39.闇の神の聖力
研究室の活動が終わった後、サルジアはロメリアを待ってからアマリアの部屋を訪ねた。
「サルジア、いらっしゃい。
ロメリアさん、正式に大地の館の館仕えとなったと聞きました。おめでとうございます」
「ありがとうございます」
アマリアはロメリアの白いレースの髪飾りを見つけて微笑んだ。
お茶の準備は勝手を覚え始めたロメリアが行ってくれた。三人で一息ついたところでサルジアはアマリアとロメリアにも情報を共有する。
「悪魔についてはカシモア様が神殿に報告してくださったので、知っていたけど……預言については知らなかったわ。サルジアが光の神の望みを叶える鍵となるのね」
「瞳の色が変わった時期については私も今初めて聞きました」
今後は研究室の活動でわかることもあるかもしれない。サルジアは定期的に報告する機会を設けようと思った。
「そういえば、アマリアとロメリアはどんな研究をしているの?」
「私は光の精霊について。色々とお世話をしてくれるんだけど、精霊達ができることはもっと他にもあるんじゃないかと思って」
「アマリアらしい題材だね」
「私は魔法の杖についての研究を」
「魔法の杖?珍しいですね」
ロメリアは照れ臭そうに肩をすくめた。
「本当は光石を研究するはずでした。西は聖力が他と比べて少ないですから、光石を用いてどうにか魔物の退治に役立てられないかと、アルステーで考えていたのです。
けれど私はサルジア様にお仕えすることになりました。二年生以降では聖力を用いた予言や、魔獣の騎乗などの授業もありますから、聖力のないサルジア様でも支障なく授業を受けられないかと思ったのです」
「ロメリア……」
サルジアは自身を想ってくれるロメリアにじんわりと胸が温かくなる。
「聖力はお祈りで使うことが多いですけど、稀に魔法陣を描くこともあると聞きました」
「ええ。広い範囲の土地の浄化などは、複数人で力を合わせますから」
「私はそれを小さな範囲にも応用できないかと思ったのです。
光石で聖力を補えばサルジア様も普通に授業は受けられますけど、光石の含む聖力の二割ほどしか人間は使えません。そうなると光石は大量に必要になりますし、効率が悪いです。
魔法使いの杖は色々と種類がありますが、光石を材料としたものもあります。杖の光石にある聖力は魔法発動の補助もしてくれるので消費されるのですが、杖にある光石はそれが持つ聖力を全て消費できているのです」
「つまり、光石を杖とすればその聖力を全て消費できる。かつ、お祈りの代わりに魔法陣が使えればサルジアの負担が減るということですね」
「はい。授業までに間に合うかは怪しいのですが、光石についての資料はアルステーでも所有していますから」
「ありがとう、ロメリア」
授業に間に合っても間に合わなくても、サルジアのために行動してくれることが嬉しかった。
「私も、サルジアのために何かできるといいのだけれど」
「アマリアには十分してもらってるよ」
ウェルギーの目のない場所で、今こうして話せているだけで、サルジアにとっては十分だった。
*
翌日またシネンの研究室を訪ねて、サルジアは驚くこととなった。
「カシモア?」
大地の館で別れを告げたはずのカシモアが、何故か研究室にいたのだ。
「サルジア、そんなところで突っ立ってないで、早く中に入ってください」
「うん」
サルジアは取り合えず中に入って、奥に置かれている二人掛けのソファの空いている方に座った。向かいのソファにはシネンが座っている。
「カシモアはどうして学院に?」
「館も私がいなくても回せるようになったので、研究員として学園に入ることになったのです。
悪魔の出現についての原因究明、その対応策の検討は王に命じられていますから、そういった関係もありますね。
シネンさんに任せっきりというわけにもいきませんし、彼の予想や仮説が私の知る事実である場合、それを認める必要もあります」
神の使い、と呼ばれる存在であるカシモアは、言わない方が良いとされている、隠された何かを知っている。王命で悪魔のことについても深く研究することになり、隠すことはやめてもよいと方針を変えたものの、依然カシモアの口からは言いにくいことだ。シネンはそれを推測するという役割も持っていた。
実際にそれが合っているかを判定するためにも、シネンの研究室を訪れていた。
「まずは、全体の情報を整理しましょうか。
今考えなければならないことは、預言について、リトマンという悪魔の発言について、サルジアがなぜ闇の魔法を使えるのかについて、そして悪魔とは何なのかについてです」
「多いね……」
「ええ。預言については一度置いておきましょう。まずは幼いサルジアの瞳は黒色だったことだけ扱います。これはリトマンの発言に引き継がれますね。
