18.『ラピスラズリの杯』と神話
「それでは、屋敷の案内はこれくらいにして、ティータイムをしながら話すのはどうかな?」
「もちろん、賛成ですわ!」
私たち夫婦の部屋にティータイムの準備をするよう、ニナに頼んだ。
「ニナ、お茶菓子は頼んだものを用意してくれた?」
「はい、お嬢様。旬を迎えたばかりで、いい香りがしておりますわ」
ニナが出て行くと、アベル様が不思議そうにお茶菓子を眺めている。
「これは、いちじくかな?」
「ええ。ここに黒胡椒を軽くふって……。そんな顔しないで、騙されたと思って召し上がってみて」
アベル様は半信半疑でナイフとフォークでひと口大にカットすると、さっと口に運んだ。
「う……うまい。ちょうどいい塩味と爽やかな甘さがクセになりそうだよ」
「お気に召して良かったわ。いちじくの上にクリームチーズをのせて、蜂蜜を垂らしているの。これなら甘すぎず、小腹が空いているティータイムにはぴったりでしょう?」
柔らかな日差しが部屋の中を包み、昨日のハチャメチャな結婚式が嘘のように思えるほど、穏やかなひとときが流れていた。
「ふふふっ、こうしてアベル様とのんびりティータイムだなんて、なんだか不思議ですわね」
「アハハッ、確かに不思議だよ……人の縁というものは。おっと、『ラピスラズリの杯』の神話を聞かせるのだった。でも、あくまでもその本に書かれていた神話だから、真偽のほどは想像にお任せするよ」
――バムア帝国が建国されるより、はるか昔。
小さな願い事しか叶えられないような、わずかな神力しか持たない美しい女神がいた。
ある時、女神は偶然出会った人間の男を愛してしまう。
やがて男も女神を愛するようになり、幸せな日々を送っていた。
しかし、あっという間に時は過ぎて、その幸せも終わりを迎えようとしていた。
人間の寿命は神の寿命に比べると、とても短かったから。
「女神よ、僕を愛してくれてありがとう。僕の命はもうすぐ尽きてしまうが、あなたへの愛は永遠だ」
「離れ離れになるのは嫌よ!」
女神には、男の意識が遠のいていくのが分かった。
満天の星空から二人の様子を見ていた神々に、女神は祈りを捧げた。
「輝く神々の星たちよ、どうか私の願いを叶えてほしい」
すると、女神を憐れに思った神々は、その力をひとつの杯に込め、女神に与えた。
「女神よ、お前の願いは何だ?」
「彼を失いたくないの……愛しているの」
「ふむ、お前の心に偽りはないか?」
「ありません!」
「ならば、お前の捧げられる力をその杯に込めるがよい」
「私には、捧げられる力など何もないのに……」
そうしている間にも男の心音が弱まっていく。
「夜空の星の輝きを宿す神の杯よ――私が捧げられる、たったひとつのものを、どうか受け取ってください」
杯に捧げた女神の力によって、男の寿命は永遠のものとなった。
しかし、二人は神々の大きな力を使った代償を払わねばならなかった。
それは女神の命と、ひとり生きながらえる男への試練だった。
愛する人のいない世界で、男は崩れた自然の摂理との長い戦いの末、国を興しバムアと名付けた。
――「というような物語だよ。どうだい? 古文書だから、破れたり文字が消えていたりで全て解読できているわけではないけど……って、わっ、わっ、ユージェニー?」
神話の物語を聞いていた私は、なぜか女神の切実さと男の孤独が胸に迫り、気づけば自然と涙が頬を伝っていた。
「思っていたより、悲しいお話だったから……。それに、アベル様が情感たっぷりで聞かせてくださったからかも」
「ユージェニーには驚かされてばかりだよ。これは建国の神話でもあるみたいだし、昔のお偉いさんが考えたおとぎ話のようなものだよ。さあ、もう、泣きやんで。楽しい話をしよう」
(聞いていた印象とは違うんだよなぁ。単純……素直なんだろう。ドット公爵への執着も、愛されることしか知らない不器用さゆえか…。公爵のような男には迷惑な話だろうけど、こんな姿は誰にでも見せるもんじゃないな。ロベルのような男に都合良く利用されてしまうだけだ)
◇
新婚生活は、毎日、あまりにもアベル様が甘く優しいせいか、ロベル様への揺らぎも、ジョセフへの警戒心も薄れていくようだった。
だけど、新しい感情が私を悩ませていた。
(こんな時は……マリーズ! 結婚式の後、しばらく会えていないから。今日は、アベル様も騎士団へ行ったというし、ふふふ、マリーズ、今から会いに行くわー!)
――「とにかく、今すぐの離婚はできないわ」
「ユージェニー、あなた、人の家に来て、唐突に物騒な話をするのね」
マリーズと護衛騎士のノエルが少し小首を傾げ、呆れ顔で私をまじまじと見ている。
「アハハ……ハ……、だって、結婚式では好きでもない人と夫婦になるなんてと思っていたのだけれど」
「アベル様が意外といい男だったって?」
「マリーズ……直球すぎるわ」
「ユージェニー様、当たっているのですね」
そう言いながら、ノエルは笑いをかみ殺している。
「ノエル、笑わないの。レディの恋心は複雑なのよ。それで、ユージェニーはこの結婚を続けていく決心がついたのね」
「えっと、それが……結婚式の当日にロベル様が現れて、バルコニーで告白……結婚を申し込まれ……たの……」
マリーズとノエルは大きく目を開き顔を見合わせると、マリーズは驚きというより、どこか怒った様子でテーブルをダンッと叩いた。
「なんですって……あの男、見かけによらず、とんだ食わせ者だったのね!」
「マリーズ、話を聞いて。ロベル様は悪くないのよ。求婚状を確かに送ったと仰ったの。だから、たぶんお父様が……」
「ユージェニー、貴族の結婚は家門にかかわることよ。フィリップおじ様が破棄されたのなら、ロベル様は諦めるしかないっていうのに……結婚式当日にそんなことを言うだなんて!」
「はい、お嬢様の仰る通りです。騎士ならば尚の事、厚顔無恥にもほどがあります」
「マリーズとノエルの言うことも分かるけれど、私はロベル様のことをそこまで悪く思えないの」
私は、ちゃんと二人を納得させられるだけの理由も見つからず、情けなくて涙が滲んでくる。
すると、マリーズが私の手を取り、駄々っ子をあやすように優しく話を続けた。
「私は、この結婚、悪くないと思うわ。アベル様は次男といっても、ブルボン辺境伯家は名門よ。それに比べて、ロベル様のダルボン男爵家は平凡な、むしろ取り柄のない家門だわ」
「そうだけど……」
「ユージェニーが思う理想の出会いからの結婚ではなかったかもしれないけれど、政略結婚としてはフィリップおじ様は最高の相手を選んでくださったのよ」
「それも一理あるけど……」
「はっきりしない態度ね。あなたらしくないわよ」
(時間が巻き戻ってから、初めての恋だったかもしれないの。だから、ちゃんと自分で納得して終わらせたいのよ)
「あっ!」
閃いた私が大きな声を上げると、マリーズがビクッと体を揺らした。
「ちょっと、びっくりするじゃない! また何か変なことを思いついたのでしょう?」
「ロベル様のことで、心に引っ掛かっていることがあるのを思い出したの。その真実が分かれば、気持ちをはっきりさせられるかも……」
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