32.杖の館の事情
聴衆がいなくなってから、サルジア達も退室することになった。
入り口から出てすぐのところで、聞き覚えのある声がする。
「もう、いいの。私が悪いことをしてしまったのは確かだから」
「いや、あんたがこんなことをしてしまったのは、私ら村の人間があんたを追い詰めてしまったからだ。すまないことをした」
カガリーと、ゴート村の者だろう。
「けど、重い処分にならなくてよかったよ。魔法学院にも、また通えるようになるんだろう?
あんたは、楽しそうに魔法を学んでいたから、良かったよ」
「うん。サルジア様が抑えてくれたから、大事にもならなくて、この結果だと思うの」
「そうかい。とにかく、手続きが終わったら村に一緒に帰ろう。あんたの母さんも待ってる」
「そうだね。直ぐに行く」
東に入るにはそれなりの費用がかかる。村の代表者が一人、カガリーの様子を見に来ていたのだろう。
「サルジア、少し待ちますか?」
「ううん、大丈夫」
カガリーはサルジアを恨んではなさそうだった。もう会話も終わりだろうと、そのまま歩みを進める。
外に出ると、ゴート村の者は一度外に出たようで、カガリーだけが立っていた。
「サルジア様!」
カガリーがサルジアに駆け寄ると、カシモアがサルジアの前に出る。
「あ」
「主に何か御用でしょうか?」
冷たい瞳をしたカシモアにカガリーはさっと顔を青ざめさせる。
「カシモア、大丈夫だから」
流石にかわいそうで、サルジアはカシモアの前に出た。
「カガリーさん、お久しぶりです」
「お久しぶりです、サルジア様。
あの、本当にごめんなさい!」
カガリーはがばりと頭を下げた。数秒そのままで、その後ゆっくりと顔を上げる。
「私、サルジア様のこと、尊敬していたのです。最初に私のお願いを聞いて、ゴート村の喋る魔物を退治してくださいました。
けれど、後でサルジア様が孤児であったと知って、その気持ちが形を変えてしまいました。孤児であったサルジア様は村を救えるのに、私は村のために何もできないのだと思うと酷く惨めな気持ちになってしまったのです。だからベイリー様の言葉に惑わされて、悪魔召喚をしようとしたのです。一番地上に近い悪魔が召喚されるから、サルジア様が悪魔ならサルジア様が現れると。
馬鹿ですよね、サルジア様がゴート村を助けてくださったことに変わりはないのに」
カガリーの話をサルジアは上手く処理できないまま聞いていた。
「サルジア様、本当に申し訳ございませんでした。そして、悪魔の到来を防いでいただいてありがとうございます」
もう一度頭を下げたカガリーに返事ができない。
「サルジア様?」
「あ、いいえ。何でもないです。カガリーさん、これから大変でしょうけど頑張ってくださいね」
「はい、ありがとうございます!」
カガリーは涙を浮かべながら笑顔になった。
「サルジア様の使った闇の魔法については、絶対に誰にも話しません。
それでは失礼いたします」
カガリーはまた施設の中へと戻って行った。
「大丈夫ですか」
カガリーの姿が見えなくなってから、カシモアが心配そうに訊ねる。
「うん。なんか、上手く理解できなくて。
私が孤児だから、今回のことが起きたの?孤児が疎まれる存在というのは理解していたつもりだったけど、まさかカガリーさんがあんな風に思うものだとは思わなかった」
悪魔の色については色々と言われるのも疎まれるのも理解できるが、それと並びたてるように孤児であったことに言及されるとは、サルジアは思ってもみなかった。
「あなたのせいではありませんよ、決して」
「そうかな?でも、これからもカガリーのように考える人がいるってことだよね?」
サルジアがいくら偉大な功績を残そうと、貴族ではなくましてや孤児のサルジアに、その身の上ゆえに恨みを抱くものがいると考えると、恐ろしくなった。
「残念ながらそれを否定することは出来ません。けれど、そうではない人間もこの世にはたくさんいるのです。
サルジア、どうか人との関わりを断とうとはしないでください」
カシモアはいつになく真剣で、どこか祈りのようにも聞こえる言葉にサルジアは何も言えなくなった。
「サルジア様」
その間に別の者がサルジアを呼ぶ。
呼んだのはスルフラン・ロリエ、杖の館の主の子どもだった。
「スルフラン・ロリエと申します。この度は誠に申し訳ございませんでした」
スルフランはサルジアの前まで進むと、深く礼をする。
「スルフラン様、どうかお顔を上げてください」
館の中でも聖なる館たと呼ばれる杖の館の者に急に頭を下げられて、サルジアは混乱した。
「スルフラン様、大地の館に仕えるカシモア・プラタナと申します。
何かお話があるのであれば、場所を移動させていただけませんか。ここでは少し目立ちますので」
カガリーとベイリー以外にも、ここで罰を言い渡される者は多い。それぞれの関係者が施設を出入りしている。
「カシモア様、申し訳ございませんでした。お時間ございましたら、我が館――いいえ、カフェでお話しさせていただけませんか?」
「サルジア、どうですか?」
「はい、ぜひお願いいたします」
今日は後の予定もないのでサルジアは誘いを受けることにした。
杖の館の馬車でそれほど遠くないカフェに辿りつく。スルフランの侍従も兼ねている御者とは入り口で別れることとなった。
店内の客席は広くとられており、人自体は少ない。奥に楽師が控えているのか、穏やかな音楽が空間を彩っている。人々はゲームに夢中でサルジア達に気づかない。
「スルフラン様、お待ちしておりました」
「すまないね、急に」
「とんでもございません。
皆さまがお気づきになられる前に、こちらへ」
サルジア達は店内の客席とは反対側に案内される。すぐに扉が現れ、それを通ると階段が見える。そのまま上って二階につくと、そこには他の客の姿はなかった。
