2.預言の館の主
サルジアは忙しい毎日を送っていた。
学院の入学時期は春中月にある。師匠であるルドン・ベキアが亡くなったのは冬下月で、その知らせを受けたのは春上月に入ってからだ。入学まで一月もない中、サルジアは日々カシモアに指導されていた。
「はあ、こんなに礼儀のなってない人間は初めて見ました」
「すみません。でも、こんなの学校に行くために必要なんですか?」
「はい敬語、直してください。あなたはもうこの館の主なんですから」
正式に館の仮の主となったサルジアは、カシモアに対して主らしく話すように求められていた。
「カシモア、本当にこんな複雑な作法が学校で必要なの?」
「ええ、もちろんです。
魔法使いは基本的に魔法を使えるほどの魔力を持っていなければなれません。もし魔力が多かったとしても、学ぶ時間がなければなりません。
二つを持ち合わせるのは、たいてい貴族か金持ちですね」
「貴族?」
「はい、この国には光の神の証を所有する王がいます。この王が、国の聖力のわき出る泉を管理しています。
それとは別に、光の神から直接力を分け与えられたのが貴族です。魔力あるいは聖力を所有します。特に光の神に直接与えられた館を持つ家を、上級貴族と言います」
「へえ」
「ちゃんと覚えてくださいね」
じろりと睨まれて、サルジアはおとなしく頷いた。
「ですから、魔法学院に在籍するのはほとんどがそれなりの作法を身につけているのです。そんな中、悪目立ちはしたくないでしょう?」
「悪目立ち……」
「何です?」
「前にカシモアが言ってたでしょう。ルドン・ベキアの弟子が、悪魔の瞳を持っていると噂になっていると」
カシモアは厳しい表情を解いた。
「ええ。こうなることは予想できていましたよ。
大地の館の主は死ぬ前に、館を任せる弟子は紫の瞳をしていると言いましたからね」
「どうして師匠はそんなこと言ったんだろう」
「隠してもしょうがないでしょう。同じ館で生活するなら」
その結果、この館で働いていた使用人はみな、館を去ってしまった。それで、話も広がっていったのだ。
「気にすることはありません。どのみち、共に暮らせない人達でした。
王から館を賜った偉大な魔法使いルドンに惹かれて、集まった人間でしたからね」
偉大な魔法使いに仕えていたのに、悪魔の色を持つ得体の知れない弟子に仕えることになるなんて受け入れられることではなかったのだろう。
「カシモアはどうして残ったの?」
「私は、ルドン・ベキアの館を存続させたかった。一代限りで終わりだなんて、偉大な魔法使いに不似合いじゃないですか」
カシモアは悔しそうな、寂しそうな顔で笑った。
「館を存続させるには、主も必要ですが、使用人も必要ですね。
魔法学院に入学したら、あなたが使いたいと思う人間を探してください」
「え?」
「当然でしょう?私が雇うのではなく、あなたが主なのですから」
「そんなお金ないよ」
「何を言ってるんです。この館を引き継いだということは、ルドン・ベキアの財産を引き継いだということですよ。当然、その遺産から給金は支払われます。遺産はたっぷりありますから、そこは心配しないでください」
そういった細かいところは、全てカシモアが管理しているので、サルジアは知らなかった。
「ひとまずは同年代の女性が良いのでは?私ではあなたのお世話はできませんから」
「別に世話なんて、今カシモアがしてくれてるので十分だよ」
サルジアは森の小屋で一人で暮らしてきた。誰かの手を借りる必要などない。
「私があなたのドレスを締め上げても構わないというのであれば、それでも良いですが」
「ドレス?!あと締め上げるって……」
「最近の流行はそうみたいですよ」
カシモアがドレスを締め上げて、自分が窒息しかけるところまで想像できたサルジアは、大きく首を横に振った。
「困る。けど、ドレスなんて着ないよ」
「さきほど申し上げたことを早速忘れられているようですが、魔法学院に通うのはほぼ貴族。それに合わせた行事も行われます。ドレスを着ないなんてあり得ないですよ。
