68.ルドン・ベキア
サルジアの前に置かれた、ルドンにとって大事な書類が、彼を捨てた父の墓の近くにあった。
ルドンの生い立ちを聞いていたサルジアにとっても、それは衝撃的だった。
「どうして?」
「わかりません。私は、ルドンについて全てを知っているわけではないのかも知れません」
金色の瞳は揺れ、眉は自信なさげに下がっていた。
「サルジア、もしあなたが嫌でなければ、ルドンの記憶を一緒に見てもらえませんか」
これほど不安そうなカシモアは初めて見た。そして何より、サルジアは師匠についてずっと知りたかった。
「もちろんだよ」
悩む間もなく答え、シンリーにもらった水晶を握りしめた。
カシモアの手を取って、師匠に想いを馳せる。滅多に動きを見せない水晶は、カシモアの想いも加わっているのか、直ぐに光り出した。
*
ルドン・ベキアは賢者の館の第二夫人の息子として生まれた。賢者の館の主は、政略結婚であった第一夫人とは違い、第二夫人に愛を持って接した。貴族にしてはよくあることだが、プライドの高い第一夫人はそれをよく思わなかった。
嫌がらせを受ける第一夫人を見て、遂にはその子どもにまで害が及ぶのではないと心配になった。
「私達は共にいるべきではない」
「何を言っているの?!」
「離れて暮らすのもだめだ。君とは離縁しなければならない」
「本気で言ってるの?!ルドンはどうなるんです!」
「ルドンも、君と一緒にいた方がいいだろう」
「フォリウムの後継者として、ルドンも対等に扱われるべきだわ!私はどうなったとしても!」
「いいや、だめだ」
ルドンは両親の言い争う姿を何度か目にして、そしてとうとう、本当に賢者の館を去ることになった。
「ルドン、ごめんね。私が、何も持っていないから……」
ルドンの母は、神の使いと呼ばれる存在だった。ルドンがそういった事情を知る前に、彼女はこの世を去った。ルドンは一人になった。
それでも生きていけたのは、毎月多額の資金が入って来たからだ。常に優しい一人の使用人も、ルドンの生活を支えてくれた。そして、普通の貴族でも手に出来ないような貴重な本が何冊も届けられた。特にすることのなかったルドンはその本に夢中になり、気づいた時にはほとんどの魔法を使えるようになっていた。
十歳になった頃には、使いやすい杖も届いて、力試しのように西にある森に行くようになった。途中でシンリー・ショウランという物知りな魔法使いにも出会い、彼女と話すこともルドンの楽しみになった。使用人が森に入っていることに気づいて、泣いて止めたので長くは続かなかったが、偶然助けた同年代の少年が無事に生き延びているかは少し心配だった。
魔法学院に入る頃には、自身の立場や状況を理解していた。僻んでか、意地悪く絡んでくる者もいたが、実力で黙らせた。
「親に捨てられたくせに!」
「それがどうした?ぬくぬくと育った君は、随分と出来が悪いようだけど?」
何を言われても心は痛まなかった。
自分と母を捨てた父に興味はない。会うこともない。何故今もルドンを支援するのか。体面を保つためなのか、罪の意識からなのか、それがわからずもやもやとした気持ちがあるだけだった。
ルドンの父はルドンを愛してはいない。それはずっと昔から知っていることで、今更だった。
魔法学院に入ってよかったことは、更に魔法について学べたことと、友を得られたことだった。カシモアは昔からルドンを知っているようにも見えて不思議だったが、同じ話ができるほど優秀で、気もよく合った。クライブ・カファリーや王家のローダン・ストレリチアとも交流を深めたが、心置きなく同じ時を過ごせるのはカシモアだけだった。
学生の内にシンリーの協力も受けながら、呪文で魔法を使う方法を編み出し、ルドンの名はすぐに広まった。フォリウムの噂話としてではなく、ルドン自身が注目を浴びるようになった。
