15.私の気持ち
すっかり日も暮れて、披露宴会場であるサレット侯爵家の別邸では、すでに招待された貴族たちで溢れていた。
アベル様にエスコートされ、私は表情のない顔を隠そうともせず、ゆっくりと階段を下りた。
披露宴のために準備した新婦の衣装は、青々とした森の陰影を思わせる美しいグリーンのドレス。
ニナの説明では、アベル様のサマーグリーンの瞳に合わせて作られたらしい。
(赤い髪にグリーンのドレスだなんて……どこかの国の祝祭じゃあるまいし)
歩くたびに、ドレープに散りばめられたダイヤが星屑のようにきらめき、招待客のあいだから小さな感嘆の声がこぼれた。
(確かに、黙っていれば美しい令嬢なんだけどな。だからって、ここまで心を閉ざさなくても……まぁ、仕方ないか。ふーっ、ユージェニー嬢は、どうやら論理的思考より直感や感情で動く性格のようだな。それなら――)
「ユージェニー、とても美しいですよ」
「ドレスが? それに、呼び捨てを許した覚えはありませんわ」
アベル様は私の赤い髪を手に取り、軽くキスをした。
「それくらいは許して欲しいな、ユージェニー。僕はもう、とっくに恋に落ちているのに、あまり冷たくされると寂しくなるよ」
熱烈でもなく静かに私の目を見つめて囁かれると、心臓が早鐘を打ち始めた。
(顔は無駄に良いのね……ああ、もう、私のドキドキ止まりなさい! これは、顔、顔に反応しているだけ。そう、生理現象よ!)
「そ、そんな手のひらを返して言い寄ったって、き、気持ちは変わりませんから」
「ハハッ! 本当に可愛いね。だけど……少し疲れているようだ。面倒な招待客の相手は僕がして来るから、少し休んでいるといいよ」
そんな優しい言葉にもツンとしてみせたが、アベル様は動じる様子もなく人懐こい笑顔を残して、挨拶回りに行ってしまった。
「ユージェニー! どういうこと!?」
マリーズが驚いた様子で駆け寄ってきた。
「私も分からないの。もしかしたら、お父様が何か勘違いしたのかも……」
(ユージェニー、本気でそう思っているの!? でも、セレナさんから、ロベル様には他に女性がいるかもしれないと聞いていたから、これで良かったのかもしれないわ)
「私はあなたの幸せを心から願っているわ。いつでも力になるからね」
「ありがとう……」
そこへセレナがやってきた。
「ユージェニー様、おめでとうございます! 驚きましたわ! 宰相のご令嬢ともなると、やはりご結婚も秘密裏に進めないといけませんのね。兄から教わりましたわ、政治的にお相手が狙われることもあるからだって」
マリーズが私の腕を肘で軽くつつく。
そっと横目でマリーズを見ると、『何も悟られてはだめよ』と言わんばかりに目だけで合図している。
(久々ね、目だけ笑っていないマリーズの笑顔……)
「アハ……ハハハ……、ええ、お父様はとても慎重なの」
「ほ、本当よね。親友である私にも内緒にするくらいですもの。昔からフィリップおじ様は完璧な方だから……」
私とマリーズは話を合わせながら、セレナの勝手な思い込みにホッと胸をなでおろした。
しばらく私たちはお喋りしていたが、誰かの視線を感じて振り返った。
(ジョセフ! やだ、こっちに来ないで。どうして、そんなに怖い顔をしているのよ!)
