2.不幸な結婚の記憶
時間が巻き戻ってから一週間ほど、私は部屋に籠り、この状況と過去の記憶を整理していた。
(どうしてあんな恐ろしい目に……ジョセフを好きになったから? 違うわ、全ての悲劇の始まりは結婚よ)
◇
一度目の人生での夫――ジョセフ・ドット公爵。
美しい容姿と若き公爵でありながら皇室騎士団団長という肩書。
社交界で彼を狙う令嬢は数多いたが、私もジョセフに一目で恋に落ちてしまった。
鍛えられた体躯、スッと通った鼻筋、銀髪の前髪から覗く赤い瞳。
長いまつ毛が動くたび――『その瞳を独占したい』と、いつも願っていた。
(過去の私は、恋人でもないのにジョセフに近づく令嬢たちを露骨に牽制したりして……周囲にも本人からも嫌われていたわね)
そんな私にも親友と呼べる令嬢が一人だけいた。
クレマン伯爵家の愛娘マリーズ。
聡明で淑やかなマリーズとは何もかも正反対だったけれど、違うからこそ馬が合うのか……とにかく私たちは、本当にお互いが大好きだった。
ただ、過去での私たちの友情は、ジョセフとの結婚がきっかけで疎遠になってしまった。
(マリーズが私の結婚を最後まで反対してたから、ケンカ別れのようになってしまったのよね……)
だけど、時間が巻き戻った今、しんみりしている場合じゃない。
(過去の記憶なんて思い出したくもないけれど、同じ目に遭うなんて御免だわ!)
◇
――時間が巻き戻る前の記憶。
ジョセフが突然、嫌っていたはずの私に結婚を申し込んだ――あの日から私の運命の歯車は狂ったのだ。
その夜の舞踏会はジョセフも参加すると聞き、張り切って彼の到着を待っていた。
「マリーズ、どうかしら? 今日の私も魅力的でしょう?」
私は露出の高い銀色のドレスを身に纏い、マリーズの前で得意げにクルリと回ってみせた。
「どうって……ねぇ、ユージェニー、あなたは見た目が華やかだから、もっと落ち着いたドレスでも十分魅力的だと思うけど」
「地味なドレスじゃ、ジョセフ様は振り向いて下さらないわ」
「ドット公爵様のどこがそんなに良いのかしら?」
「マリーズこそ信じられない! ジョセフ様の魅力が分からないなんて」
いつもの調子でやり取りしていると、にわかに周囲の令嬢たちが色めき立った。
(ジョセフ様だわ!)
私は急いで令嬢たちを押し退け目の前に立ったが、ジョセフは一瞥もすることなく通り過ぎた。
「あんなにアピールして見向きもされないなんて」
「プッ、恥ずかしくないのかしら」
令嬢たちからクスクスと嘲笑が聞こえた。
恥ずかしさと悔しさで一気に体が熱くなる。
「もう一度言ってみなさいよ!」
怒りに任せて、令嬢たちに振り上げた私の腕をマリーズがグッと引き止めた。
そして、マリーズは落ち着いた声で令嬢たちに言い放った。
「誰がサレット侯爵令嬢を笑えるというの? そこの男爵家の……名前も浮かばないわ。あなた方こそ、公爵様との縁談なんて夢物語ではなくて?」
マリーズは私の恋を応援していたわけではないけれど、どんな時も私の味方だった。
「マリーズ……ありがとう」
翌朝、昨夜の舞踏会での屈辱に涙がジワッと滲んでくる。
(何よ! 下級貴族の令嬢ごときが私をバカにして……。どうしてジョセフ様は振り向いて下さらないの? こうなったら、お父様に縁談をお願いするしかないわ!)
