34.それぞれの立場
「この命に代えても守ると誓います」
アベルの嘘偽りのない本心だった。
「……君を信じよう」
フィリップはアベルの眼差しと言葉に、どこか安堵の表情を浮かべたが、すぐに険しい顔に戻った。
「ユージェニーが陛下のいらぬ誤解を招いて、この騒動に巻き込まれようとしている。おまけに、娘とドット公爵との仲まで疑い始めている、火のない所に煙は立たぬと。ドット公爵が絡んでいるのか?」
「分かりません。ただ、ドット公爵が『セクレ』に密かに出入りしていたこと、娼婦ナタリーからの情報に興味を見せたのは確かです」
「その、ナタリーとかいう女は何者なのだ? 私は、てっきりアベル卿の愛人だと勘違いしていたのだぞ」
「愛人……? ち、違います! 騎士としての名誉にかけて誓います! ナタリーとは、帝都で魔物を調べていた際に偶然出会っただけで……。地下で魔物の取引があると、『セクレ』の秘密を教えてくれたのも彼女なのです」
アベルの話を整理すると――帝都には来たものの縁談話が進むまで時間があると分かり、単独で魔物の情報を得ようと貴族の集まりだけでなく、街の酒場や賭博場などきな臭い所にも足を運んでいた。
いつものように酒場で、魔物を思わせる噂話でもないか酔客に混じって聞き回っていたが、突然ナタリーが声を掛けてきたというのだ。
「ふむ、なるほど……ナタリーから接触してきたのか……。誰かの……例えばドット公爵の罠の可能性はないのか? あまりにも怪しいではないか?」
「はい。もちろん、僕も最初はそう思いました。でも、どこか貴族を憎んでいるようでしたし、何より魔物の毛と血を持っていたのです。それで、罠でもあえて敵の中に潜り込む方が得策だと考えました」
「『影狼』らしい考え方だな。それで、ナタリーとやらは信用できるのか? ユージェニーが娼館へ行ったのも、その女が原因だ。私にとっては、不安因子でしかない」
「信用できるかは、まだ分かりません。僕は信用して彼女を利用していたわけではありませんから。ただ、こうなった以上、お互いの手駒を盤上に並べて、真実を見極めていくしかありません。それから、宰相の情報源はノエル卿ですか?」
アベルは貼り付けた笑顔を浮かべ、フィリップはバツが悪そうに咳払いをした。
「バレていたか……。ふん、話を戻そう。君の言い方だと、魔物のオークションを企んだ黒幕はドット公爵と限ったわけではなさそうだな。一体、どうなっているんだ? ドット公爵……油断ならぬ男だ」
「まだ、誰が黒幕か分かりません。『セクレ』での作戦が失敗しましたから……。それに、魔物が現れた理由を突き止めないことには……宰相、何か思い当たることはありませんか?」
アベルは心のどこかで疑っている、核心的な部分に触れる緊張からか、自分の声が少し震えているのが分かる。
「私にも分からんよ」
しかし、フィリップはなぜそんなことを聞くのかと言わんばかりに目を丸くし、素っ気なく答えた。
それから二人は、朝靄が窓の外を覆う頃まで今後のことについて話し合ったのだった。
◇
私は、『再び娼館へ行く』ことを陛下から命じられたということが、どうしても納得できずにいた。
(撤回してもらおうと頼むにも、お父様とアベル様も忙しくしていて、私と話すのを避けているようだわ。それで、屋敷の中に張り詰めた空気が漂っているのは良くないわね)
数日が過ぎ、このまま何も起こらないと思っていた矢先――。
「お嬢様、旦那様が応接間に来るようにとのことです」
ダンの硬い表情からして、良い話ではないと直感した。
応接間の扉を開くとソファに座るお父様とアベル様……。
「あの、ルディ様? ようこそお出でくださいました。えっと……マリーズ……どうしたの? 今日は約束していたかしら?」
確信なく青い髪の青年に形ばかりの挨拶をし、見慣れた後ろ姿に呼びかけた。
ノエルも一緒だ。
「それが……昨日突然、おじ様からお招きいただいて……」
「ユージェニー、まずは座りなさい。マリーズは、私が招待したのだ」
お父様に促されて、戸惑いながらもマリーズの横に腰を下ろした。
「旦那様、お客様がお着きです。お通ししてもよろしいでしょうか?」
静かに頷いたお父様が、ちらりと私の顔を心配そうに見ている。
(どなたかしら?)
