5.喋る魔物の出現
聖力・魔力の計測で注目を浴びたサルジアは、その次の授業でも周囲の視線を集めてしまっていた。
「サルジアさん、今、なんと?」
魔紙を貼り付けた板の前に立っていた教師ははっきりとした発声でそう言った。
「その、」
対するサルジアは口ごもってしまう。
「魔法陣を、描いたことがないと言いました」
こんなことを他の学生の前で言わなければならないとは思わなかった。更には、ついほんの前までは、それを恥ずかしく思うなど考えてもみなかった。
「な、なんと……」
自分で聞いておきながら、教師はめまいがしたかのようにふらりと後退し、教板にもたれかかる。
「あの、先生、大丈夫でしょうか?」
「ええ、問題ありません。お気遣いなく」
教師はなんとか教板から離れると、頭を抑えながら話しを続ける。
「魔法、というものは魔力を用いた人の営みです。そして魔法を使うには、魔法陣が必要となります」
わかりますか?と目で問われ、サルジアは頷く。
「魔法陣自体は知っています。教本に載っているものは、全て何の魔法に用いられるものかもわかります」
「わかるって、書いてあるじゃない、教本なんだから」
口を挟んだのはプラリアだった。
「では、サルジアさん、この魔法陣がどの魔法のものかわかりますか?」
教師は先程までふらついていたとは思えないほど、素早く正確に、教板に魔法陣を描いていく。
「左から、転移の魔法、浮遊の魔法、施錠の魔法……回復、いや、治癒の魔法でしょうか」
「ええ、正解です。最後の魔法陣は教本には載っていないはずですが、よく知っていますね」
プラリアは面白くなさそうにそっぽを向いた。
「サルジアさん、この中にあなたが使える魔法がありますか?」
「はい」
「魔法陣を描くことなしに?」
「はい」
周囲がざわざわとする。隣の席のアマリアは面白そうにサルジアを見つめていた。
「大地はひと続き、記憶を持つ。種は風によって運ばれる」
転移の魔法の呪文を唱えると、サルジアは教師の横に移動していた。
「まあ!」
サルジアは屈んで、床に落ちていたハンカチを拾う。
「先生、落とされましたよ」
「ありがとう」
教師は驚きの表情のままハンカチを受け取った。
「戻ります」
そのまま歩いて席に戻ると、途中の席の生徒から好奇の目で見られる。しかしその目には、どこか尊敬が滲んでいた。
「サルジアさん、今のはルドン・ベキアの魔法ですね」
「はい、師匠に習いました」
「噂に聞いたことがありますが、本当に呪文のみで発動するのですね。実は、私も目にするのは初めてだったのです。ルドン・ベキアはあまり人前には現れませんでしたから。
とても勉強になりました、ありがとうございます」
そう言われると、サルジアも悪い気はしない。きゅっと結んだ口の端が上がってしまっているのを見て、アマリアはくすりと笑う。
「けれど、魔法陣は描けないと卒業できませんから、ぜひ覚えてくださいね」
「はい……」
卒業がかかっているのであれば、魔法が使えるからと放置してよいことではない。サルジアは遠い目をして返事をした。
*
授業が終わると、寮に戻る学生がほとんどだ。
「サルジア、今日は私の部屋に来ない?北の名物、雪と光のケーキが届いたの」
「名物!美味しそうだね」
アマリアとサルジアが寮に向かって歩いていると、きょろきょろと辺りを見渡していた少女が、サルジアの姿を見て走り寄ってきた。
「あ、あの!サルジア様、私、カガリーと言います。少しお話しできないでしょうか?」
サルジアと同じで制服は着用しておらず、赤いスカートを身に着けている。髪はスカートと同じ赤で、左右で三つ編みにされており、心配そうにこちらを窺う瞳は茶色だった。
「あ、アマリア様!挨拶が遅れて申し訳ございません!」
「いいえ、気にしないでください。それより、サルジアには何のご相談でしょう?よろしければ私にも聞かせていただけないでしょうか?」
「それは、もちろんです!」
ということで、急遽三人でのお茶会となった。
「どうぞ、北の名物雪と光のケーキ、朝露のお茶です」
アマリアが用意してくれたのは、まるで雪が降り積もったかのように真っ白なケーキと、澄んだ茶色のお茶だった。
アマリアがお茶とケーキに口をつけるのを見てから、サルジアもお茶を飲む。二人の様子をうかがってから、カガリーも恐る恐るケーキへと手を伸ばした。
「あ、中に果物が!」
「はい、オレンジに似た光石という果物です。魔力を多く含むので、調合にも使われます」
真っ白なケーキの中に黄色の艶やかな実がぎっしりと詰まっている。それで雪と光のケーキというのだった。
「美味しい!」
スポンジは柔らかく、クリームの甘みと光石の酸味が上手くかみ合っている。サルジアはがっつかないように注意しつつ、ケーキを食べた。
「ふふ、満足いただけたようで良かったです。
それでカガリーさん、お話をお伺いしても?」
「は、はい!アマリア様!」
カガリーは緊張した面持ちで話し始める。
「私、中央の出身なんです。どちらかというと西と南寄りなんですけど、そこでずっと暮らしていました。
今まで何もなかったんです。でも、私が入学する前くらいから、魔物が出るようになったんです」
「西と南寄り……最近よく魔物が出るとされている地域ですね」
「そうなんです!でも、でも、それだけじゃなくて!喋るんです、魔物が!」
