19.心配
サルジアが学院に戻ろうとしたところで、ゴート村に魔獣が降り立った。魔物がまた出たのかと怯えた人びとは、それが騎乗用に飼いならされた魔獣だとわかって胸をなでおろす。
「魔物は退治されたようだが、酷い有様だな。アマリア様、浄化をお願いできますか」
「はい、もちろんです」
魔獣に乗って来たのは声からしてクライブとアマリアのようだった。
アマリアは魔獣から降りてすぐ、一番被害のひどい所へと向かっていった。
「サルジア!いないのか?」
クライブは魔獣を近くの木に繋いでから、サルジアを探し出した。
「クライブ先生、ここにいます」
サルジアは慌ててクライブのもとに向かう。
「サルジア!君は、いったいこんなところで何をしているんだい?」
クライブは怒っているように見えた。
「カガリーさんの村に魔物が出たと聞きました」
「ああ、君が倒してくれたんだろうね。だが、君はまだ安静にしておく必要があったはずだ」
「すみません、けど、どうしてもカガリーさんを助けたかったのです」
クライブは溜息をつく。
「サルジア、それは他の誰かの仕事だった。君がわざわざ出向かなくても――」
「カガリーさんが人の被害を抑えているから、魔法士は動かないと聞きました」
その言葉にクライブは眉をつり上げる。
「誰がそんなことを。魔法士は出動に時間がかかるだけで、事態の大小によって問題を切り捨てたりしない。噂好きの連中は、自分は動かないくせに想像力だけはたくましいから困るんだ」
「そうなんですね。
でもやっぱり、私はここに来ていたと思います」
「この村に思い入れが?」
「この村というよりは、カガリーさんが、村を大事に想っていたから。家族を心配していると知っていたから。
私にとって師匠がとても大切な人のように、カガリーさんにとっても家族は大切な存在だと思うんです。そんな彼女が大切な人を失うのは、嫌だったんです」
つい最近、大切な人を失う悲しさを理解した。サルジアは大切な家族を想うカガリーに共感していたのだ。
また、大切な人を大事にしなさいというクライブの言葉も影響していた。クライブ自身も、サルジアの話しぶりからそれを感じ取った。
「サルジア、悪かった。私が言いたかったのは――」
その時、また辺りがざわりとした。もう一体、魔獣がゴート村に登場したのだ。
「あなたがけしかけたんですか?」
冷たい声がクライブに投げかけられる。魔獣から降りて、金の瞳を光らせながらサルジア達の方に歩いて来たのはカシモアだった。
「カシモア……違うの、私がやりたくて――」
「こんな男を庇って何になるんです?それより、自分のことを気にしてください。ローブもこんなに汚れて」
カシモアはサルジアの足元に屈むと、ローブの裾を掴んで布で優しく汚れを取る。
「ごめん、カシモア。でも、今度は魔法陣を失わなかったから……」
「魔法陣?」
カシモアは動きを止める。
「学院に魔物が出て、あなたが倒したと聞きました。付与されていた保護魔法が発動したので、怪我はないと。念のため学院で数日様子を見ると言われていたので、私は迎えに上がらず館で待っていたのです」
カシモアは立ち上がってクライブを睨みつける。今ここにサルジアがいるのはどういうことだ、と責めるように。
「そう、その時はそうだったんだけど、今回は大丈夫だったの」
「どういう意味です?」
カシモアは再びサルジアに向き合う。
「今回は、汚れてしまったけど、傷もついていないし、保護魔法も発動してないから魔法陣も消えてないの」
サルジアは、ルドンの贈ってくれたローブは、師匠を大事に想っているカシモアにとっても大事なものだと思っていた。
だが、カシモアはサルジアの言うことをすぐには理解できなかった。何度か彼女の言葉を頭の中で反芻して、ようやく理解した時には、サルジアの両肩を掴んでいた。
「サルジア!私はローブの状態がどうだとか、そういうことを言ってるんじゃないんですよ!
今は、あなたの心配をしているんです!わかりますか?」
金の瞳は真っすぐにサルジアを見ている。声の様子からも、彼の真剣な思いが伝わる。
サルジアに痛い思いをさせないように、肩を掴む力はそれほど力が入っていないが、カシモアが我慢しているのか細かく震えているようにも感じられた。
「カシモア、私、ごめんなさい……」
カシモアも、サルジアを大事に想っていてくれているとわかっていたつもりだった。それでも、サルジアはすぐにカシモアの心配を自分に結び付けられなかった。
「あなたに謝ってほしいわけではありません。ただ、覚えていて欲しいのです。あなたを心配する人間がいるのだということを」
「それはぜひ、私からもお願いしたいですわ」
そう言ったのはアマリアだった。
彼女は被害の大きい場所を浄化してから、広範囲に対するお祈りをして、一度クライブのもとに戻ってきたところだった。
「サルジア、お願いだから無茶はしないで。あなたが強いのは知っているけど、それでも怖くなるわ。
私、あなたを失いたくはないのよ」
アマリアの瞳には涙が浮かんでいた。
サルジアにとって、自身の死は遠いものではなかった。親に捨てられ孤児となってからは、常に死と隣り合わせだった。
(でも、アマリアも私と同じように、大切な人に会えなくなるのが嫌なんだ。私がアマリアを大切に想うように、アマリアも私を大切に想ってくれてるんだ)
師匠と森で暮らしていた時、彼女には死の危険はなかった。魔物はサルジアに気づきにくいし、対処法もある。サルジアに与えられた小屋は全てから守ってくれるものだった。だから、サルジアはルドンにそういった心配をされたことはなかった。体調を崩す場合と今回のような場合では、心配の方向性も少し変わってくる。
サルジアには、まだまだ学ぶべきことが多かったようだ。
「アマリアも、心配をかけてごめんなさい」
「無事で良かったわ」
アマリアは、サルジアに抱き着いた。アマリアの太陽のようなやわらかな匂いがサルジアを包み込む。
「サルジア、何だかあなた体が熱くない?」
「え?」
言われて、サルジアは魔物を退治した後、体が熱くなっていたことを思い出した。
「サルジア、館に戻りますよ」
カシモアは即座にそう言った。そしてクライブを見る。
「もうここまで来てしまったのです。移動を控えるためだけに学院に残っていたのですから、今更戻る必要もないでしょう」
「好きにしろ」
クライブは素っ気なく言って、サルジアに近づく。
「サルジア、今後はぜひ周囲の心配も考えてくれると嬉しい。
だが、今回の君の行動でこの村が救われたのも事実だ。よくやった」
サルジアは、胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じた。師匠はよく、彼女を褒めてくれたから。
「サルジア、私は完全に土地が回復するまで残るから、また後で会いましょうね」
「うん、頑張って」
「ええ、ありがとう」
アマリアにも別れを告げて、サルジアはカシモアに抱えられながら、魔獣で大地の館に帰った。
続きます。