18.ゴート村の事情
学院内に魔物が出たということで、魔法学院は閉鎖となった。
「教師陣は調査に専念するため、そのまま夏期の休暇に入った。学生はみな家に戻った」
事情を教えてくれたのはクライブだった。
「それなら私も館に――」
「だめだ」
「どうしてですか?もう回復していますよ」
サルジアはまだベッドの上にいたが、どこも痛くない。保護魔法のおかげだろうとクライブは言っていた。
「君が負傷したのは昨日だ。何もなくても、二、三日は様子を見る。それとも館に用事があるのか?」
「いえ……」
週末にはシンリーを訪ねようと思っていたが、ロメリアも帰っているのであれば、彼女から伝わるだろう。
「それならゆっくりしていなさい」
「あの、プラリア様は大丈夫でしょうか?」
一緒にプラリアも医務室に運ばれたことを思い出す。
「ああ、彼女の方は回復魔法もかけられた。朝も問題ない様子だったので、家に帰っているだろう。
何やら君に言いたそうだったが、それはまた学期が始まってからになるだろうな」
プラリアに言われることといえば嫌味くらいだ。サルジアは学期の開始が遅くなることをひそかに祈った。
「魔物の調査には時間がかかるのでしょうか?」
「おそらくは。証言によれば、魔物は最初、人の姿をしていたという。悪魔とも考えられるような魔物は今まで報告されていない。調査は長引くだろう。
ただ、学院の警備強化はそれほど時間がかからないだろうから、学期は予定通りの開始となるだろう」
「そうなんですね」
人の姿をしていた魔物。シンリーの仮説がいよいよ真実性を帯びてくる。
「君も、週末にはここを出られる。学院の警備強化はアマリアさんも協力している。彼女も週末までは戻らないだろうから、二人で話しでもして暇をつぶしていなさい」
「わかりました」
サルジアは大人しくクライブの言葉に従うことにした。
アマリアは学院に結界を張っているらしく、一日数時間程度の仕事が済めば、サルジアに会いに医務室まで来てくれた。特別に許可をもらってお茶会もさせてもらえたので、サルジアはそれほど退屈しない日々を送っていた。しかし、週末を迎える前に不穏な情報が彼女の耳に入る。
「聞きました?ゴート村に魔物が出たんですって」
「まあ、時期が悪いと言いますか……学院の調査に人手が取られている時にですか」
「誰か退治には向かったんですか?」
「いえ、あの村も裕福ではないですから、実力のある魔法使いを雇えるとは思えませんね」
「では被害が出ているのですか?」
「流石に人に被害が出れば、魔法士も動くでしょう」
「では害のない魔物ですか?」
「いいえ、噂によればカガリーというあの村出身の学生が被害を食い止めているとのことですよ」
「特例入学の子ですね。魔法陣が描ければ魔法は使えますから、どうにかなっているのでしょうか」
「とはいえ、まだ未熟な子どもが描いた魔法陣なんて、威力もないでしょう」
「早く助けが来るといいのですが……」
ゴート村に魔物が出た。そしてカガリーが対処している。
――家族で魔法を使えるのは私だけなんです。
――今は家族が心配で……
家族思いのカガリーのことだ、噂は本当なのだろうとサルジアは思った。
前回魔物を退治した時も、村人は最初にカガリーに報告しに来ていた。たとえ家族に害が及んでいなくても、彼女が対処しているに違いない。
サルジアは胸の奥がざわりとして、じっとしていられなくなった。
(カガリーは今、大切な人を失うかもしれない恐怖と戦ってるのかな)
そう思うと、もうベッドに収まってはいられなくなった。靴を履いてローブを羽織ると、呪文を唱える。
「大地はひと続き、記憶を持つ。種は風によって運ばれる」
次の瞬間、サルジアはゴート村、それもカガリーの家の前にいた。
調査による緊張とは遠かった医務室は穏やかだったが、今サルジアの立っている場所は恐怖と混乱で騒がしかった。
「カガリー姉ちゃん、助けて!」
「おい、気をつけろ!そこの家は崩れるぞ!」