震えた声のカガリーに、サルビアも驚いた。
普通、魔物は言葉を話さない。話すのは悪魔とされている。
「悪魔じゃないんですか?」
「悪魔ではありません!悪魔は人に近い姿をしていますが、魔物はどちらかというと動物に近い姿をしています。私が見たのは、羊の化け物みたいな魔物だったんです!」
悪魔は人間と判別がつかないこともある。その点を考えれば、カガリーが見たものは魔物で間違いないだろう。
「家族で魔法を使えるのは私だけなんです。魔法学院に入学できたのは嬉しいけど、今は家族が心配で……」
最後の方は消えてしまいそうなほどか細い声だった。
「誰にも相談できなかったけど、サルジア様がさっき、魔法を使ったのを見て、すごい人なんだなって思って……。最初は、悪魔の色をしているから怖いと思っていたけど、そうじゃないってわかったから……」
「私に相談してくれてもよかったのですよ?」
「あ、アマリア様のお力はよく知っております!けれど、何と言いますか……私とは住む世界が違うように感じられて……」
アマリアは預言の館の主である。光の神に館を与えられた上級貴族だ。カガリーは家族が魔法を使えないのだから、当然貴族ではなく、庶民で入学した特殊な学生だろう。
サルジアも館の主ではあるが、仮の主であるという話は知れている。ルドン・ベキアの弟子ではあるが、子どもではないからだ。制服も着ていないので貴族には見えない。カガリーとしてはサルジアの方が話しかけやすかった。
「そうですね。けれど、こうしてお話ししていただけて良かったです。
ねえサルジア、カガリーさんのご家族も心配だし、次の休み……は急だから、その次の休みに一度行ってみない?」
アマリアは乗り気なのか、きらきらとした瞳を向ける。
悪魔の到来を防ぎたい彼女にとって、異様な魔物の話は何かの手がかりに繋がっているように感じられるのだろう。
サルジアとしても、魔物を倒せば功績を立てられるのだから、願ってもない機会ではある。
「保護者の、許可が下りたら、ぜひ」
頭に浮かぶのは、獣のような金の瞳の男。休日にみっちりと礼儀作法のお勉強を取られたことを考えれば、サルジアにはまだまだ課題があるはずだ。
歯切れの悪いサルジアに、二人は不思議そうに首を傾げた。
*
時は進んで平日最後の夜。サルジアは大地の館に戻って、カシモアに事情を説明した。
「喋る魔物、ですか。確かに怪しい話ではありますが、サルジアが行く必要がありますか?
春下月に向けての準備の方が大事です」
「春下月に何かあるの?」
「おや、言っていませんでしたか?各季節の下月には、館の集いがあるんですよ」
「館の集い?」
「名前の通り、館を持つ者たちの集まりです。交流を深めるのが目的とされていますが、まあ言ってしまえば金持ち同士の自慢大会ですね」
先週のように、夕食後にお茶を用意してくれたカシモアは、呆れたように言う。
「元主はそういうのが苦手で、滅多に顔を出しませんでしたね」
「そうしたら、私も行かなくていい?」
「いいえ、そういうわけにはいきません。貴方が仮とはいえ、大地の館の主となったことを報告する必要があります。お披露目、と言えばよいでしょうか。
前の集いは大地の館は大変な時期でしたから、参加していませんが、あなたの話からすれば預言の館の主の報告があったはずですよ」
前の集い、冬下月はルドン・ベキアがこの世を去った月だ。サルジアがアマリアの話をして、カシモアが疑問を抱いていたのは、アマリアが館の主となったことを知らなかったことも大きいだろう。
「ですから、サルジアにはそちらに集中してほしいのです」
「来週頑張るから」
「当然来週では終わらないから言っているんですよ」
カシモアは取り付く島もなかった。
しかしサルジアはここで引けない。ずっと森で生きてきたサルジアにとって、アマリアは初めての友達というものだ。半ば強引に友達になったが、アマリアはサルジアにとてもよくしてくれる。彼女が教えてくれなければ、制服代わりのローブは師匠がサルジアのために用意してくれたものだったということにも気づかなかっただろう。
「カシモア、お願い。相談してきた子は、家族が心配だって言ってたの」
「家族……。サルジアには家族を想う気持ちがわかるのですか?」
サルジアは孤児だった。親には捨てられているし、その後共に協力して生きてきた孤児の仲間にも途中で見放された。カシモアだって何となく事情はわかっているはずだ。だからこそ、彼の声はとても平坦で、純粋な疑問のように聞こえた。
家族を引き合いに出したのは、そちらの方がもっともらしい理由に聞こえるからで、サルジアにとって大した意味はなかった。カシモアの疑問について考えてみるとどうだろうか。
「私は、家族を想う気持ちなんてわからないけど、私が師匠を想う気持ちと似ているんじゃないかとは思うよ」
師匠はサルジアにとって親のような存在だった。
「ルドン・ベキアを想う気持ちと……」
カシモアはしばらく考え込んでいたが、やがて顔を上げてはあ、とわざとらしく溜息をつく。
「仕方ありませんね」
「ほんと!」
「ええ、許可します。ただし、館の集いに向けての準備は、他の時間でみっちりとこなしてもらいますからね」
「うん!ありがとう、カシモア!」
何とかカシモアの許可を得たサルジアは、満面の笑みを浮かべた。
続きます。