それに、制服も簡易的なものではありますが、ドレスです」
「ええ?!」
「それは事前に申請して、簡易的なもので出られるようにしてありますが、機会は訪れます」
「事前に申請してどうにかなるものなの?」
「庶民で魔法学院に入る者もいますので。サルジアにはそちらの方で使用人を探していただきたいのです」
庶民もいるのなら、こんな礼儀作法覚えなくても、と思いかけたところをカシモアに見透かされる。
「礼儀作法もできない主人になんて、誰も仕えたくありませんよ」
「はい、ごめんなさい」
「入学までにある程度は覚えましょうね。
入学すれば、週末二日しか館には戻れませんから。行事に合わせた作法は後から覚えましょう。
魔法学院に入学するのは、あくまで魔法を使う資格を得るためです。学生であれば、公に魔法を使っても問題ありませんから。かといって、授業の手を抜いては、資格取得に失敗します。三年間で卒業できるだけの力は身につけてください」
「はい」
「そして一番大切なのは一年以内に功績を上げること。冬上月の終わりには、各館の功績が評価されます。それまでに魔物を倒すか、王の目に留まるような何かをしてください」
「はい」
カシモアは、身をかがめてサルジアの頭を撫でる。
「ルドン・ベキアの館を存続させたいのは、私もあなたも同じです。
一緒に頑張りましょう」
「うん」
厳しい物言いをするし、自身はサルジアを主人として扱う気はないように見えるが、師匠の館を存続させるために、カシモアは手を尽くしてくれている。
師匠の館も守りたいし、ここまでしてくれるカシモアに応えるためにも、サルジアは自分も頑張ろうと心に誓った。
*
そして迎えた入学の日、初っ端から事件が勃発した。
「出て行きなさい、この悪魔!」
中央にある魔法学院で執り行われた入学式に、サルジアも参加していた。
カシモアに用意してもらった深い赤のローブは、一見すると膨らみの控えめなドレスにも見えなくはない。学生のほとんどが着てている制服のドレスのように後ろでリボンを留める必要がないため、一人で着ることができる。
カシモアの言っていたとおり、サルジアと似たような服を纏っている者も点在しており、サルジアはたいして目立たず式に参加できた。と、思っていたのは当人だけのようで、式が終わり、解散の号令が出されてすぐ、サルジアは顔いっぱいに水を浴びることになった。悪魔、との罵声とともに。
「へ」
「間抜けな声を出したって、騙されないわよ。
その紫の瞳が何よりの証だわ!」
サルジアに水をかけたのは、緑の髪に薄緑の瞳をした少女だった。
「ルドン・ベキアの弟子のサルジアだ」
「本当に紫の瞳をしているのね」
まだ残っている人が多く、サルジアと少女を取り囲むように見守る人の中から声が聞こえてくる。
入学式前はじろじろと見られることはあるものの、誰にも何も言われなかったので、サルジアは紫の瞳をそれほど気にする必要はないのかもしれないと呑気に考えていた。それはどうやら間違いだったようだ。
「次の褒美の杯は、大地の館と言われていたけれど」
「こんな悪魔が主となっては、存続すら危ういだろうな」
大事な式が終わったからか、サルジアへの陰口が聞こえてくる。
「聖水が効いて声も出ないかしら?」
サルジアに水(彼女によると聖水)をかけた少女は、周囲の陰口を味方に、長い髪を払って上機嫌に笑った。
「いえ、美味しいです」
その笑顔は、サルジアの言葉によってぴしりと固まる。
「美味しい?」
「これが聖水ですか。ほんのり甘みがあって、美味しいです」
「に、二度も言わなくていいわよ!」
サルジアは大人しく口を閉じた。
しかし、発言に嘘はない。口内に残る聖水とやらは、やはり甘かった。
「聖水が効かないなんて、とんでもない悪魔なのかしら?
今年は悪魔による大きな災いがあると、預言者がそう言っていたわ」
少女の発言に、周囲の人々の間に緊張が走る。
「まさか、そんな預言があるなんて」
「悪魔が出てくるなんて、いつぶりだ?」
いや、目の前の紫の瞳をしている者が、悪魔なのか?
