10.知らない方が良いこともある
アベル・ブルボンは、読み終えたサレット侯爵家からの手紙をパッと暖炉に投げ入れた。
そして、無言で机を指先でトントンと叩き、宰相の計画を頭の中で整理する。
「アベル、宰相からのラブレターには、何が書いてあったんだ?」
腐れ縁のルディ・コルマンが欠伸をしながら聞いてきた。
「それが人にものを聞く態度か? ルディ、お前も運命共同体だぞ」
「はぁい……隊長様」
「あのなぁ、これから大事な任務が始まるんだぞ」
「任務? アベルが宰相の娘と結婚して護衛するだけだろ。俺たち、ジョセフ団長――ドット公爵の内偵中だってのにさ。おまけに辺境伯領の魔物騒ぎの調査まで加わって、猫の手も借りたいほどじゃないか」
「おい! 宰相に協力するのは陛下からの命令だ。それに結婚はあくまでも仮初めだからな!」
陛下と聞いて、やっとルディが姿勢を正した。
「でも、陛下が俺たち『影狼』を動かすなんて、どういうことだ?」
『影狼』――辺境伯騎士団の中から選抜された精鋭たちが陛下の手足となり、表向きに処理できない裏の任務を密かに遂行する部隊。
(僕だって疑問さ。それが、なぜ宰相の令嬢との結婚が最重要任務なんだ?)
◇
「旦那様、確かにアベル様に手紙をお届けしました」
「ダン、ご苦労だったな」
「本当に……彼を信じても大丈夫なのでしょうか?」
「ん? 敵を欺くためとはいえ、アベル卿の普段の振る舞いは、褒められたものではないからな。それでも、家門の力、剣の腕、そして無欲な男は他に見当たらんのだよ」
「無欲ですか?」
「権力、地位、金、女――いくつか餌をまいたが、どれも彼には響かなかった。ただ、興味があるふりをしただけだ」
「はぁ……つくづく旦那様は恐ろしい方です」
「ハハハッ、ダン、お前は信頼できる私の最側近だと思っているよ」
「ありがたきお言葉です。私も神官のような清らかな心を保たねばなりませんね」
「すでに大神官ほどの尊さだぞ。お前はちゃんと弁えている……爵位があればお前に頼んだだろうが。いや、何でもない」
ダンは最後の主人の言葉は聞こえないフリをして、一礼すると屋敷の仕事に戻った。
心の奥底に仕舞っている想いが呼び覚まされないように。
◇
サレット侯爵は、アベル・ブルボンという男に初めて会った時を思い出していた。
あれは、娘のユージェニーが夜中に怯えた様子を見せ、急に『ラピスラズリの杯』を確かめたいとせがんだ日。
もう翌日には、仮初めの結婚という盾で、欲深い者たちから娘を守ってくれる男を探し始めたが、なかなか見つからなかった。
焦った侯爵は、主君であり無二の親友、バムア帝国皇帝レオン陛下に全貌は明かさずに相談したのだが、そこで推薦されたのが『影狼』の隊長でありブルボン辺境伯家の次男アベルだった。
――穏やかな風が通る昼下がり、サレット侯爵は一人の青年を内密に屋敷に招いていた。
「君に頼みたいのだが……引き受けくれるか?」
フィリップ・サレット侯爵は柔和な笑顔を向けながらも、見定めるような視線を隠さなかった。
「宰相、僕は合格ということですか?」
「君は任務に失敗したことは無い、と陛下から聞いているよ」
「それはそうですが、今回の任務は……。ハァー、わかりました。ユージェニー嬢を仮初めの婚姻で守れば良いのですね? 期間はどのくらいですか?」
「ありがとう。期間は、脅威が無くなるまでだ。ただ、そう長くはならないだろう。陛下にとっても、その脅威は早めに摘む必要があるからな。まぁ、婚約者が内定している君には申し訳ないが……」
「お気になさらず、任務ですので。それに、父が勝手に決めた婚約です。まだ正式な発表前ですし、混乱も少ないかと」
「噂に聞いている印象とは全く違うな。もちろん良い意味でだ」
アベルはニヤッと笑うと、トレードマークのピンクの髪を掻き上げた。
「光栄です。宰相のような優しい仮面の下に強かさを秘めた方に褒められると、余計に嬉しくなりますね」
「ハハハ……話はさっき伝えた通りだ。ロベル・ダルボン、アイツは煩い小蝿程度だが、ジョセフ・ドットは違う。気を抜くなよ」
「それでは、早速ユージェニー嬢に近づき……」
「何もするな。あの子は、なかなか意志を曲げない性格だ。今はロベル卿に心が傾いている……そこへ政略結婚と言っても、素直に従うはずがない。家出、もしくは駆け落ちでもされるのが目に見えている」
「ずいぶん娘には甘いのですね」
(とびきりの美人だが……あの気の強さだ。天下の宰相も苦労してそうだな)
「……考えがある。どんな戦いでも不意打ちには敵わないだろ?」
「ええ、まぁ、そうですが……」
(なーんか、嫌な予感するんだよな~)
「それから、ユージェニーとは白い結婚だぞ! いいか、分かったな!」
(……白い結婚? 冗談だろ。いや、まぁ、そうなると予想してたけどさ。寸分の可能性も残さないつもりなのだな)
◇
アベルは、ルディに宰相からの手紙の内容を説明した。
「陛下と宰相は親友らしい。……一月後に挙式だ」
「一月後? 宰相の娘だよな? そんな無茶苦茶な」
「今は、目の前のお茶会の準備で忙しいから、雑音は耳に入らないらしい。それで結婚式当日まで、ユージェニー嬢に新郎が僕だと明かさないそうだ。いや、違うな、結婚のこともまだ本人に知らせないらしい」
「なに!? そんなことできるのか?」
「そして……白い結婚がお望みだ」
ルディがソファから転げ落ち、腹を抱えて笑っている。
「何がおかしいんだよ……」
「アハハハ、遊び人のお前が……プハッ、見た目は爽やかだからちょうど良いか」
「爽やかは合っているが、遊び人は仮の姿だ。それより、結婚を急かす理由は気にならないのか?」
「あの艶っぽい宰相の娘が何か問題でも起こしたとか? 確か、ドット公爵を追いかけ回してたな」
「手紙によると、ドット公爵がユージェニー嬢に言い寄っているらしい」
「どういうことだ? 公爵が何か企んでいるのか?」
ルディの表情が、一瞬で『影狼』の副隊長らしい顔つきに変わる。
「そこまでは分からない。おまけに、ユージェニー嬢はロベル・ダルボンと恋仲らしい」
「令嬢は一体誰がお望みなんだ? ロベル卿にとっては『逆玉の輿』だな」
「願ってもないチャンスだろうね。ユージェニー嬢はロベルの本当の姿を知らないからな」
「令嬢は箱入りだから、気づかないだろうなぁ」
「どうだろう……サレット家には優秀な執事がいるらしいし、親友のマリーズ嬢やその護衛騎士がいるからね。案外、守られていると思うけど」
「あの目つき悪いクレマン家の護衛な……ノエルとか言ったっけ」
「君が家門対抗の剣大会で危うく負けそうになった騎士だよ。彼は知っているはずだ。同じ騎士学校にいたのだからな……まぁ、ユージェニー嬢の耳にまで届くかは分からないけどね」
アベルは任務とはいえ、色々と面倒そうな令嬢の護衛を引き受けたことに後悔し始めていた。
感想やリアクションをいただけましたら、とても励みになります。
感想へのお返事は控えさせて頂きますが、大切に読ませていただきます。
よろしくお願いします。




