52.報告
しばらくの間、外で授業がある場合はカシモアがサルジアの近くに控えていたが、リトマンは宣言通り接触してくることはなかった。
特に大きな事件も起きることはなく、夏中月に入った。
そしてその初めの週末、サルジアは大地の館に帰ることなく寮に留まっていた。そしてアマリア、メリアと一緒に、東へと足を運んでいた。
「お久しぶりです、サルジア様」
東にあるカフェの二階に通されたサルジア達を出迎えたのは、金の髪に青い瞳の青年――スルフラン・ロリエだった。
「どうぞ、おかけください」
以前来た時とは用意されているソファが違った。サルジア、カシモア、アマリア、ロメリアの四人が座れるように大きめのソファになっていた。
カシモア、サルジア、アマリア、ロメリアの順に座る。
「本来ならば館にお招きすべきところなのですが――」
「お気になさらず。話が早くて助かります」
杖の館に呼ばれたとて、カシモアが招待を断るだろう。言葉を遮られたスルフランは苦笑いを浮かべるしかなかった。
「冬下月の館の集いでの件についても、重ねてお詫び申し上げます」
「やはり賢者の館主催になったのは、杖の館から話が行っていたからなんですね」
サルジアにはあまり意味が理解できていなかったが、アマリアの向こう側でロメリアが身を固くした気配を感じて、かなり良くない話だということを察する。
「いえ、本日の用件は別でしたね。
さっそくお伺いしてもよろしいでしょうか。ベイリー・ロリエの調査結果について」
今回サルジア達が呼ばれたのは、ベイリーを唆した悪魔についての調査の結果報告を受けるためだった。
「はい、結果として、悪魔はいました」
スルフランは封筒を開け、いくつかの束になった資料をサルジアの前に置いた。カシモアはその内の一つを手に取り、パラパラとめくり、ある所でその手を止める。
「これは、随分とまた……」
カシモアはスルフランに伺うような視線を向けたが、彼は首を横に振った。
「隠す必要はございません。
ロリエ家の第二夫人がその悪魔と繋がっていました」
サルジアの隣でアマリアが息を飲む音が聞こえた。
「彼女は魔法学院で過ごす以外は、東から出ないような人間でした。しかし一度だけ、全知の魔法使いを訪ねて西に行ったたことがあったのです。
理由も聞かれず追い返された彼女は、その帰りに森の中で悪魔に出会いました」
「その時に彼女に同行していた護衛が巻き込まれてしまったのですね」
カシモアはそう言って資料を机の上に戻した。
「はい。
護衛というよりは監視の役目を負った、ロリエに忠実な館仕えがついていたのですが、彼女に悪魔へと捧げられてしまったのです。
悪魔はその館仕えとして、今までロリエ家に潜んでいたのです」
まさか聖なる館の内に悪魔がいたとは誰も思っていなかった。第二夫人が何か噛んでいるかもしれないと覚悟していた杖の館の主だが、これについてはさすがに想定外で、しばらく執務室から出られなくなった。
「実際に何の契約を結んだかは言いませんでしたが、予想はつきます。
彼女の願いが叶ったわけではありませんから、悪魔自体は館仕えから切り離して退治できましたが、もしものことを考えると今でも鳥肌が立ちます」
悪魔に捧げられた館仕えの体は、第二夫人の望みが叶わなかったことで取り戻すことができたが、もし二者間の契約が成立してしまっていたら、どうなっていたかわからない。
「ベイリーに色々と吹き込んだのもその悪魔であったことも確認できています。
情報の提供に感謝いたします」
スルフランは礼儀正しく頭を下げた。
もともとは、リトマンの言葉から始まったことだ。サルジア達が伝えなければ魔導士は調べようとも思わなかっただろう。
「いえ、私も結果が知れてよかったです」
「そう言っていただけると助かります」
ほっとしたように微笑んだスルフランは、封筒とは別に、一冊の本を取り出した。
「これは?」
「第二夫人の隠し部屋にあった本です。どうやら元は悪魔の持ち物だったようなのですが――」
スルフランは机の上に本を置き、タイトルを指でなぞる。
「――”精霊と神”と書かれています。
なぜ悪魔が持っていたのかはわかりませんが、もしよろしければアマリア様にお渡ししたく持って参りました。ご研究内容を耳にしたことがありますので」
アマリアの研究は精霊についてだ。
「よろしいのですか?」
「ええ。これは私達で持っていても意味がないのです」
スルフランが本を開こうとするが、本の表紙が開かない。そのまま本自体が持ちあげられるわけでもなく、頑なに開くことを拒んでいるかのようだった。
「この本を開くには聖力が必要なのだと思います。アマリア様なら、開くこともできるかと」
アマリアは本を手に取った。開こうと表紙に手をかけて、何か感じるものがあったのか、
「それではありがたく受け取らせていただきます」
そう言って本を抱えた。
スルフランと別れた後、学院に戻る道中で、カシモアはしばらく悩んだ末に口を開いた。
「サルジア、もしあなたが良ければ、一度リトマンを呼び出しましょう」
スルフランの報告によって、リトマンの言葉通の一部に嘘がないことが証明された。少なくとも、リトマンはサルジアの聖力を奪い続けている、人間に害を与える可能性のある悪魔の仲間ではない。
そうであるならば一度話を聞く価値があるかもしれないというのがカシモアの考えだった。
「うん、そうしよう」
サルジアは元々、リトマンの話に興味があった。悪魔だから簡単に心を許さないように警戒していたが、カシモアが良いと判断したのならば関わらない理由はない。
リトマン自体に謎は多いが、あの悪魔はルドンのことも知っているようだった。ただ人の営みを眺めていただけかもしれないが、何か少しでもルドンのことを知っているのであれば、サルジアは興味を持ってしまう。
「ただし、決して私と一緒に会ってくださいね」
「それはもちろんだよ」
自分でもリトマンの口車に乗せられてしまうかもしれない不安はある。サルジアにとってもそのほうがありがたかった。
「私もご一緒させてください」
アマリアとロメリアが同時に言った。
カシモアは驚きつつも、笑みを浮かべる。
「もちろんです。よろしくお願いしますね」
危険な悪魔に会うというのに、躊躇いもせずそう言ってくれる人間が、主の周りに二人もいる。カシモアにとってそれはとても喜ばしいことだった。
続きます。