ジョセフが私に向かって歩き出したのが分かった。
「マリーズ、セレナ、ごめんなさい。私、他の皆様にもご挨拶してくるわね」
「ええ……そんなに慌てて、って……行っちゃたわ。どうしたのかしら?」
「マリーズ様、ドット公爵様がいらしてます。賢明な判断ですわ。ここで下手に会話などすれば、また面白おかしく噂をされるだけですもの。それにロベル様もお見かけしましたわ」
「ロベル様がいらしているの? フィリップおじ様が招待しているとは思えないのだけれど」
「ええ、マリーズ様。私が口にするようなお話ではありませんが、兄から聞いていた、騎士団に来られたユージェニー様とロベル様のご様子と――今回のご結婚、何かねじれを起こしているように思いますの」
「セレナさん、鋭いですわね」
「もちろん、他言はいたしませんわ。私は取り巻き第一号ですので」
マリーズとセレナは何かを確かめ合うようにうなずいた。
――私は恐ろしさから反射的にジョセフを避け、どこかへ身を隠そうと逃げるように二階へ駆け上がった。
長い廊下を走りながら、わりとややこしい感情が頭の中をグルグルとしていた。
(私、逃げる必要あるの? この結婚でジョセフと結婚する未来は完全に消えたわ……それなら良かったのよね……ああ、違うわ、しっかりしないと。私のロベル様への気持ちは……好き、なのよね? どこか迷ってしまうのは、なぜなの? 私、どうしちゃったの?)
恋する気持ちをゆっくり確かめる間もないまま、政略結婚で翻弄されていることに腹立たしささえ感じてきた。
(でも、この苛立ちを誰にぶつけるの? アベル様の言う通り、貴族にはありえる話なのに。私はどこか自分だけが特別で、周りから配慮してもらえると思い込んでいたのね)
私は別邸だからと、むやみに走っていたのが悪かった。
「キャッ!」
突然、腕を掴まれテラスに引っ張られた。
「だ、誰? こんな無礼なこと、許さないわよ!」
「無礼とは? ハッ! 人の気持ちを弄んでおいて……」
暗がりから聞き慣れた声がした。
「ロベル様……どうして」
「どうして!? それはこちらのセリフです! 私は求婚状を送ったのに! あなたは……」
「何を仰っているの? 二週間も待ったのに、お父様や執事に尋ねても、ロベル様からの求婚状は届いてないと言われたわ! それに、その後に届いた求婚状は……アベル様とは思いもしなかったもの」
二人の間に重い沈黙が流れた。
「どうやら……宰相のお眼鏡に叶わなかったようですね」
(そんな……お父様、どうしてなの?)
ロベル様は、しばらく階下に広がる豪華な宴の様子を眺めていた。
「こんな結婚は間違っている!」
そう言うと、ロベル様は私の手を握りしめた。
「ええ、私もそう思ってアベル様に結婚の無効を申し出たのですが……」
(本当は、今の私は何を望んでいるのか分からないの)
「ああ、彼も必死なのでしょう。心配しないで、私が必ずあなたを助けますから」
そう言い残すと、ロベル様は階下に飛び降り、暗闇に消えた。
「それはどういう――あっ、待って」
(ロベル様、私の今の気持ちも、どうしたいかも、尋ねては下さらないのね。ロベル様は私を見て下さっていない――違う、私がロベル様に見せたい姿しか見せていないのかも。それに気づいて欲しいだなんて、身勝手よね……。ロベル様はこんな私のどこが良いのかしら?)
◇
やっと披露宴の招待客たちも帰り、屋敷に静けさが戻った。
――寝室で待つアベルは、ユージェニーのことを考えると、なんとなく気が重くなった。
(結婚式や披露宴での疲労だけではないな……ルディのやつ、余計なことを言うから)
披露宴でルディが近づいてきて、何を言うかと思えば……。
「アベル、二階のテラスにロベル卿が夫人を連れ込んだぞ。早く行った方がいいんじゃないか?」
思い出すだけでも気分が悪い。
「ハァー、ロベル卿は煩い小蝿どころか、とんだ食わせ者だよ。ドット公爵だけでも頭が痛いっていうのに」
(しかも白い結婚だの離婚だの……まったく親が親なら子も子だ。さて、初夜はどうするか……)
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