57.別れの時
慌ただしく準備を進めている内に、あっという間に夏下月が訪れた。
館の集いでサルジア達の話が共有され、既に事情を知り動いていたところもあるからか、月の中頃にはほとんどの人間が東、もしくは中央に避難できていた。
詳しいことは説明されていないが、防魔の壁の向こう側に、古の神がいること、壁を壊して光の神との繋がりを戻すことによって、魔物や悪魔の侵略を防げること、それを行うために大地の館の主が悪魔を倒しに向かうことが伝えられた。
なぜ今の状況になったのかや今にも地上が侵されそうなことについては知らされておらず、食糧や住処も確保されているので混乱は少なかったという。
「何だか騙してるみたいだね……」
「そうですか?恐怖なんてない方が良いと思いますけどね」
何とか壁の向こう側だけで魔物の対処をしようとしていた、あちら側で生まれたカシモアらしい回答だった。
「もちろん、私達がやり遂げることが前提ですが」
もし失敗して、悪魔を制御できないまま壁を破壊することもできなくなったらと考えると恐ろしいが、そちらの対処にはアマリアやロメリア、それにシンリーがついている。危険な行為は心配だが、それでもやり遂げてくれるだろうという信頼がある。
「さて、そろそろ出発です。再会を祈って、お別れしましょう」
サルジア達は大地の館から、防魔の壁付近へと移動した。
既にシンリーとアマリアは到着していて、サルジア達を出迎えてくれた。
「シンリー様、アマリア、お待たせしました」
「別に大して待ってないよ。
サルジアのおかげで、今この森には魔物一体もいやしないから、もう少しこの静寂を楽しんでもいいくらいさ」
シンリーの言葉にアマリアも笑みを浮かべた。
「シンリー様、ロメリアをお願いしますね」
「もちろんだよ」
今回はロメリアもシンリー達と一緒に、悪魔や魔物を抑える役目に回る。
「シンリー様、あちらの方は間に合いましたか?」
「ああ、当然。私を誰だと思っているんだい?」
サルジアとしてはロメリアを預けに来たのだが、ロメリアはシンリーの近くに寄ると、またサルジア達の方に戻ってきた。
「サルジア様、どうかこちらをお持ちください」
差し出されたのは、魔法の杖だった。
夏中月の学期が終わると共に、ロメリアに杖を返した。何やら調整したいことがあるようで、学期以外で光の神の聖力を扱う予定のないサルジアはそのまま渡した。
今ロメリアが差し出しているのは、その魔法の杖だった。ただし、どことなく綺麗になっているような気もする。
「悪魔が倒され、契約が破棄されれば、サルジア様には光の神の聖力が戻ります。杖などなくても使うことはできると思いますが、サルジア様にとっては慣れないことでしょうから、あった方がよいかと思いまして。
シンリー様にもご協力いただいて、効力を上げました」
サルジアに聖力が戻れば、光石を使う必要もなくなるが、サルジアにとってはお祈りよりも魔法陣の方が身に馴染んでいる。杖があれば光の神の聖力も扱いやすいはずだ。光石は真新しいものが着けられているので、その力を借りることもできるだろう。
「ありがとう!ロメリア、それにシンリー様も」
サルジアは大事に杖を腰に提げた。
「アマリア嬢も、サルジアに報告することがあるみたいだよ」
「アマリアが?」
シンリーに促されてアマリアは一歩前に出る。
「実際にどうなるかはわからないのだけど、スルフラン様にいただいた本を開いて、中身を確認することができたの」
手にはその本を持っていて、アマリアが表紙に手をかけると、本は抵抗することなく開く。ページは薄く発光していて文字を読むことはできないが、アマリアには書かれている内容を認識することができるのだろう。
「これは防魔の壁が築かれるよりずっと昔に書かれたもので、精霊と大地のつながりについて書かれていたわ。著者が祖母に聞いた昔話とともに」
「昔話?」
「そう、光の神が――恐らくはその分身のような方だと思うけれど――精霊達を集めることがあったみたいなの。
光の神が風に語りかけると、次々と光が集まって、やがて小さな光に分かれ、それらは光の神の周りを飛び回り、その光景はとても美しかったと。
私は光の神の分身ではないけれど、光の精霊がついているから、もしかしたら精霊達を呼んでくれるかもしれないと思って。呼びかけの言葉も記されていたから、防魔の壁が取り払われた後、精霊達を呼べるか試してみるわ」
アマリアは本を閉じて、大事そうに胸の中に抱えた。
「すごいね、アマリア。成功することを祈ってる」
精霊達が戻れば、大地との繋がりを取り戻せば、悪魔と大地の力のつながりを弱めて、悪魔自体の力も弱めることができるかもしれない。そうでなくとも、精霊達の力が借りられるのであれば大きな助けとなる。
サルジア達がお互いの今までの準備の成果をたたえ合っていると、サルジア達の奥から足音が聞こえてきた。
「こんにちは、皆さま」
現れたのは、アルテミシア・ストレリチア。光の館の子どもだった。後ろには昨年魔法学院を卒業したグラウディー・ソードが護衛として控えている。
「アルテミシア様、どうしてここに?」
「陛下に無理を言って、役目をいただいたのです」
アルテミシアは両手で持っていた箱を皆の視線の高さまで持ち上げた。
「これは……」
「アマリア様ならお気づきかも知れませんね。
これは、光の神のベールです」
光の館の至宝とも呼ぶべき光の神のベールが持ち出されていることに、その場にいた全員が驚いた。
「必要があれば貸し出すとは聞いてたけど、持ってくるとはね」
「預言はそれほど重要視されているのです。アマリア様が着けていらしたのなら、きっとそばにあった方が良いと判断されました」
何が起きてそうなるのか、あるいはならないのかはわからないが、少しでも情報があるのであれば、状況を整備しようという考えなのだろう。
「サルジア様、大切な方々を残して旅立たれるのはおつらいかとは思いますが、もう少しすれば魔法士や館の主も到着します。
どうか、ご無事で」
アルテミシアが言うと、サルジアの右手の甲が薄く光る。その光はかつて彼が描いた魔法陣を浮かび上がらせた。
「また、お会いできることを楽しみにしております」
予想外の人にも出立を見守られたサルジアは、また皆に会えることを祈って、リトマンの名を呼んだ。
続きます。