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3.赤いローブ

 魔法学院の初週は大した授業もなく終了した。

 翌週以降のカリキュラム、学院内の施設案内などが主で、たいていは午前に終わってしまうからだ。


「荷物の整理もあるからね」


 と、初日で全て整理を終えていたアマリアが教えてくれた。

 魔法学院では食事は食堂で取ることができるし、生活に必要な品は予め部屋に備わっている。サルジアには意味が理解できなかったが、学生でもその侍従でもなさそうな人々がしきりに寮に出入りするのを見てようやくわかった。こだわりの品がある者が多いのだ。

 クローゼットや机など、部屋にあるものとは違うものが運び込まれているのを目にした。部屋にあるものも、サルジアからすれば十分高価なものだが、細やかな装飾の施された家具を見れば、より価値の高いものだろうということは推測できる。

 初日以降、聖水をかけてきたプラリアが接触してこないのも、このためだろう。午前の案内中にそわそわしているし、寮の外で運び込まれる家具を心配そうに見つめる姿がよく目撃された。

 外部の者が入れるのは一週目のみということで、間に合うかを気にしていたのだろう。サルジアが魔法学院を去る時には、まだまだ多くの一年生が寮の周りに集まっていた。

 サルジアはできるだけ人と関わらない内に、とこっそり学院を抜け出し(と言ってももう帰っても良い時間ではある)、人気の少ないところまでローブについているフードを被って移動した。そして片膝をつくと、右の手のひらを地面に押し当てる。


「大地はひと続き、記憶を持つ。種は風によって運ばれる」


 セルジアが呪文をと唱え終わると、彼女の姿は消えた。消えた彼女は、大地の館の前に現れた。

 これはルドン・ベキアがサルジアに教えた、転移の魔法だった。


「お帰りなさいませ。随分早かったですね」


 カシモアは館の扉が開いた音を聞いて、はたきを片手に現れた。


「ただいま。魔法を使ったから早いだけで、ちゃんと授業は受けたよ」

「別に疑ってはいませんが……。ルドン・ベキアの転移魔法ですか?」

「うん。カシモアも知ってるの?」

「私も一応魔法使いですので」

「そういえば、私が初めて来たのは、転移魔法だった」

「はい。私が魔法陣を描きました。けれど、ルドン・ベキアの転移魔法は知ってはいますが、使えませんよ」

「え?」

「ルドン・ベキアの魔法――大地の魔法、と呼ばれることもありますが、それを使えるのは限られた一部の者だけなのです」

「限られた者……」

「私の知る限り、サルジアを含めて十にも満たないです」

「そう、なんだ」


 サルジアはルドンからしか魔法を学んでいないので、そう言われても実感がわかないが、弟子であるサルジアだからこそルドンの魔法を使えるのだと思うと、胸の奥がじんわりと温かくなる。


