22.闇の魔法
黒い装丁の本は、タイトルのように闇のようで恐ろしく見える。
「魔法関連の書棚にはなかっただろう?よくわかったね」
「何となく、ですよ。失われてしまった、と仰っていたので魔法の書棚にはないと思ったのです」
シンリーはまだ何か言いたそうだったが、肩をすくめてからその本のページを捲る。
「あった、ここだよ」
シンリーの指した先には“裁きの魔法”と書かれていた。
「下に書いてあるのは呪文?魔法陣じゃなくて?」
サルジア自身は呪文で魔法を使うが、基本的に魔法は魔法陣を描くことによって発動する。
「魔法陣もないことはないが、呪文が多かったはずだよ」
ぱらぱらとページは捲られるが、圧倒的に文字が多かった。魔法陣は数個しか見えない。
「この本は防魔の壁付近で発見された。森ではなく、壁ができる前は民家があっただろう場所で掘り起こされたんだ。
この本が見つかってすぐ、当時の有名な魔法使いが試したが、成功しなかった」
「それでもシンリー様はこの魔法が手掛かりになると考えていらっしゃるのですね?」
「そうだよ」
アマリアの問いにシンリーは頷く。
「この本がいつ書かれたのは知らないが、少なくとも五百年以上前だ。そして、この本は地中に埋まっていたにも関わらず、これほど綺麗な状態で残っている。本を保護するような魔法がかけられてたってことさ。
本が発見されたのは二百年ほど前。三百年以上の間解けないほどの魔法がかけられていたんだから、悪戯に作られた物じゃない。それだけ重要なものだってことさ」
シンリーは本から視線を上げ、カシモアを見る。
「どう思う?カシモア」
カシモアはじっと本の内容を見てから、諦めたように溜息をついた。
「これは本物でしょうね」
「あんたなら使えるかい?」
「いいえ。残念ながら、私には使えません」
カシモアは覚悟を決めたようにサルジアを見つめる。そして、「少し失礼します」と個室を出て、壺を持って帰って来た。
「これは、学院にあった壺だ」
魔力や聖力の測定の際に使ったのと同じ壺だった。
カシモアは杖を取り出すと壺に魔法陣を描いていく。魔法陣は完成した後光を放ち壺に溶け込んでいった。
「アマリア様、シンリー様、壺を触って頂けますか?」
アマリアとシンリーは順番に壺を触ったが、特に何も起こらない。その後にカシモアも触れたが、その時も壺に変化はなかった。
「ではサルジア、どうぞ」
サルジアが恐る恐る触れると、壺は途端に黒色に変化し、中に水が現れる。
カシモアはサルジアの手を掴んで、壺から手を離させた。
「やはりそうでしたか」
カシモアは決して嬉しそうではない声でそう言った。
「カシモア、さっきの魔法陣、私も見たことがない物だね」
「ええ。これは私が開発したものですから」
「発表しなかったのかい?」
「すれば大事になります。これは、闇の神の聖力を測る魔法ですからね」
闇の神とはサルジアも聞いたことがなかった。アマリアも、そしてシンリーでさえも知らない様子だ。
「これ以上は、話せません。
悪魔の到来を防ぐだけではなく、その先にも踏み込むというならば、話は変わってきますが」
「ここまではいいのかい?」
「良くはありませんが、この魔法を使うのであれば話さざるを得ません」
カシモアは哀れむような視線をサルジアに向けた。
「サルジア、あなたは一体いつ……」
カシモアがその先を言うことはなかった。
目的の本も見つかったので、必要な箇所だけ写して帰ることになった。
行きと同じで中央まではウェルギーの馬車に乗り、そこでアマリア、シンリーと別れる。道中カシモアはどこか暗いようにも感じられたが、館に戻れば元通りになっていた。
「すっかり遅くなってしまいましたね。夕食の準備をしますから、先にお風呂に入って来てください」
サルジアもなるべく普段通りにしようと、カシモアに従う。
遅い時間だったので夕食は消化の良い物となっていた。薄めの味付けを補うためか、デザートとしてオレンジのゼリーが用意されていた。
「サルジア、私にあれ以上のことは話せません」
習慣となった食後のお茶を飲んでいる時、カシモアはそう言った。
「うん、前も言ってたからわかってる」
「ありがとうございます。
けれど、サポートはしっかりとしますから心配しないでくださいね」
「ありがとう」
「秋上月には学院のダンスパーティーもありますから――」
そこでサルジアはお茶を吹き出しそうになった。
慌てて飲み込んでから口を開く。
「ダンスパーティー?!」
「言ってませんでしたね。各季節の上月には魔法学院でダンスパーティーがあるのですよ。