「お父様、お願いがあるの。ジョセフ様に縁談を申し込んで下さい!」
「……ダメだ」
「どうして? 宰相であるお父様の立場を使えば、他の貴族より有利でしょう?」
「ユージェニー! 情けない娘だ……権力とは自分のために使う力ではないのだぞ!」
「私の幸せはどうでもいいの? お父様なんて大嫌いよ!」
半ばストライキのように部屋に閉じ籠って数日経った頃、突然ジョセフがサレット侯爵家にやって来た。
応接間に呼ばれた私は舞い上がる気持ちを抑え、お父様の隣に座る。
「宰相、私はユージェニー嬢に結婚を申し込みます」
(やっぱり、お父様は私の願いを聞いてくれたのね!)
嬉しさで耳まで真っ赤になった私に対し、お父様は青ざめ、言葉を失っていた。
ジョセフはその様子を楽しむように、余裕たっぷりに口を開いた。
「宰相? 令嬢は私を慕ってくれていますし、侯爵家にとっても価値のある結婚のはずですよ。もちろん格下の家門が拒否などできませんが……私なりに最大限、礼を尽くしているのですよ」
(お父様はどうしてお答えにならないの? ジョセフ様の気が変わってしまうじゃない!)
「喜んでお受け致しますわ!」
「ユージェニー!」
お父様は大きな声を上げたが、宰相でも、公爵家に逆らうのは無謀だった。
政治を嫌というほど知り尽くしているお父様は、諦めたように小さくため息をついた。
「娘を、どうか娘を幸せにして下さい。私の願いはそれだけです」
それから流れるように婚約をし、20歳を迎えるとすぐにドット公爵家に嫁いだ。
しかし、夢見たような幸せな新婚生活ではなかった。
ジョセフや使用人たちに存在を無視され、孤独と苛立ちで次第に心は壊れていった。
それでも、お父様やマリーズに弱音を吐くことはできなかった。
(くだらない執着やプライドなんて、さっさと捨てれば良かったのに……)
でも、すべてが遅すぎた。
『なぜ私と結婚したのか』
その真実を知った時、私とお父様はジョセフの剣によって最期を迎えようとしていた。
「ジョセフ、どうしてこんな事ができるの!」
狂気に満ちた赤い瞳を光らせ、薄笑いを浮かべたジョセフの手には、『ラピスラズリの杯』と血に染まった剣が握られていた。
「ハハハ、お前の価値はサレット侯爵家の直系というだけだ。それも『ラピスラズリの杯』が無ければ、結婚などしていないさ」
『ラピスラズリの杯』は、溢れるほどのお父様の血で満たされていた。
「知らないのか? 『ラピスラズリの杯』はただの杯じゃない。この杯には、どんな願いも叶えてくれる魔力が込められているのだ。まぁ、サレットの血でこの杯を満たす必要があるが……何でも対価は必要ということだ」
「なに……それ……そんなこと知らないわ。血で杯を満たす? それでお父様をこんな姿にしたというの?」
「その頭じゃ理解できないだろう。最初からお前はただの人質であり生贄だったのだが、宰相が娘のために杯と血を差し出してくれたおかげで要らぬ手間が省けた。ハハハハハ」
床に横たわっているお父様に駆け寄り首の傷を両手で塞ぐが、もう手遅れだと分かる。
「悪魔! 最初から私を利用するつもりだったのね。それでも皇室騎士団団長なの!」
「皇室騎士団団長? ハッ、反吐が出るな。俺が好き好んで皇帝の犬になったと思うのか? ああ、昔から宰相は皇帝の忠犬だったな。俺は、そんなサレット侯爵家が大嫌いだったよ」
そう言うと、何の躊躇いもなくジョセフは、私の心臓に目がけて剣を突き刺した。
お父様の口元が、おもむろに弱々しく動いた。
「お……おとう……さま、な、に……?」
ジョセフへの憎悪が心の底から湧き上がったが、剣に貫かれた激痛で意識が朦朧とし、その後のことは覚えていない。
(だって目覚めた時には、私の時間は巻き戻っていたのだもの)
感想やリアクションをいただけましたら、とても励みになります。
感想へのお返事は控えさせて頂きますが、大切に読ませていただきます。
よろしくお願いします。