「こんなところで立ち話はよくありませんね。さあ、その土に塗れた体を洗って、綺麗になってから食堂に来てくださいね」

「塗れてはないよ」

「汚いです。掃除するのは誰だと思ってるんです?」

「ごめんなさい」


 ぴしゃりと言われては、素直に謝るしかない。そもそも、カシモアが一人で館を回している今の状態が異常であり、その原因は悪魔の色を持つサルジアなのだから。


*


 食事はいつもカシモアが用意し、二人で食べる。サルジアが来たばかりの頃は、カシモアは同じ卓で食事を取りたがらなかったのだが、サルジアが説得した。


「そういえば、カシモアは知ってた?悪魔の到来について預言があったって」


 口に物が入っていないことを確認してサルジアが聞くと、カシモアは「ええ」と頷いた。


「しばらくはその話題で持ちきりでしたから。そうですね、お茶でも飲みながらお話ししましょう」


 カシモアは空いた皿を片付けて、一度テーブルを綺麗にしてからお茶の準備をしてくれた。

 森で一人で暮らしていたサルジアは何か手伝いたい気持ちになるのだが、それは館の主としてよくないらしいので、座って待つ。


「どうぞ」

「ありがとう」


 カップに注がれたお茶を飲むと、カシモアの片眉が上がる。


「おや?以前より動作が綺麗ですね」

「そう?」


 言われてから、アマリアの動きを参考にしていたことを思い出す。


「ああ、学校で上級貴族の子と友達になったんだよ。お茶を一緒に飲んだから、その時に――」

「上級貴族とお茶?サルジア、まさか相手より先にお茶を飲んでませんよね?」

「え?うん、どうやって飲めばいいかわからなかったから」


 カシモアはほっとしたように息を吐いた。


「はあ、正解です。何とかなりましたね」

「先に飲んだら失礼だった?」

「失礼、というよりは驚かれると思いますよ。飲食物を提供する側は、先に口をつけて敵意のないことを示しますから」

「敵意?」

「毒など入っていませんよ、ということです」


 毒を盛る行為について考える機会のなかったサルジアは理解するのに時間がかかった。


「ああ、そういうことなんだ」

「ですが、何がどうなって上級貴族とお茶をすることに?すみませんが、先にお相手を聞いても?」

「ええと、『預言の館』の主だよ」


 サルジアは怪訝な表情になる。


「預言の館?次期主はもう少し若かった気がしますが……そろそろ年の感覚が狂ってきましたかね?」

「どうかしたの?」

「いえ、気にしないでください。それで、どうして預言の館の主があなたに声を?」


 サルジアは一度迷ったが、聖水をかけられた件は省いて、アマリアの言っていた目的のみを説明した。


「悪魔の到来を防ぎたいということですね。まあそれができるに越したことはないですね。

 ここの使用人が出て行ってしまったのは、その預言も関係していますから」


 悪魔が来るという預言があるのに、主が悪魔の瞳を持つ者になるというのは、不安を感じるだろう。


「しかし、預言の館がそんな話を?」

「うん。上手くいけば功績にもなるって」

「それはそうでしょうね。

 良いんじゃないですか?実績を奪われないように注意だけしておけば」

「どういうこと?」


 カシモアは問いに答えず、じっとサルジアを見る。


「マシではありますが、矯正の必要はありますね。脇が開きすぎです」

「今?!」

「無駄話をする時間はありません。明日からまた礼儀作法の勉強を開始しなければなりませんね」


 顔を青くするサルジアだったが、カシモアは無情にも直ぐに指摘を始めた。

 明日からって言ったのに、と思っても言えないサルジアだった。



*



 結局休日は全て礼儀作法のお勉強に充てられてしまい、サルジアは疲れた顔で魔法学院で授業を受けていた。


「随分と疲れているように見えるけど、休日何かしていたの?」


 食堂で昼食を取っていると、サルジアの前の席にアマリアが座った。


「うん。家に帰って、ちょっとお勉強を」

「大地の館に帰っていたの?」

「うん」

「大地の館は西の外れにあるよね?」

「うん」


 この国は羽を広げた鳥のような形をしている。東側の翼にあたる部分を東、鳥の頭にあたる北側を北、尾にあたる南側を南としている。厄介なのは西の扱いで、西側の翼にあたる地域は防魔の壁によって入れなくなっている。そのため、一般に西と呼ばれるのは、鳥の胴体にあたる西側の部分だ。反対の東側の部分は中央と呼ばれ、魔術学院がある場所でもある。

 大地の館は西の端、つまり西側の翼、防魔の壁の付近に建っている。もっと詳しく説明するならば、西側の翼の、北側のつけ根あたりに位置している。


「さすがルドン・ベキアの弟子だね。普通は授業のない休暇期間以外は寮で過ごすよ」

「そうなの?」


 カシモアはそんなこと一言も言っていなかった。


「もちろん休日だからどこにいてもいいけど、中央に住んでいる人以外は家が遠いからね」

「そうなんだ」


 もしこの件でカシモアに抗議したところでどうにもならないだろう。サルジアはまだまだ館の主として修行が足りていない。


「やっぱり、転移の魔法で帰るのよね?そうなら魔力量がとても多いのかな」

「魔力が多かろうが、関係ないですよ」


 何やら楽しそうにしているアマリアの後ろに少年が現れた。

 赤の制服を着ているということは、サルジアと同じ一年生だろう。


「まあラナン、急にどうしたの?」

「どうしたもこうしたもありません」


 ラナンと呼ばれた少年は茶色の髪に緑の瞳をしていた。

 アマリアの隣に「失礼します」と声をかけて座ると、サルジアの方を見ることなく横にいるアマリアに向き合う。


「ずっとこいつを見てましたけど、こいつ、時々眠ってましたよ」

「う!」


 まさか見られていたとは、とサルジアはアマリアから視線を逸らす。


「内容的に、先週と同じ話だったから、油断して……」


 カシモアに卒業できるように言われている以上、サルジアも授業を真面目に聞く気はあった。ただ、新鮮味のない話となるとどうしても集中が切れ、睡魔に打ち勝てなかったのだ。