私が咄嗟にマリーズの方へ顔を向けると、マリーズも戸惑ったように首をかしげた。
静寂に満ちた応接間に、ダンに案内され一人の人物が入ってきた。
「こんにちは。あの……」
その人物はそう言ったきり、居心地が悪そうに扉の前に突っ立っている。
私は心臓が飛び出そうなほど驚き、瞳を大きく見開いた。
マリーズがガシャンと音を立ててティーカップを置き、私と同じくらい動揺しているのが分かった。
「どうして……ナタリーがここに?」
予想もしなかった状況に、思わず私は大きな声をあげたが誰も答えようとはしない。
ダンはお父様の目配せに反応して、空いている席――マリーズを挟んで私とは反対隣の席をナタリーにすすめた。
そして、お父様は揃った顔ぶれをぐるりと見回し、最後に私と視線を合わせると静かに話し始めた。
「なぜ今日、君たちをここに集めたか――理由は一つ。『セクレ』が燃えたあの夜、君たちは皆、現場にいた」
「待ってください、お父様。どうして……そのことをご存じなの?」
私はアベル様の方へ疑いの目を向けながら、お父様に尋ねた。
アベル様は否定するようにまばたきを繰り返している。
「ユージェニー、それは今、重要ではないが……お前を守るための協力者、そういうことにしておこう。では、アベル君、説明を始めてくれ」
すると、アベル様は流れるようにこれまでのことを話し始めた。
最後に、この話を聞いた者は口外無用、破った者は陛下に背いたとみなす、と付け加えて。
私は思いも寄らぬ、重大で複雑な話に、頭も心も追いつかない。
――コホン。
マリーズは咳払いすると、私の聞く勇気が持てない問いかけを代弁してくれた。
「この方……ナタリーさんを信頼されているのですね。どういうご関係ですの? アベル様」
(聞きたいような……聞きたくないような)
アベル様の答えが怖くて、私は思わず目を伏せた。
「ええ、今のところは。彼女は僕の協力者です。誤解のないように言いますが、利害だけの関係です」
言い終えると、アベル様は私のそばへ歩み寄り、膝をついてそっと私の手を包んだ。
「もし、ナタリーと僕の関係を疑って『セクレ』へ来たのなら、誓って何もない。ユージェニー……僕たちの始まりはどうであれ、君を大切に想っているんだ」
「アベル様……私……」
私の瞳から大粒の涙がこぼれた。
後悔の気持ちだけじゃない。
目の端に映るナタリーの震える肩が、過去の私と重なって見える。
それが、今の私ではない誰かの痛みであっても、胸の奥を容赦なく貫いてくる。
――コホン。
再び、マリーズが咳払いをした。
「アベル様、つまり……陛下の命で『セクレ』の地下で開かれる魔物のオークションを暴くはずだったのに、私たちが台無しにした……だから、その責任を取れということですか?」
「そうです、マリーズ嬢」
「そんな……マリーズは関係ありませんわ! 私がしでかした責任は自分で取ります。どうか陛下にもそうお願いしてください……。マリーズを危険なことに巻き込みたくないの」
私は、お父様とアベル様にすがるように懇願した。
「ユージェニー、もう個人で責任云々という次元ではない。陛下は、サレット家だけではない、ここにいる貴族家――クレマン、ブルボン、コルマンの忠誠を試しておられるのだ」
「すまない、ユージェニー。僕が迂闊だったよ……。離婚したがっているようだったから、僕には興味がないと思い込んで油断していた」
(ううん、違うわ。私のせいよ。魔物を誰かが利用しようとしているなら、陛下が疑心暗鬼になるのも分かるわ。……過去でも魔物は現れていたのかしら? でも、どうやっても、ジョセフ……あなたとは縁が切れないわね)
覚悟を決めてマリーズを見ると、彼女もまた、まっすぐに私を見返してきた。
「ごめんなさい、マリーズ」
「ふふっ、ユージェニー。私たち親友でしょう」
(この一言で、何かが起こるのが怖い。でも……)
私は声にならない恐れを、喉の奥で押し殺し、あの日――娼館で見た人物の名を口にした。
「私……娼館で……一瞬でしたけれど、ドット公爵様の姿を見ました」
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