53.契約の書き換え
スルフランの報告を受けた翌日、サルジア達は西にいた。
カシモア、アマリア、ロメリアに加えてシンリーまでもが集まっていた。大人数とはいえいつも通りのメンバーであるが、サルジアは落ち着かなかった。
「ここが、サルジアの育った場所なのね」
感心したようにアマリアが見ているのは、サルジアがルドンに与えられた小屋の中だった。
リトマンとの遭遇以来、カシモアに小屋への出入りを禁じられていたサルジアにとっては懐かしくもあり、これほどの人がいるのが新鮮にも感じられる。
「ルドンらしい、素朴なつくりだねえ」
シンリーのつぶやきに、
「ええ、本当に」
しみじみとした声でカシモアが返した。
「さて、せっかく集まっていただいたのです、始めましょうか」
カシモアはすぐに感傷を隠して、これからのことを確認する。
「サルジアが呼んで、ひとまず、リトマンの望むように契約を書き換えてもらいましょう。
途中で何か対価を要求するようなことがあれば、止めます。リトマンが攻撃を加えた場合、サルジアはアマリア様とロメリアさんと一緒に転移魔法で避難してください」
「はい」
「そしてこれは危険なことでもありますが、もしリトマンに本当に人間を保護したいという気持ちがあるのなら、協力させましょう。契約に話を持っていくようであれば、こちらも先程と同様です」
闇の神の力は弱まっている。闇の神の力を一部与えられていたルドンがこの世を去り、今の闇の神では魔物や悪魔を抑え切れない。それに一部の悪魔は闇の神の存在を消そうと目論んでいる。
リトマンはその辺りの事情に詳しい。危険な悪魔ではあるが協力を得られれば、現状の打破に大きく役立つはずだ。
「では、サルジア、お願いします」
サルジアは頷くと、息を吸って、吐き、その悪魔の名前を口にする。
「リトマン」
「――ああ、サルジア、やっと呼んでくれたね」
サルジアの目の前にリトマンが現れた。カシモアとシンリーはいつでも動けるようにと、全身に力を巡らせた。
「こんなに大勢の人間がいるとは、驚きだ。
それで?急に襲ってこないってことは、俺の提案を受ける気になったってことかな?」
「そうだよ」
リトマンはサルジアの返事を聞いて、口の両端をにいっと引き上げた。
「本当に?!ああ、これほど嬉しいことはない!今すぐに始めよう!」
「けど、あなたと新しい契約もしない。今私の聖力を奪っている悪魔の契約を上書きするだけ」
「ああ、もちろんだ!」
リトマンは元から他に企みもないのか、二つ返事で承諾し、サルジアに手を差し出す。
「この手を取れば、俺が契約を書き換える」
サルジアはカシモアが止めないのを見て、そっとリトマンの手を握る。触れた手は恐ろしいほどに冷たく、思わず手を引っ込めそうになったが、歓喜に溢れたリトマンはそれにも気づかず、手が離れることはなかった。
「サルジア、俺は誓う。お前と新しい契約はしない。既にある他の悪魔との契約を書き換えよう」
リトマンが言うと、二人の手の間から紫色の光があふれ出し、両者の肩のあたりまで伸びた。近くなった光で、サルジアの視界がいっぱいになる。
――ディスカリア、俺はお前の心が欲しい。
光の中に、一人の男が浮かび上がる。
――だめよ、リトマン。許されないわ。
リトマンの前に、黒い髪と瞳の女が現れた。その表情は悲し気で、諦めに満ちている。
――どうしてだ、俺はお前の願いを叶えてきた。
――ええ、とても感謝しているわ。けれど無理なの。
――俺が嫌いか?
――いいえ、そんなことないわ。けれど一緒にはいられないの。
――どうしてだ?魔力が足りないのか?それならいくらでも……!!
――だめよ、リトマン、やめて!
――なぜ拒む!
――ああ、リトマン!魔力の問題じゃないの、これは受け取れないわ!
男女の言い争いは熱を増し、そして突然消えた。
――ふふ、やっと手に入れた。
自身の手の中にずっと望んできたものがある。リトマンはそれを、愛おしそうに見つめていた。
――ディスカリア、これでずっと一緒だ。
しかし、顔を挙げた先に、ディスカリアはいなかった。彼女は、リトマンの足元に崩れ落ちていた。
――何故だ、ディスカリア!お前の心臓を手に入れたはずなのに、どうしてお前は俺を抱きしめてくれないんだ!
リトマンはディスカリアの心臓を抱えながら、地面に膝をつけ、何度もディスカリアに呼びかけたが、彼女が起き上がることは二度となかった。
「これで完了だ」
楽し気なリトマンの声に、サルジアは意識を取り戻す。
リトマンは口を開きかけたサルジアを見て、自身の口元に人差し指を立てた。何も言うなということだろうか。
「ああ、七年経ったか?ようやくあの忌まわしい契約を書き換えられた。いい気分だ」
リトマンは何事もなかったかのように言う。
「いい気分ついでに、一つ教えてやろうか。どうすれば闇の神の力を取り戻せるのか」
リトマンに協力してもらうことは考えていても、向こうから提案されるとは思ってもみなかった。何か裏があるのかとカシモアとシンリーが警戒を強める。
「あなたがなぜそれを気にするのです?」
「言っただろう?俺は人間を愛しているんだ」
「サルジアと契約したいがために吐いた虚言だと思っていましたが」
「酷い言い様だ。まあ疑う気持ちもわかる。俺だって積極的に人間を助けようとは思わない」
「ではなぜ?」
「闇の神の力を取り戻すことが、サルジアの瞳の色を戻す理由になるからだ」
リトマンはサルジアをじっと見つめる。
リトマンとの契約に書き換えても、未だサルジアの瞳は紫色のままだった。
「やけに、サルジアの瞳の色にこだわりますね」
「そうか?だが、黒い瞳の方がいいだろう?」
サルジアの脳裏に、ディスカリアと呼ばれた女性の姿が過る。彼女は黒い髪に黒い瞳をしていた。
「悪魔の色だと言われる紫なんて、人間にとっては不名誉だ。そうだろう?」
リトマンはサルジアに問いかける。言葉に圧はないが、瞳はぎらりと輝いていて、サルジアはあの光の中で見た光景について言及することはできなかった。
「あなたが手伝ってくれるのであれば、願ったり叶ったりです」
カシモアは詳細を把握はしていないものの、リトマンのサルジアに対する執着には気づいている。警戒はしつつも、リトマンの協力の申し出に嘘はないと判断した。
「もちろん、契約はなしでいい。俺が対価を望むのは嫌だろう?」
カシモアはリトマンが裏切る可能性と、思わぬ対価を要求される危険性を天秤にかけ、契約をしないことを選択した。
リトマンは特に気にした様子もなく、彼の知ることを語った。
続きます。