サルジアの瞳は元は黒く、その後紫になった。そしてそれはリトマン以外の誰かによって行われた」
「はい。昨日お話しした段階では、その誰かは悪魔で、そのことを隠すために大地の持つ記憶を消したのではないかという話になりました。サルジア様が見知らぬ少年を助けた辺りが怪しいかと」
「恐らくそうでしょうね。サルジアもそう考えていますか?」
「うん。紫は悪魔の色だって知った仲間に追い出されたのは、その後だから」
思えば、あの後、色々と仲間に心配されていた。熱を出したからだと思っていたが、瞳の色が変わったことに対する反応だったのかもしれない。
「瞳の色については何も言われてなかったけど、仲間の反応も熱を出しただけにしてはおおげさだったかも」
「高熱で瞳の色が変わったとでも思ったのでしょうか」
「そうなのかも。髪の色が真っ白になる子はたまにいたから、そこまで変だとは思わなかったのかな。
もしかしたら、仲間に拾われる前から紫だったのかも知れないけど、それ以前はまったく心当たりがない」
赤ん坊の頃の記憶は流石にないが、生まれつきの色なら、両親に育てられることもなく、すぐ捨てられていたことだろう。それに捨てられる前に何も言われなかったことの方が不自然だ。
「防魔の壁付近の森なら、悪魔が出てもおかしくはないですしね。
この時何があったのかは、リトマンは知っているが、何もわかっていない……。
残りのサルジアが闇の魔法を使えることと悪魔については、特に進展はないでしょうか」
「それについて、少し良いでしょうか」
シネンは小さく手を挙げた。
「サルジア様が闇の魔法を使えることについて、少し考えてみました。これについてはカシモア様も知っていることがございますよね?」
「はい、関連することについては」
「でしたら一度、答え合わせをさせていただきたいのです。
サルジア様はまず、闇の神の聖力を持っている。これはカシモア様が測定されてわかっていますよね」
「ええ」
「一般的な聖力、光の神の聖力はこの国の人間なら誰でも持っています。恐らくはその聖力に満ちたこの国で生まれたからでしょう。サルジア様もこの国で生まれています。カシモア様とは違い、出生の記録も台帳に刻まれていますから、闇の神の聖力がある場所で生まれたとは考えられません。
他に考えられることは闇の神に直接与えられたということです。貴族も光の神に聖力や魔力を直接与えられた。だから他の者に比べて聖力や魔力が多い。
つまり、サルジア様はどこかのタイミングで闇の神から直接聖力を与えられたのではないでしょうか」
カシモアは肩の力を抜いて微笑んだ。
「さすがシネンさんですね。
そうです、闇の神と呼ばれていた神が今も存在しています。そして、その神の持つ力は、直接分け与えられた者だけが持っているのです。
見た目上の変化はないですから、時期の特定はできません。サルジアが生まれてすぐ、もしかするとサルジアのその前の世代かも知れません。貴族だって、光の神に力を与えられて随分と経ちますが、子孫はずっと持っている力が大きいでしょう」
「それは、そうですね」
「私も、闇の神について全てを知っているわけではありません。もし、サルジアが直接力を与えられていたのだとしたら、私にとっても何か手がかりとなるかもしれないと思ったのですが……可能性は低いですね」
「そうなのですか?」
「闇の神は……サルジアと接触できるような場所に現れることは滅多にありません。少なくともあと数百年は姿を現さないと思うのです」
カシモアは言葉を選びながらゆっくりと言った。
「シネンさんの考え通り、サルジア、あるいは彼女の祖先が闇の神に直接力を与えられた。だから闇の神の聖力を持ち、闇の魔法と呼ばれるものを使うことができる。それは合っていますよ」
「ありがとうございます」
サルジア自身にも闇の神と会った記憶はない。ただ、何となくなぜ闇の魔法が使えるのかがわかったのは良いことだと思った。カシモアについても知れたような気がして、そちらの方が彼女にとっては感動的だった。
「もう一点、悪魔についても、確認したいことがあるのです。
私はもともと、カシモア様の悪魔についての研究を引き継ごうとしていました。ある程度は詳しいつもりで、シンリー様が王に報告された内容にも目を通しております。
悪魔と魔物は本来同じものであり、魔物は悪魔の不完全な姿である。魔物が西ではなく聖力の少ない場所に姿を現すことは驚きましたが、悪魔と魔物の関係についてはカシモア様の残された資料から何となく予測できていました。