預言者によれば冬の季節が来る前に悪魔が来ます。このままだと秋のどこかになるでしょう。悪魔への対応でパーティーどころではないと思っていたので伝えておりませんでした。
しかし悪魔の出現地、対処法も既にわかったのですから、あとは備えるだけです。ダンスパーティーも問題なく参加できるでしょう」
「問題しかないよ!ダンスなんてできないよ……参加しないのはだめ?」
「当然だめです。やむを得ない事情がない限り、学院の行事には参加してください。
普段はクラスが別で交流のない同級生や上級生とも話せます。館に仕えてもらう人を探すには丁度良いかと思いますよ」
「……はい」
使用人がいなくなってしまったことを気にしなくていいとは言われているが、今から誰を雇うかを決めるのはサルジアの仕事だ。それを言われてしまっては大人しく従うしかない。
「しばらくはダンスと、闇の魔法についての練習になりそうですね」
カシモアの言葉通り、残りの休みは全てそれらに時間を使うことになった。
「サルジア、足を踏んでいます。私の足を踏むゲームではないんですよ」
カシモアはダンスが下手なサルジアに何度足を踏まれても怒ることはなかったが、常に厳しかった。少しでも遅れると指摘が入り、練習曲を頭から何度もかけ直されるので、サルジアは気づいたら頭に張り付いている練習曲のメロディーを口ずさんでしまい、カシモアに「もう一度踊りますか?」と聞かれてしまうこともしばしばあった。サルジアは全力で断った。
闇の魔法の方は徐々に使えるようになってきていた。サルジアが使う大地の魔法と同じで呪文を扱うので発動できるようになるまでそれほど時間がかからなかった。問題は呪文の長さで、大地の魔法の何倍もあるその呪文を覚えるのが大変だった。
「闇の神に申し上げます。この地を侵す異界の者を罰する力をお貸しください。二柱により護られた聖なる大地に許されざる者は存在せず、禁を犯して踏み入れば罰を受ける定めとなる。裁きの時間が訪れた時、彼らは跡形もなく消え去るでしょう」
まるでお祈りの言葉みたいだと言ったサルジアに、カシモアは似たような物でしょうねと返した。
練習は魔物を相手に行っていた。最初は黒い光が出るだけだったが、徐々に魔物に影響を与えるようになっていった。最終的には魔法を受けた魔物が黒い光に貫かれて消えるようになった。
「ここまでできれば十分でしょう。問題は実戦ですね。悪魔が現れるとなれば、魔物も凶暴化しますし、妨害を受けながら詠唱をできるかはアマリア様の結界次第ですね」
「なるべく速く唱えられるようになればいいかな?」
「速さは関係ありませんが、一度間違えれば最初から唱え直しですよ。普通の速さで間違いなく言えた方が良いと思います」
「そうだね」
本当はアマリアとも連携して練習したいが、サルジア自身にやることがあるのと、アマリアもアマリアで神殿関係の仕事があって時間が取れない。
カシモアは以前の反省を活かして、無理なスケジュールは組まなくなっていたが、休息は多いものの、空いた時間はすべて予定が入っているため、サルジアにとっては少し窮屈だった。加えて、ダンスパーティーに参加するであろう貴族の名前も覚える必要があり、彼女にとってはこれが一番つらかった。
「同学年のベイリー・ロリエ、プラリア・ラナスはわかりますね?」
「ベイリー様は杖の館、プラリア様は豊穣の館の主の子ども」
「いいですね。ではグラウディー・ソードは?」
「剣の館の主の子ども。三年生」
「アルテミシア・ストレリチア」
「光の館の子ども。二年生。王子様、殿下と呼ぶ」
「合っていますが、私のメモそのままを覚えないでくださいね。あなたうっかり口を滑らしそうですから」
「善処します」
会ったこともない人を覚えるのは苦手だった。館の集いでも似たような課題があったが、集いには主に館の主が集まるので、何となくの名前を知っていれば挨拶の際にどこの館かはわかる。だが学生であれば、館の主ではないので、挨拶で自ら館の名前を出すことはない。相手が親切に教えてくれることもあれば、そうではない場合もある。
「あれ?館の関係者はあと一人いたよね?」
「はい、リガティー・フォリウムです」
「賢者の館の主の子ども。二年生」
「合っています。時間はかかりましたが、これなら問題なさそうですね」
ようやくカシモアに合格をもらえたサルジアは、ほっとした。これでベイリーやプラリアのように詰められるようなことはないはずだ。
ダンスは上手くはないが踊れるようにはなった。闇の魔法も習得した。秋月に向けての準備は整った。果たして、実際はどうなるだろうか。
続きます。