20.帝都図書館へ
帰りの馬車の中――言葉を交わすこともなく、静かに時間だけが過ぎて行く。
この沈黙が、今の私には心地いい。
「サレット家に到着しました」
ノエルが淡々と告げた。
「マリーズ、ありがとう。寄ってもらいたいところだけど、今日は……」
「ええ、気にしないで。今日はゆっくりした方がいいわ」
私がクレマン家の馬車を降りたところで、不意に、鼻にかかった少し高音の甘い声がした。
「おかえり、楽しい一日だったかい? こんばんは、マリーズ嬢。お会いするのは結婚式以来でしたね?」
ちょうど、アベル様が戻ったところに鉢合わせたのだった。
「ええ、こんばんは、アベル様。今日は、私がユージェニーを連れ回して、疲れさせてしまいましたの。ですので、私はここで……」
「残念ですが、またお会いしましょう。それに――久しぶりにノエル卿と剣も交えたいですから」
私とマリーズは、アベル様の言葉に驚いた。
「うちのノエルをご存じですの?」
「どうしてノエルを知っているの?」
「アハハ、本当に姉妹みたいだね。ノエル卿とは騎士学校で同期だったんだよ。マリーズ嬢もご存じなかったのかな?」
「私の護衛騎士となるために、ノエルは騎士学校で学びましたが……まさかアベル様と同期だなんて思いもよりませんでしたわ」
「お嬢様、ユージェニー様もお疲れのようですし、この話はまたの機会にされてはいかがですか?」
「そ、そうね。アベル様、ユージェニー、またお会いしましょう」
ノエルに急かされるように、マリーズはサレット家を後にした。
「ユージェニー、僕を質問攻めにする気だろう。でも、まずは食事と休息だよ。この話はまたね」
私を子ども扱いしてなだめるアベル様が憎らしいような、ほっとするような……。
(私、アベル様に安心感を感じてる? ううん、屋敷に着いて気持ちが緩んだだけよ)
◇
あの日――店主のおじいちゃまから聞いた話は、私を複雑な気持ちにさせた。
(小さな恋が終わっただけ……)
初めは、私の知らないロベル様とその女性の仲睦まじい姿を想像しては騙されたと怒り、心は醜い感情でいっぱいになった。
でも、不思議とロベル様を失った悲しみや悔しさはなかった。
「ねぇ、マリーズ、この気持ちが失恋なのね……」
「失恋? ユージェニー、失恋と呼ぶには少し……なんて言えばいいのかしらねぇ」
今日はマリーズがサレット家へ遊びに来ている。
アベル様はマリーズと軽く挨拶した後、辺境伯騎士団の仕事だとかで出ていってしまった。
「えっ、違うの?」
「失恋は、本気の恋にしか生まれないわ。で、でも、気になるのは、ロベル様から何の連絡もないのでしょう?」
「ええ、一度も。すべて一時の感情だったのよ……」
言葉が途絶えそうになるのを、マリーズが話題を変えるように明るい声で話し出した。
「ねぇ、アベル様って、お忙しい方なのね」
「えっ? ええ。放蕩息子だと聞いていたから、てっきり、ぐうたらした方かと思っていたのよ。でも、辺境伯騎士団の帝都で活動する小さな部隊に所属しているらしくて。形だけでしょうけど」
(アベル様のご両親や親族は、一人も結婚式に出席されなかった……やっぱり確執があるのね)
「そうだわ、ユージェニー、もうすぐ皇后様の誕生祭ね。準備は済ませた? ちょっと気晴らしに宝石でも見に行きましょうよ。いつもの……」
「い、いつもの宝石店は、だめ!」
長く通っている宝石店に行きたがらない私をマリーズは不思議そうにしている。
(もう、あの宝石店には行けないの。だって、ジョセフが貸し切って……そういえば、お父様、あのイヤリングどうしたのかしら?)
「気に入っていたお店なのに? セレナさんに贈ったジュエリーが素敵だったから、私も欲しくなったのだけれど……」
(せっかくマリーズが気分転換を考えてくれたのに)
気が引けた私は、咄嗟に別の行き先を口にした。
「皇后様の誕生日祭の準備は済ませてしまったの。その……新しい宝石店は今度紹介するから、今日は本を探しに行かない?」
「ええっ、またロマンス小説?」
呆れた顔をしているマリーズの目の前に人差し指を立て、左右に振った。
「チッ、チッ、チッ、マリーズ嬢、もっと文化的な本ですわ。古文書を探すのを手伝ってほしいの」
「古文書?」
私は恋に気を取られているだけではなかった。
(『ラピスラズリの杯』の神話を読みたいけれど、アベル様とご実家は疎遠そうだから言い出せない。それに一冊とも限らないじゃない? それなら、この帝都のどこかにあるかもしれないもの)
「『ラピスラズリの杯』について調べたいの。わが家の家宝なのに知らないことが多いから」
「確かに、あの神話の物語を聞くとロマンを感じるものね。いいわ、行きましょう。ねぇ、まずは帝都図書館に行くのはどうかしら?」
「それ、いい考えね!」
私とマリーズが帝国図書館に行くと言い出すと、ノエルは信じられないという顔をした。
「お嬢様、ユージェニー様、図書館にロマンス小説はありませんよ」
すかさずマリーズがノエルの頬を軽くつねる。
その仕草があまりにも微笑ましくて、私は思わず笑ってしまった。
(この二人って、まるで兄妹みたい)
そうやって、私たちは笑い合いながら軽やかに出発した。
◇
「ここが帝都図書館……お、大きいのね」
「ユージェニー、まさか、初めて来たのではないわよね?」
私は瞳を泳がせながらも、知った風を装って図書館に足を踏み入れた。
「レディ、ご予約のない方は、あちらで受付を済ませてから入館願います」
図書館の入り口に立つ門番に止められ、ぎこちなくマリーズの方を見た。
「マ、マリーズ……予約って、必要なの?」
マリーズが額に手を遣り、首を振った。
「貴族令嬢が帝都図書館を訪れるのが初めてだなんて……。予約がない場合は、受付で身分と名前を知らせるのよ。帝都図書館は、公立図書館と違って貴重な本ばかりだから、貴族以外は入れないの」
無事に受付を済ませ中に入ると、貴族たちが静かに本を読んだり探したりしている。
天井が高く広々とした館内は、しっかりとした木製の本棚にぎっしりと本が並んでおり、足音とページをめくる音以外は、すべてどこかに追いやられてしまったような静寂さに包まれていた。
私はというと、天井まで伸びた本棚を、首が痛くなるほど物珍しそうに仰ぎ見ていた。
(上の本はあの梯子を使って取るのね。それにしても、声を出すのも憚られるわね)
「マリーズ、こんなに広いんですもの、私たち分かれて本を探しましょう」
これ以上の小さな声は出せない、というくらいの小声で話しかけた。
「ええ、そうしましょう。ノエルもいいでしょう? ここは貴族しかいないし」
「そうですね、まぁ、いいでしょう。でも、何かあれば大きな声で呼んで下さい」
そういうわけで、三人が別々になって探すことになった。
しかし、私はお目当ての古文書ではなく、意外な人物の姿を見つけてしまい狼狽えた。
「ユージェニー様、どうされましたか? そんなに小さく床に屈んで……本の隙間から何を見て……オワァッ」
たまたまノエルが近づいてきたので、私は腕を引いて床に座らせた。
「しっ! 静かにして。ノエル、あれを見て……」
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