それまでとは違い、好奇心の抜けた冷たい視線がサルジアに刺さる。
「プラリアさん、そこまでにしては?」
静かな声が響くと、緊張はあっという間に解けてしまった。
「アマリア様だ」
「魔法学院に入られたというのは本当だったのね」
人だかりを掻き分けけずとも、彼女の前に道が開く。
サルジア達の方に歩いて来たのは、輝く金の髪と、蜂蜜のような黄金の瞳を持つ少女だった。
「お久しぶりですわね、アマリアさん」
「ええ、冬下月の集い以来ですね」
「その挨拶もなく、急に口を挟まれるのはいかがなものかしら?」
「挨拶を飛ばしましたのは申し訳ございません。
ただ、神殿に仕える者として、今の発言を見過ごすわけにはいかなかったのです」
アマリアの右手首には、ひし形の石のついたブレスレットが光っている。
これは光の神に仕える、神殿の関係者の証だった。
「悪魔による大きな災いがあるなど、むやみに口にしてよいことではありません」
「何か間違ったことでも言いましたか?」
「ええ、間違ってしかおりません」
きっぱりと言い切られて、プラリアは口をぐっと閉じた。
「預言者は悪魔の到来の可能性を伝えられたのであって、悪魔による災いを告げられたのではありません」
「どちらも同じことでは?」
「いいえ、違います。
差し迫った危機があるのであれば、神殿はそう宣言します。ただ悪魔の出現だけを警戒すればよいのに、災いがあるなどと、人々を恐怖に陥れるようなことはいたしません」
言外に、プラリアが余計なことをいったせいで、周囲の人間に恐怖を与えたと言っている。
「それと、悪魔に聖水は効きません。せいぜい魔物まででしょう。それも、あなたの言った間違いです」
「そ、それなら、サルジアが悪魔であるとも――」
「聖水は人間にも効きませんよ。良い方の効果ならありますが」
プラリアは口を大きく開けて、閉じるを繰り返して、
「ご高説どうもありがとうございました!それでは失礼いたします!」
最後にそう言い残して去って行った。
「さて、皆様も、寮に入られた方がよろしいのでは?」
アマリアの言葉に、見物していた人々も去っていく。
「サルジアさん、大丈夫ですか」
残ったアマリアは、ハンカチを取り出して、サルジアの顔を拭ってくれた。
「はい、ありがとうございます。助かりました」
「当然のことをしたまでです」
「立派な人ですね」
思わず飛び出たサルジアの言葉に、アマリアは曖昧に微笑んだ。
「どうでしょうか。
私は、あなたにお頼みしたいことがあって、お話しする機会を伺っていたのです」
*
場所は変わって、サルジアはアマリアの部屋にいた。
魔法学院には寮がある。寮とは言うが、一室一室が広く、豪奢で、サルジアが住んでいた小屋よりも大きい。
「私は侍女を連れておりませんので、大したもてなしはできませんが」
そう言って、綺麗なカップに香りのよい紅茶を注いでくれる。
「いえ、ありがとうございます」
茶会は後!というカシモアの判断により、サルジアは目の前に置かれたカップをどう扱っていいかわからない。先にアマリアが口をつけてくれたので、その動作をできる限り真似ることにした。
「美味しいです」
「良かったです」
「侍女を連れていないのは珍しいのですか?」
サルジアの質問に、アマリアはカップを皿に戻して頷いた。
「魔法学院には侍女や侍従を一人連れて来ることができます。身の回りの世話を任せることもありますが、仕事をさせながら共に魔法を学ばせることもできるので、魔法学院に入学できなくても魔法を学びたい者を連れて来ることもできます。あるいは、主従ともに魔法学院に入学し、従者に世話をさせることもできます」
「そうなんですね」
「サルジアさんには馴染みが薄いでしょうか?偉大なる魔法使いルドン・ベキアの館にも仕える者がいるかと思いますが」
「私は、師匠と一緒に暮らしていたわけではありませんので」
自分のせいで館の使用人は全て出て行ってしまったことは濁して答えた。
「それは……すみません、立ち入ったことを聞いてしまいましたね」
「気にしないでください。それより、私にお話があるとおっしゃってましたよね?」
無理やり話題を変えると、アマリアは申し訳なさそうに眉を下げてから、ええ、と答えた。
「先ほどプラリアさんがおっしゃっていた預言について、サルジアさんに相談したかったのです」
「私に?」
「はい。偉大なる魔法使いルドン・ベキアの弟子であれば、お力になっていただけるのではないかと」
蜂蜜色の瞳は真っすぐにサルジアを見ている。
だが、サルジアは偉大なる魔法使いルドン・ベキアの弟子というだけで、特別な力を持っているわけではない。もちろん、師匠はサルジアに丁寧に魔法を教えてくれたが、あの森の外を知らないサルジアにとって、自分の実力がルドンの弟子と言われるに相応しいかはわからなかった。