学院を卒業してからは魔法士としてではなく、個人で魔獣を倒して功績を積み、二十五の時に大きな魔物を倒して若くして館を賜った。なるべく貴族の世界を遠ざけたくて、シンリーもいる西の地に館を建て、それ以降は西の魔獣の退治に勤しんだ。
功績は重なり続け、大地の魔法と名づけた魔法も体系化され、褒美の杯で姓を得たルドン・ベキアの名は国中に広がった。
館の集いにも顔を出さなかったルドンは、父がこの世を去ったことにも気づかなかったが、後でそれを聞いても何とも思わなかった。
「聞いたか?森に悪魔が出たらしい」
ずっと安定した道を歩み続けていたルドンの心を揺さぶったのは怪しい噂だった。
「人の見た目をしてるが、瞳の色が紫なんだってよ」
西の森は魔獣が減り、今度は落ちこぼれた人間が集まる場所になっていた。それが悪魔であっても人間であってもあり得そうだとは思いながら、所詮噂話だろうと思っていたが、魔獣を退治しに森に入るたび、そこに住んでいる人間から何度も同じ話を聞いて、探してみようと思った。
そして、噂は本当だった。
「ああ、やっと見つけたよ。本当に紫の瞳をしているんだね」
人が持つことがない悪魔の象徴の色の瞳が、ルドンを捉えた。
だが、その持ち主は恐ろしい悪魔ではなく、今にも死にそうな子どもだった。ただの興味本位で、ルドンはその子どもに誘いをかけた。
サルジアと名乗ったその子どもの親は、調べたところもう既に亡くなっており、ルドンは自身の弟子として側に置くことにした。
紫の瞳を持つ人間を館に連れ帰ることもできず、ルドンは森に小屋を建てて、そこに子どもを住まわせた。
最初はただの観察対象だった。珍しい色を持った人間。どうやら魔獣にも襲われにくい。どんな大人になるのか、興味があった。
「師匠、お帰りなさい!」
ただ、そうやって何度も出迎えられる内に、ルドンはサルジアに愛着を抱き始めた。
字を教えても覚えが早いし、魔法の才能もある。大地の魔法を使えることも大きかった。ルドンはサルジアに何でも教えてやりたくなった。
サルジアの出迎えがなく不思議に思っていたら床の上で倒れていた時は、心臓が止まるかと思った。もう大丈夫だというサルジアの言葉を信じられず、何日も小屋に通い続けた。
いっそのこと、大地の館に連れて行こうとも思ったが、館の使用人はカシモアのようにルドンの考えを必ずしも理解するわけではない。魔獣の退治で館を空けがちなルドンは、もしサルジアが何かされたらと思うと、その選択をすることができなかった。
「サルジアは、どこか行きたいところはある?」
「行きたいところはないです。師匠が来てくれるなら、私はずっとここにいます」
何でもない顔で言うサルジアに、胸が痛まないわけではなかった。親に捨てられ、森で一人死にかけていたサルジアは、今以上を望まない。望んではいけないと思っているのかもしれない。
それでもサルジアがそう言うなら、とルドンは心を決めた。
幸い、ルドンは長生きだ。優秀な魔法使いは長生きすると言われている。サルジアが今度どうなるかはわからないが、普通の人として生きるなら、その一生を見守ることもできるだろう。
「なら、サルジアは、ずっとここにいればいいよ。僕は君を訪ねるから」
瞳の色のせいで、どこに行ってもつらい目に遭うであろうサルジア。彼女の知らない自由を犠牲にしても、彼女を守れればそれでいいと思った。例えこの小屋から一生出られなくても、ルドン以外の誰かと会うことがなくても、それが安全だから。
カシモアにはサルジアの話をすることもあったが、会わせるつもりはなかった。カシモアも弟子を取ったルドンを珍しいとは言っても、深い興味を持っているわけでもなさそうだった。
しかし、ルドンに想定外のことが起きる。いたって健康であったはずの体が、急に言うことをきかなくなったのである。
続きます。




