古文書。ドット公爵様が欲しているのは『蒼杯秘録』ではなく……」


 「『ラピスラズリの杯』を探っているのだろう」


 (ジョセフ、過去と同じように『ラピスラズリの杯』の力を求めているのね……)


 新しい娼館『トゥール』の地下――魔物のオークションへは、ナタリーの手引きで潜り込むことになった。


 それぞれの使命を確認して、私たちの長い密談は解散となった。

 


 ――「ユージェニーお嬢……いえ、ジニー。私の初恋は終わったわ。ただ、それだけを伝えたくて」


 サレット家の長い廊下を歩く私とマリーズの背に、ナタリーのはっきりとした声が届いた。


 振り向くと、ナタリーが私を真っ直ぐ見つめている。


 「ユージェニー、私はもう行くわね」

 「ええ、マリーズ。またね」


 私はマリーズと短い言葉を交わすと、静かにナタリーに歩み寄った。


 「その言葉、信じていいのかしら? ちゃんとアベル様に想いを伝えずに……それで後悔しない?」


 「ふはっ、ジニーは本当にお人好しね。後悔しないわ。貴族なのに……『セクレ』で、あなたは体を張って私を助けてくれた」


 「それは、私が貴族だからよ。あの状況でナタリーが抵抗すれば、罰せられてしまうでしょう? 」


 「今なら……アベル様がジニーに心を寄せるのも分かるわ」


 「アベル様が? 違うわ。政略結婚だから……お父様とブルボン家を落胆させないように努めていらっしゃるの」


 私の言葉にナタリーは柔らかく微笑む。


 「あっ、だからって、夫の愛人は認めないわよ! これでも私、社交界でも疎まれている悪女だから、そういうのは名誉に関わるの。弱い妻だと思われたら、足元をすくわれてしまうわ」


 「本当に素直じゃないのね」


 ナタリーが、くすくすっと笑いを含む声でつぶやいた。


 「どうして笑うの? ナタリー、本当にそうなのよ!」


 ふふっ、あははっ。


 私とナタリーは、お互いの傷ついた心を癒すように明るい笑い声をあげた。


 ◇


 サレット家の屋敷前では、クレマン家の馬車がマリーズを待っている。


 護衛騎士のノアはいつものように姿勢を正し、屋敷の扉を見つめていた。


 「やあ、ノア卿」


 馴れ馴れしく声を掛けてきたルディを、ノアは無表情のまま一瞥する。


 「……」


 「そんなに警戒されると寂しいなぁ。これからは、協力し合う間柄なん……」


 「だからといって、馴れ合うつもりもありませんわ」


 ルディの背後からマリーズがピシャリと言い放った。


 「マリーズ嬢……、冷たいですね。まだ、『セクレ』での俺の言葉に腹を立てているのですか?」


 「私が? あの時は腹は立ちましたが、そういう意味ではありませんわ。私は家門と親友のために動くのだと、あなたには理解していただく必要があると思いましたの」


 ルディは両手を広げながら肩をすくめ、苦笑いを浮かべた。


 「マリーズ嬢、馬車に同乗させていただいても? 魔物のオークションにパートナーとして潜入するのですから、信頼関係を作る必要がありますよ。危険な任務ですからね」


 おどけた表情には不釣合いな視線をルディから感じ、マリーズは仕方なく頷いた。


 「どうぞ」

 

 「お嬢様、私は馬で並走しますから、何かあれば合図を」


 「何かあればって……人を何だと思っているのですか、まったく」


 ノアはルディの言葉には反応せず、マリーズを馬車に乗せるとサッサッと自分の馬にまたがった。


 「あら? 馬車には乗らないのですか?」


 「やれやれ。乗りますよ。乗せていただきます、お嬢様」


 馬車が走り出すと、見計らったように小雨が降り始めた。


 マリーズはどんよりとした空を見上げ、瞳が不安げに揺らいだ。


 「本当に……大丈夫なのかしら」


 「マリーズ嬢、パートナーが俺では不安でしょうが、必ず守りますよ」


 「あなたは、どんな時も任務が優先なのではなかったかしら?」


 「もちろん任務が優先です。レディをお守りしながら、俺なら完璧にしてみせますよ」


 「大した自信だわ」


 「まぁ、剣術には自信がありますので。……マリーズ嬢、思い違いされているようですが、俺は令嬢たちからの人気もあるのですよ」


 「あら? アベル様のお噂は耳にしておりましたけれど、ルディ様はさっぱり……」


 マリーズはルディと軽口を叩き合ううち、不思議と不安が和らいでいくのを感じた。


 「ハハハッ、レディは負けん気が強い。これなら心配は必要なさそうですね」


 そう言うとルディは突然馬車の扉を開き、軽やかに飛び降りた。


 「あっ! 何をなさるの!」


 走り去る馬車の窓からマリーズが顔を覗かせて後ろに目を遣ると、ルディがこちらに向かって、にこやかに大きく手を振っている。


 「不思議な方だわ……」

感想やリアクションをいただけましたら、とても励みになります。

感想へのお返事は控えさせて頂きますが、大切に読ませていただきます。

よろしくお願いします。

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