「力になれるかどうかはわかりませんが、お話だけでも聞かせてください」
わざわざ自分を探していたのだ。
紫の瞳を持つサルジアを前にしても、動揺した姿を見せないアマリアにも興味がわいた。
「ありがとうございます。
先程の預言について、今一度お話させてください」
「悪魔の到来ですか?」
「はい。預言者が冬中月に、神殿でみなに告げました。冬の季節が来る前に、悪魔が地上に現れる、と」
悪魔は、魔物を統べる存在とされている。悪魔が現れると、魔物が暴走し、人々に襲い掛かる。
「それは、誰かが召喚するとかではなくてですか?召喚された悪魔であればそれほど警戒する必要はないかと思いますが」
「さすが、ルドン・ベキアの弟子ですね」
アマリアは微笑んだ。
悪魔は召喚されることもある。その場合、召喚した者と契約を交わすので、悪魔の行動は縛られ、魔物への影響も少ないとされている。
「その可能性もありますが、光の神が預言者に伝えたのですから、警戒する方の悪魔だと思いますよ。
それに、私も見たのです。真っ赤な口を開けて笑う悪魔を」
「見たって、どこで……ですか?」
「夢の中で。私は神殿に仕える身です。予言者というのですが、神の意志を未来として見ることができるのです」
「預言者とは何が違うのです?」
「預言者は神託の間で神から直接言葉を授かりますが、予言者は未来の――それもどういった意味かわからないものがほとんどです――欠片を見るのです。予言者は神の意志を勝手に拾っているような感覚です」
「そうなんですね」
魔法のことはそれなりに知っているが、北の神殿の辺りや神についての知識はサルジアになかった。
「ええ。私自身、どれが夢でどれが予言なのか、昔はわかりませんでしたが、今ではもうはっきり違いがわかります。悪魔は地上に現れます。それも人に敵意を持って」
アマリアの声は真剣だった。
「預言があって二月しか経っていませんが、神殿に報告された魔物の目撃情報は昨年一年間を超えています」
「そんなにですか」
「ええ。それも、魔物が出るとされる西側ではなく、中央、西、南の境で、です」
「西から移動したのではなく、ということですよね?」
「はい。西側での魔物の報告も上がっていますが、それはすべて防魔の壁付近です。そこ以外に魔物の報告は上がっていません」
「たしかに、変ですね」
西から移動している姿が目撃されず、急に中央付近に現れるのはおかしい。
「サルジアさん、私は悪魔の到来を未然に防ぎたいのです。悪魔と魔物には関係がありますから、ひとまずはこの異様な魔物の出現を抑え、最終的にはどうしてこのようなことが起きるのか、突き止めたいのです」
アマリアは膝の上に置きっぱなしになっていたサルジアの手を取った。
「うまく行けば、『導きの杯』を持ち続けるための功績ともなるでしょう」
「功績のことを知ってるのですか?」
「たいていの人間は知っていますよ。けれど、私もあなたと同じ館の主ですから、他の人間よりは詳しいつもりです」
「館の、主?!」
まさか自分以外にも同じ年で館を持つ者がいるとは思わなかった。
私とは違って正式な館の主だけど、とサルジアは思う。
「ご挨拶が遅れました。
光の神に授かりし『預言の館』の主、アマリア・ウェルギーと申します。以後、お見知りおきを」
「光の、神に授かりし……」
――光の神から直接力を分け与えられたのが貴族です。魔力あるいは聖力を所有します――
――特に光の神に直接与えられた館を持つ家を、上級貴族と言います――
カシモアに習ったところだ!サルジアの体に衝撃が走る。
「そう畏まらないでください、サルジアさん。
これから同じ目的のために力を合わせるのです、サルジアとお呼びしても?」
「ああ、え、あれ?私返事をしたでしょうか?」
「ごめんなさい、ダメだったかしら」
「ダメじゃないです」
潤んだ黄金の瞳で問われると、どうにも胸が痛くなる。サルジアは慌てて否定した。
何にせよ、彼女には功績が必要だ。偉大なる魔法使いルドン・ベキアの館を存続するために。そう考えれば、アマリアの誘いは決して悪いものではないどころか、好機でもある。
「ありがとう、サルジア。私のことはアマリアと呼んで」
「はい、アマリア」
「お友達になったのだから、もう少し砕けた喋り方でもいいのに」
「お友達になったのですか?」
「ダメだったかしら?」
「ダメじゃないです」
おっとりして見えて、中々手強いというのがサルジアの印象だが、サルジアが押しに弱いだけとも言える。
「これからよろしくね」
「うん」
サルジアは入学早々、上級貴族のお友達を手に入れた。
続きます。