58.悪魔との対峙
気づいた時、サルジアは暗い場所にいた。
「ここは?」
「久し振りだね、サルジア。
俺の生まれ故郷はどうかな?」
聞こえたのはリトマンの声だった。
サルジアが答える前に、自身の体が何かに引き寄せられる。
「サルジア、無事でよかったです」
耳元でする声に、カシモアに抱き寄せられたのだとわかる。
「リトマン、明かりをつけろ」
「うるさい使用人だ」
リトマンはそう言いながらも炎を出す。
照らし出された空間はそれでも暗く、湿った土の匂いに満ちていた。
「姿を現す前に地下に移動させる道案内も、多少は役に立ちますね」
「驚いただろう?辛気臭さが消えて何よりだ」
二人の相性は最悪だった。
「地下はこんなに暗いの?」
「いいや?ここが抜け道だからだ。この木を抜ければ明るくなる」
「なら早く出よう」
サルジア達がいたのは大きな木の洞で、そこから外に出ても大して明るくはならなかった。雨が降るか降らないかの曇り空のようで、問題なく物を識別はできるが、影の重なる足元には注意しなければならないほど暗かった。
「ここが、地下」
「そうだ。俺がここを離れた時よりも随分と暗い」
地下の暗さは元からではなかったらしい。炎を消したリトマンは周囲を見回しながら言った。
「いくら暗いと言っても、視界は悪くありません。サルジア、フードを――」
「必要ない」
カシモアの言葉を遮ったリトマンは、ふい、と顔を背ける。その先に、人に似た何か――悪魔がいた。
長くうねった髪からのぞく耳の先端が尖っている。長身の女性のような悪魔はサルジアを見て、ぱあっと表情を輝かせた。
「サルジアじゃないか!」
走り寄ってきた悪魔は、カシモアがサルジアの前に出ると、はっとしたように表情を引き締めたが、口元はゆるんでいる。
「あたしは、風に縁のある悪魔。いつもあんたが紡ぐ言葉に合わせて、風の後押しをしてる」
「風に縁のある?」
「そうさ、転移の魔法を使う時、風があんたを目的地に届ける。あたしはその時にその力を増幅することができるんだ」
「あなたが手伝ってくれてるってこと?何の契約もなしに?」
「契約なんてなくたって、地上の人間を助けてやれば、空からおこぼれが降ってくる。あんたらの言う聖力、ってやつさ。
でもあたしはそんなこと関係ない、サルジアの声が好きだから、あんたが呪文を唱えるたびに、あたしは満たされるの」
カシモアは聞いていないぞ、とリトマンを睨むが、彼は聞かれていない、とでも言うように片眉を上げるだけだった。
「サルジア、会えるなんて思わなかった。あんたが召喚しない限り、あたしは地上に行けないから。まさかあんたから来てくれるなんて。
これはみんな喜ぶよ」
「喜んでいる暇なんてない」
リトマンが言うと、ようやくその存在に気づいたのか、悪魔は肩を跳ねさせて、怯えたようにリトマンを見た。
「あんた、戻って来てたのか」
「俺がここにいちゃ悪いか?」
「いや、その……」
「お前との問答は楽しくもない。
いいか、サルジアがここに来たのはあの醜い野郎を倒すためだ。お前と遊ぶためじゃない」
リトマンの言葉に、悪魔はサルジアを振り返る。
「まさか、あいつを倒しに来たの?」
「そうだよ。あいつっていうのが、私の聖力を奪っている悪魔ならね」
「そんな、無理だよ。あいつに従う悪魔は多い。あいつを倒したって、地上が助かるとは思えない」
「仲間の悪魔が、無理やり闇の神を倒しに行くから?