一つのみの客席は一階とは比べものにならないほど豪奢だった。
「ここなら誰もいない。色々とお話しさせていただけないでしょうか」
三人分のお茶が揃ったところで、スルフランが口を開いた。
「まずは、ロリエのベイリーの行為について、サルジア様にご迷惑をおかけしたことを深くお詫び申し上げます。また、これまでのベイリーの全ての言動についても謝罪いたします」
スルフランは彼女が学院でサルジアにどう接していたか知っているようだった。
「お望みがあれば何でもお申しつけください」
「いえ、そういうわけには……」
「サルジア様、これは杖の館からの正式な謝罪とさせていただきたいのです。こちらの都合で申し訳ございませんが、何かご要望をお願いたします」
そう言われても、サルジアには何も思いつかなかった。
「ではスルフラン様、杖の館の所有する中で最も良い杖について、設計書をいただけませんか?」
見かねたカシモアが口を出すと、スルフランはほっとした表情になる。
「はい、かしこまりました。
それから、これはどう受け取っていただいても構わないのですが、わが家の事情についてお話しさせてください。
実は私とベイリーは母が違うのです。もともと今の主とベイリーの母親とで婚約が決まっていたのですが、私の母が杖の館に入ることとなりました。それでベイリーの母親は第二夫人となったのです」
「第二夫人……」
サルジアにとって馴染みのない言葉だったが、隣に座っていたカシモアの表情が険しくなる。
「私が生まれてすぐ私の母は亡くなりましたから、子ども世代にとってはそういった意識は低いのですが。
ベイリーの母は私の母を恨んでおり、その子どもでもある私もまた、彼女には疎まれておりました。父はそれを止めようとしましたが、ベイリーの母はそれで止まるような人ではありません。父は私を庇うようになり、それでまた私への憎しみが強くなるという悪循環でした。
ベイリーは母親の影響も受け、私を兄としては認めていなかったでしょう。けれどどれだけ母親の真似をしても、私が館の後継者となる事実は覆りません。それで彼女はどこか歪んだまま成長してしまったのかもしれません」
スルフランの言葉にはやるせなさが滲んでいた。
「サルジア様を前にしてベイリーを哀れむことはありません。ただ、今回のことについてはあなたに何の落ち度もございません。ベイリーの歪みが、今回の事件を引き起こした、それだけです」
カシモアとの会話を聞いていたわけではないだろうが、あまりにもサルジアの悩みに寄り添った言葉に、サルジアは自然と肩の力が抜けていた。
「私からすれば、今回の罰は軽すぎると思いますが、あなたが証言をされたのであれば、また第二夫人から風当たりが強くなるのでは?」
カシモアの言葉に、するりとスルフランの顔から感情が抜け落ちる。
「いいえ。今回、ベイリーを調査して、別のこともわかりましたから。あの人もそんな気にはならないでしょう」
言い終えた後は笑みが貼り付けられていたが、それはとても不自然なものに見えた。
*
スルフランと別れて大地の館に戻った頃には、サルジアの疲労はピークに達していた。
「カシモア、何だかとっても疲れたよ」
「今日は精神的に負担の多い日でしたからね」
「お風呂はなしで、このまま寝てもいいかな?」
「地べたで寝るのであれば構いませんが、柔らかなベッドで眠りたいのであればさっさとお湯を浴びてきてください」
「はい……」
カシモアは厳しかった。
それでも、お風呂から出て用意されていたのは、食べやすい料理ばかりで、食後のお茶も来客用の良いものが使用されていた。彼なりにサルジアを労わっているのだろう。
「美味しい……カシモア、貴族には第二夫人がいるものなの?」
「スルフラン・ロリエの話ですね。ええ、基本的にはいるかと思いますけど、いなくても問題はありません。特に下級貴族であれば、いないことの方が多いでしょうね」
「館には一緒に住むの?」
「……ええ。夫人同士での立場の差はあるでしょうが、子どもは子どもですから、跡継ぎ候補として同等に扱われて育ちますよ。例えスルフラン・ロリエのように第二夫人に疎まれていたとしても、彼の成長に第二夫人は手を出せません」
「そうなんだ。家族って大変だね」
サルジアは両親をよくは覚えていない。家族がどんなものだったのかを忘れてしまっていた。それでも一緒に暮らしているのならば、多少は家族なりの絆があるものなのだと思っていた。その中で敵意が生まれるのも、同じ父を持つのに兄妹とは思えないことも理解できなかった。
「そういえばあなたは、ルドン・ベキアを想う気持ちが家族を想う気持ち似ているのではないかと言っていましたね」
初めてゴート村に行く時、館の集いがあるからと許可してくれないカシモアを説得するために言った言葉からそういった話になっていた。あの時はサルジア自身どこかぼんやりと考えていたが、今ならはっきりとわかる。
「私は、師匠を親のように思ってたよ」
子弟の関係を越えたそれを、家族愛と呼んでいいのかはわからないが、サルジアにとってルドンはそれほど大事な人だった。
「まあ、師匠がどう思ってたかは、わからないけどね」
ルドンはサルジアを大事に想っていてくれた。それはわかているが、サルジアと同じような気持ちだったとは限らない。二人はずっと一緒に暮らしていたわけでもない。ただただサルジアがルドンを待っていただけだったのだ。
「それは……私にもわかりませんね。けれど、彼はあなたを大切に想っていたと思いますよ」
「うん。私にはそれだけで十分だよ」
もう会うことはできないけれど、ルドンと過ごした日々は、これからもずっとサルジアの胸の中で生き続けるだろうから。
続きます。