「言い訳はけっこう。

 アマリア様、こんなやつと一緒にいる必要ありませんよ。預言の館の主となられたのですから、付き合う人間は考えるべきです」

「ラナン、サルジアは大地の館の主よ」

「それがどうしたのです?あくまで仮の主でしょう」


 アマリアは形の良い眉を歪めた。


「仮であろうと、館の主である事実は変わりません。私が今、あなたの主ではないのと同じようにね」


 いつもより硬いアマリアの声に、ラナンはぐっと言葉を飲み込んだ。


「申し訳、ございません」

「謝罪はサルジアに」

「申し訳ございません」


 ようやくサルジアを見たラナンは、アマリアに対してとは違い、平坦な声で言う。緑の瞳はサルジアを睨みつけているし、心がこもっていないことは明らかだ。


「いえ、大丈夫です」


 紫の瞳を避ける人々が多い中、こうして話しかけてくれるだけでもマシともいえる。


「サルジア、午後は魔力と聖力の測定があるそうよ。研究者としても名高い先生が、詳しく見てくれるようだから、楽しみね」

「そうなんだね」

「おい、授業の把握もしてないのか」

「ラナン?」

「はい、申し訳ございません」


 サルジアが魔法学院にいるのは、実績をつくるために魔法を使う許可を得るためだ。在籍していることが大事なのであって、学校生活に対した意味はない。


「アマリア、ラナンの言う通りだと思うよ」

「サルジア?」

「私が魔法学院にいるのは、館の主として功績を立てられるように、魔法を使える立場を得るため。

 だから私はここで積極的に学問に励む気はないの」


 卒業できるように学ぶ気はあるが、アマリアほどの熱量はない。


「だから、いつでも一緒にいる必要は――」

「いいえ、それは違うわ」


 アマリアは金の瞳でしっかりとサルジアを捉える。


「サルジア、どういう流れで魔法学院に入ることになったのか、聞いてもいい?」


 特に隠す話でもない。サルジアは素直に打ち明けた。


「そう、春上月にルドン・ベキアの死と館の仮の主となる話を聞いたのね」

「うん。功績を立てるためには魔法を使うのが早いから、それができるようにと」

「魔法学院への入学理由としておかしいとは感じないわ。けれど、私はその話は関係ないんじゃないかと思うわ」

「関係ない?」

「その服、」


 アマリアの視線の先が、サルジアの服に移る。


「学院の制服ではないよね?」

「うん」


 カシモアが事前に申請してくれたため、アマリアの来ているドレスを纏う必要がない。

 深い赤のローブはカシモアに用意してもらった。


「今年の入学生の色は赤。あなたと同じように、ドレスを着ない人達はみんな、赤色の服を着ているわ」

「そうだね」


 全員が同じ服を着ているのではない。限りなく制服に近く作られた服もあれば、ジャケットのような、ただ色だけ揃えたものを身に着けている学生もいる。


「けれど、あなたのそのローブの色ほど深い赤の服を着ている人はいない」

「そうかもね」

「きっと、あなたの瞳の色に合わせたのよ」


 忌み嫌われる色だというのに、アマリアの表情は柔らかかった。


「それだけじゃない。生地は上質な物を使っているし、いくつか保護の魔法もかけられている」

「それは、そうだけど」


 サルジアにも魔法はわかるが、仮の主を失わないための魔法なのだろうと思っていた。どうしてアマリアが優しく、言い聞かせるようにローブについて話すのか理解できない。


「サルジア、その服を用意するのには、短く見積もったって半年はかかるのよ」


 それなりの服を用意しようと思ったら時間がかかるんだな、と思って、気づく。

 ルドン・ベキアがこの世を去ったのは冬下月。入学までは二月もない。


「館の主にならなくても、あなたはきっとこの魔法学院に入学する予定だったのよ。あなたの師匠はそのために、ずっと前からローブを用意していたの」


 ぽろりと、サルジアの瞳から涙が零れる。ぎょっとして立ち上がりかけたラナンをアマリアが手で制した。


「師匠は、何も、話してくれなかったから」


 サルジアは師匠が大好きだった。

 魔法以外の文字の読み方も、食事の作り方も、全て師匠が教えてくれた。

 優しい師匠が次訪ねてくる時を、サルジアは楽しみに待っていた。

 だが、サルジアは師匠のことを良く知らなかった。大地の館の主であることは知っていたけれど、その館でどうやって暮らしていたかも、当然子どもがいたことも知らなかった。


「どうして私を館の仮の主に選んだのかも、わからなかった」


 師匠が決めたのであれば、そのために頑張ろうとは思えた。けれど同時に寂しくも思った。いや、ずっと寂しく思っていた。

 師匠とサルジアは魔法使いの師弟として以外の関わりはない。師匠が訪ねてこない限り、サルジアは師匠に会えない。そのことがずっと寂しかったのだ。そのことをはっきりと意識できたのは、師匠の死を聞いてからだった。


「きっと、あなたのことを信頼していたからだと思うわ」

「そうかな」

「ええ、きっと」


 アマリアはサルジアの隣に移動して、ハンカチで優しく涙を拭ってくれる。


「だから、あなたが魔法学院に入学したのは、仮の主としての役目を務めるためじゃなくて、魔法使いとして学ぶためよ」


 もし師匠がまだ生きていたなら、このローブを持って、あの小屋を訪ねてきてくれていたのだろうか。


――そろそろ、あの子の衣装を仕立ててやらないとな。


 サルジアの耳に、懐かしい声が届く。


「師匠?」


 だがその声を聞いたのはサルジアだけだったようで、アマリアは不思議そうに首を傾げている。


「大地は記憶を持つと言われている。過去の声も聞こえることはあるだろう」


 向かいに座ったままのラナンが、ぶっきらぼうにそう言った。


「そうだと、いいな。ありがとう、ラナン」

「別に!」


 ぷいっと完全に顔を逸らしてしまったラナンを見て、アマリアはくすりと笑った。

続きます。

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