それなら大丈夫。地上には私の仲間がいるから。悪魔を倒して、闇の神の力を取り戻したら、地上の壁を破壊する。仲間が悪魔を抑えている間に、光の神と闇の神の繋がりを取り戻して、闇の神を回復させる」
「そんなことができるの……?」
悪魔は暗闇の中に差した一筋の光を見つけたかのような、縋るような目をサルジアに向けた。
「我が物顔でここを支配した気になって、地上だけでなく地下までも滅びに近づけたあいつを倒して、地下にも明るさを取り戻せるんだ……」
悪魔はぐっと拳を握りしめた。
「サルジア、あたしは地上に行けない。あんた達を助けることはできない。だけど、ここでなら力になれる」
「大した力も持たないなら、大人しくしてればいいのに」
「あんたにはわからないだろうね」
悪魔はリトマンを睨みつけた。
「強い力を持ってるやつは、何だってできるから。あたしたちみたいな弱いやつは、少しでも役に立てりゃそれで嬉しいんだ。
サルジア、あいつを倒して。私はいつでもあんたを応援してる」
悪魔はそれだけ残して、風のように去っていった。
「随分と人間に好意的な悪魔がいたものですね」
「元は大して仲も悪くなかった。人間は悪魔を不気味がっていたが、それでも召喚を通して交流があった。あの馬鹿が関係を壊すまでは。
だが、あれは弱い。何の役にも立たない。いないよりましな程度だ」
「いないよりまし、ならいた方がいいよ」
サルジアはすっかりあの悪魔に同情してしまった。リトマンは面白くなさそうに、それでもどこか嬉しそうに鼻を鳴らした。
リトマンの後に続いて歩き出したサルジア達は、悪魔の姿を見ることなく、目的地にたどり着くことができた。
サルジア達が着いたところにあったものよりも大きな木がそびえ立っている。
「ここが例の悪魔の住処?」
「そうだ。ここまで誰とも出くわさないとは……羽虫も集まれば少しは役に立つようだ」
風に縁のある悪魔が他の協力的な悪魔にも呼び掛けてくれたのかも知れない。
「これなら楽に勝てそうだ」
「誰が誰に勝つだって?」
今まで誰もいなかった木の前に大きな悪魔が立っていた。常人の倍ほどの大きさの悪魔は見るからに強そうだった。
「雑魚が騒ぎ立てているから何事かと思っていたら、リトマン、お前の仕業か」
「俺のじゃない。あいつらが勝手にやっただけだ」
「ふん、何とでも言え」
悪魔は目玉をぎょろりと動かしてサルジアを見る。
「贄なんぞ連れて、何になる?」
にやりと笑った悪魔を無視して、リトマンは真っすぐに木を指さした。遅れて、爆発音がして木が根元付近で切断され、大きく姿を崩す。
「な、なに?!」
「汚い声を聞く趣味はない。雑魚が強くなったつもりか?
サルジア、後は頼むよ」
リトマンは巨体の悪魔を蹴飛ばした。悪魔は崩れかかっていた木にぶつかりながら、遠くへと飛ばされ、リトマンはその後を追う。
「荒っぽい連中ですね。
サルジア、怪我は?」
「大丈夫。木片も何も当たってないよ」
「それならよかったです」
カシモアはサルジアの髪を整えてから、巨木の後を睨みつける。
「私達も、始めましょうか」
土煙の向こうに、人の姿が見えた。恐らくはサルジアの聖力を奪い続けている悪魔だ。
サルジアもその時に備え、胸に手を当て、自身の中の闇の神の聖力を確かめる。
「私の住処がへし折られるとは……あの忌まわしいリトマンが戻ってきたのかな」
現れたのは細身の悪魔で、他の悪魔とは違い、頭には大きな角が生えていた。
「おや?私の贄がいる」
「サルジア、今です!」
サルジアと悪魔の目が合う。
悪魔の中に、闇の神の聖力を感じたサルジアは、口を開く。
「神の力を盗むは大罪。禁を犯した者は罰を受ける定め」
「な、なに?!くそ!やめろ!!」
悪魔の周りにどこからともなく黒い雷が現れ、悪魔の体を貫いていく。
悪魔は慌てふためいて身をよじらせるが、罰からは逃れられない。
「サルジア、後は私が――」
カシモアがサルジアを遠ざけようとした時、地面から木の根が飛び出して、カシモアの体を跳ね飛ばした。
「カシモア!」
「人の心配をしている場合か?」
「うっ!」
悪魔は全身にダメージを受けながら、それでもサルジアに飛びかかった。
サルジアは地面に倒れ込み、馬乗りになった悪魔はサルジアの頭を地面に抑えつけ、彼女の喉元を晒す。
「贄も歯向かうならもういらない。ここで死になさい」
鋭い爪がサルジアの首に向けて振り下ろされた。
続きます。