悪魔と魔物の違いはいくつかありますが、重要なのは聖水が効かないこと、紫の印があることだと思うのです。言葉を話すかどうか、容姿の特徴については魔物が不完全な姿であるからだと思います」
「そうですね」
「では魔物はどうして不完全なのか。これに関してはまだわかりません。ただ、紫の印があることで、聖水が効かなくなっているのではないか、と思いました。
悪魔には聖水が効きませんが、悪魔と魔物、双方に結界は作用します。結界には聖力を必要としますから、聖力が悪魔や魔物に有効と言えます。ではなぜ聖水が効かないのか。
聖水は、ただの聖力を含んだ水ではありません。神殿の西側の海で取れる海水に聖力を加えたものが聖水と呼ばれます。聖力を含んだ水は魔物にも効果がないどころか、むしろ魔物に喜ばれます。魔物と対して変わらない魔獣も聖力を含む光石を好みますしね。
以上のことから、聖力を用いた結界等より聖水は効果が弱く、聖水と聖力そのものとの違いが、魔物に聖水が有効な理由、あるいは悪魔に聖水が無効である理由ではないかと思ったのです。」
シネンは真剣な表情でカシモアを見つめている。
「ええ、ほとんど合っている、と言えるでしょう。
私も悪魔について正確に把握しているわけではありませんが、紫の印があることで聖水が効かなくなっているのはそうです、関係があります。聖水と聖力そのものの違いが、悪魔に聖水が無効である理由となっています。
一つ違うのは、聖力を用いた結界等より聖水の効果が弱い、という点です。聖力を用いた結界等と聖水は発揮する効果が違うのです。聖水は魔物の排除、結界は侵入を許さないといった形でしょうか」
「侵入を許さない……」
シネンは難しい顔になってカシモアの言葉を繰り返していたが、はっと顔をあげて、別の話を始める。
「そうでした、このことについて、悪魔がサルジア様に何をして瞳の色が変わったのか、思いついたことがあったのです」
「何でしょう?」
「魔獣は光石を好みますよね。そして魔獣は人に攻撃しない魔物、つまり悪魔の不完全体でもあります。
また、サルジア様は聖力を全く持っておられません。この国で生まれた者はみな持っているはずの聖力を」
そこまで聞いて、カシモアはシネンが何を言いたいのか理解できたようだった。
「サルジアの瞳の色は生まれつきではなく、悪魔によって変わった。それと同じで、サルジアの聖力がないのも生まれつきではなく、悪魔によって消えた、と?」
「はい。魔獣は光石――聖力を好みます。悪魔も同じとするなら、サルジア様の聖力を奪ったということも考えられます」
カシモアはしばらく考え込んで、
「もしかすると、その予想は正しいかもしれません。
どうしてそんなことをしたのか、はわかりませんが、そう考えるとサルジアに聖力が全くないことも説明がつきますから」
重い声でそう言った。
カシモアは横に座るサルジアを見る。金の瞳には心配と、憐憫が宿っていた。
「カシモア、どうしてそんな顔をするの?」
「あなたは……はあ、別に知らなくても大丈夫です。
絶対に、あなたの全てを取り返してみせます」
カシモアは今度はサルジアを真っ直ぐに見つめて、覚悟の決まった顔で言った。しかしその理由もサルジアにはわからないし、教えてくれることもない。
「さて、今回の話はあなたには難しいことも多かったでしょう。ロメリアさんには私からも報告をしますが、アマリア様に話されるなら、次の四つです。
一つ、サルジア、あるいはあなたの祖先が闇の神に直接力を与えられた。それにより、闇の神の聖力を有し、闇の魔法を使うことができる。
二つ、悪魔は紫の印があることで聖水が効かなくなっている。
三つ、聖力を用いた結界等は侵入を許さない、聖水は魔物を排除するというった異なる効果を持つ。
四つ、あなたの瞳の色が変わったことに関して、悪魔があなたの聖力を奪ったと考えることができる。それによってあなたには聖力が全くないのかもしれない」
サルジアは今日聞いた内容を思い返しながらメモを取った。
「ありがとう、カシモア」
「どういたしまして。
さて、一度休憩にしましょうか。シネンさん、お茶はありますか?」
「はい。ご用意しますね」
シネンは立ち上がって、お茶の準備をする。ちらりと見えたお茶はサルジアには見覚えのあるものだった。用意されたお茶を飲んで確信する。
(これは、前にアマリアが出してくれた、朝露のお茶だ!)
雪と光のケーキと一緒に出してもらったもので、アマリアの部屋でお茶をする機会は多くても、飲んだのはあの時の一度だけだ。名物のケーキと一緒に出してもらっていたので、このお茶も北の名産で、貴重なものなのだろう。
カシモアと真剣に話し合っていたシネンだが、実は憧れの人を前にして浮かれる気持ちもあったのかも知れない、とサルジアは思った。
続きます。