59.取り戻す
サルジアの喉元に向かって振り下ろされた悪魔の爪は、彼女の肌を切り裂く直前で弾かれ、悪魔ごと遠くに飛ばされる。
「ぐうっ!」
サルジアは素早く立ち上がるが、視界がぐらりと揺れる。
「サルジア、しっかりしてください!」
倒れる前に、戻ったカシモアが支える。
「今回はアルテミシア様に助けられましたね」
サルジアの右手には魔法陣が浮かび上がっていたが、役目を果たしたそれはすっと姿を消した。
「カシモア、大丈夫だった?」
「私は大丈夫です。あなたを危険な目に晒しました。申し訳ございません」
「そんなこと気にしないで。カシモアが助ける準備をしてるのは見えてた」
「怖い思いをさせたのは事実です」
譲る気がなさそうなので、サルジアはそれ以上反論しなかった。
「カシモア、行ける?」
「ええ、もちろん。お返しはたっぷりとしなければなりませんからね」
カシモアは懐から数十枚の魔法陣の描かれた紙を取り出し、その全てに魔力を流しこむ。
「ま、待て、私が消えたら、他の悪魔が黙ってないぞ!」
「ああ、小物のようなことを口走る悪魔が、私の主の力を奪い続けていたのかと思うと、腸が煮えくり返りますね。
一刻も早く消えてください」
それぞれの魔法陣から鋭い剣が飛び出し、カシモアが手を振ると、悪魔に向かって一斉に飛んでいく。
「う、うわあぁぁ!!」
悪魔の断末魔だがサルジアの耳に響くが、悪魔が一体どうなっているのか彼女にはわからなかった。過保護な従者が彼女の両目を手で覆っていたからだ。
「終わりました」
そう言ってカシモアがサルジアの視界を解放した時には、もう悪魔の姿も、魔法陣から飛び出した剣もどこにもなかった。
そしてサルジアは、今まで感じたことのなかった温かみが身体の内側を満たしていくのを感じる。
「光の神の聖力……私、戻ったんだね!」
サルジアが喜んでカシモアに振り向く。深い紫は消え、黒々と輝く美しい瞳がそこにあった。
「はい、サルジア。あなたの色を取り戻しました」
カシモアはそっとサルジアの目元を指でなぞった。
「ディスカリア!!」
リトマンの声が響いた。
いつの間に巨大な悪魔を倒したのか、リトマンがこの場に戻って来ていた。
「ああ、サルジア、ようやく元のお前に戻った。こちらに来てよく顔を見せてくれ」
ダメージを負った訳でもなさそうなのに、ふらふらとした足取りでサルジアに近づく。
「リトマン、サルジアはあなたの契約者でも何でもありません。私の、大地の館の主です」
「わかっている。面白みのない男だ」
リトマンは名残惜しそうな顔をしながらも、それ以上サルジアに近づくことはなかった。
「大変だ!他の連中が地上に向かってる!」
サルジアに契約を強制した悪魔を倒しても、余韻に浸る暇はない。
「あたしらで別の場所に誘導してたけど、流石にあいつが消えたことにはすぐ気づいてしまった!」
風に縁のある悪魔の言葉にリトマンは呆れたように首を振る。
「ただの羽虫に大したことができるわけない。予想通りだ」
「そんなことない。こんなに早くあの悪魔を倒せたのは、他の悪魔がここにいなかったのも大きい。
ありがとう」
風に縁のある悪魔は悔しそうに歪めていた眉を和らげた。
「うっ!」
「サルジア?」
「何でもない、びっくりしただけ。闇の神の聖力が、私の中に入って来てる」
先程まで悪魔を罰していた闇の神の聖力がサルジアの中の聖力に合流した。
「いくら悪魔の中にあったとはいえ、闇の神と地下自体に繋がりはありませんからね。あなたが地上に戻って初めて、闇の神に力が戻るのでしょう」
「そうだね。でもカシモア、少しだけ待って」
「何でしょう?」
サルジアは自身の胸に手を当てる。
「今、私の中には光の神の聖力と闇の神の聖力がある」
「そうですね」
「仲間は多い方がいい。なら、協力してくれた悪魔も地上に連れていけないかな」
突拍子もない提案に、カシモアは即答できなかった。
「できなくはないと思います。
聖力は十分にあるようですし、あなた自身の力で直接悪魔に許しを与えるなら、地上に行って人間に危害を加えそうにった瞬間に闇の神の聖力で罰することも可能でしょうから」
風に縁のある悪魔は表情を明るくして、
「本当に?!あたしが皆を呼んでくる!ちょっと待ってて!」
駆け出して行った。
「しかしサルジア、あれらを地上に連れて行ったとして、こちらの味方であることはわかりませんよ。
あなたが印を与えても、それは他の地上に現れた悪魔と同じ紫です」
「それならこちらの味方だってわかるようにすればいい」
「あなたに考えがあるなら任せますが、あまり時間がかかるようなら――」
「サルジア、お待たせ!」
風に縁のある悪魔は、数十の悪魔を引きつれて戻ってきた。
「あたしら風に縁のある悪魔は移動が専門だからね」
「カシモア、心配はいらなかったみたいだよ」
「そうみたいですね。それではサルジア、お願いします」
カシモアが一歩引くと、サルジアは悪魔たちの前に進み出た。
「光の神と闇の神に申し上げます。この者たちに聖なる大地への許しをお与えください。
闇の神に申し上げます。この者たちが聖なる大地を侵そうとした時、人間を脅かそうとした時は、直ちに罰をお与えください」
サルジアが唱えると、悪魔たちの上に青い光と赤い光が現れ、混じり、紫となって、彼らへと降り注いだ。
悪魔たちは自身の変化を感じていなかったが、カシモアにはサルジアが与えた印が、彼らに浮かび上がるところが見えていた。
「上手く考えましたね」
「うん、これならきっと、みんなわかってくれるよ」
「どうせなら、俺にも与えてくれればよかったのに」
リトマンは残念そうに言ったが、特別な悪魔である彼に許しは不要だ。
「たかが印で騒がないでください」
「たかが印?サルジアの手にあった護りの魔法陣を見て、怖い目をしてたくせによく言う」
「悪魔にはわからないでしょうが、異性の手に魔法を贈るなんて、普通しないことなんですよ」
「へえ?」
アルテミシアのくれた保護の魔法の話だということはわかったが、今は二人の話に付き合っている暇はない。
「カシモア、リトマン、地上に戻ろう」
サルジアが声をかけると、
「それならあたしたちに任せな」
風に縁のある悪魔たちがサルジア、カシモア、リトマン、そしてサルジアに許しを受けた悪魔たちを取り囲んだ。
「地上まで、行くよ」
弾んだ声が響くと、サルジア達の体は上へ上へと押し上げられた。
続きます。