「避難場所はもういっぱいだ!他を当たってくれ!」
「魔物だ!ついさっきまで、あっちにいたのに!」
「逃げろ!捕まったら足を折られるぞ!」
「カガリー、何してる!こっちに来てるぞ!」
怒号が飛び交う中、サルジアはようやくカガリーを見つけた。
「おじさん、待ってて!今、魔法を使うから!」
震える手でペンを取り、古い布に魔法陣を描いている。しかしその手は震え、線は歪んでいる。
(あれじゃ効果が半減してしまう)
既に何度も魔法を使ったのだろう。カガリーの手はインクに塗れ、彼女の足元にはたくさんのインクが染みついた布が転がっている。いくつか本も落ちているが、もう魔法陣は覚えてしまって使っていないのだろう。最初は見ながら描いていたからか、彼女の服の裾は汚れている。
魔法陣が一応完成すると、カガリーの魔力に反応して魔法が発動する。叫んでいたおじさんと魔物の間に壁が現れる。
「今のうちに!」
しかし、カガリーが叫んだ数秒後、羊のような形をした魔物に壊されてしまった。
「地は固まり、壁となる」
咄嗟にサルジアが呪文を唱えると、魔物は現れた土壁にぶつかって地面へと倒れてしまう。
「だ、誰だ?!」
カガリーのとは違う魔法に驚いた人々は、サルジアを探し当て、いっそう顔色を悪くした。
「悪魔!悪魔が出た!」
「逃げろ!」
サルジアの瞳の色に恐れをなした人々が必死に足を動かすが、徐々にサルジアに気づき出した者もいる。
「いや、待て!あれはサルジア様ではないか?!」
「あの時の!」
みなが一度は村を救ったサルジアを思い出し、その混乱は収まった。
「サルジア様!お助けください!」
「はい、もちろんです」
サルジアはそのつもりで来た。
魔物とは遠い場所に呪文を唱えて大きな土壁を作り上げる。
「あの裏に隠れていてください」
アマリアのような結界は作れないが、先ほど魔物が弾かれたところを見ていた村人は、サルジアの言葉に従って壁の向こうを目指し始めた。
サルジアはカガリーのもとに向かう。
「カガリーさん、代わります」
「サルジア、様?」
「動けますか?動けるならあの壁の向こうに避難していてください」
「……ありがとう、ございます」
カガリーは瞳に涙を浮かべながら、心底安心したような顔でそう言った。
学院でサルジアを避けていたとは思えないほど、サルジアに信頼を寄せているように見えた。
感謝の言葉を続けながら壁を目指し始めたカガリーを確認してから、サルジアは魔物に向きあう。
羊のような形をした魔物は、以前よりも人間に近づいているように見える。頭は完全に羊だが、体の形はほとんど人で、体を覆う毛だけが羊と共通している。
「ア、あ、もう、わかる、わかるゾ」
魔物はサルジアを見てニタリと笑う。
「ニエ、ニエだ。どうして、サバキ、いる、しらない。でも、つかえない、いっしょ」
魔物はサルジアに向かって真っすぐに飛んでくる。羊の角がサルジアに届く前に、サルジアは壁を展開する。
「地は固まり、壁となる」
分厚い土壁に魔物は跳ね返されてしまう。
「なぜ、なぜだ!」
魔物はサルジアではなく、壁に向かって突進し、何度も殴りつける。
サルジアはその隙に、魔物の見えやすい位置に移動する。
「風は流れる、吹き抜ける」
魔物の胴体を指しながら呪文を唱えると、風が魔物に向かって吹いていく。
魔物は風に押されたが、その体に穴が開くことはなかった。
「かたい……」
サルジアはそれなりに魔力を込めて魔法を使ったつもりだった。それでも風が通らなかったということは、それだけ魔物に力があるということだ。
(前はこれで倒れてくれたのに)
再び呪文を唱えて、学院内で魔物を倒した時のように、指を動かす。その動きに合わせて風が吹くと、流石に魔物は耐えられないようで体に穴をあけ始めた。だが、
「うわ!」
サルジアは足を滑らせた。魔法の焦点も外れ、ただの風が上空に吹き抜けていった。
見ると、彼女の足元はいつの間にかぬかるんでおり、その周辺ももはや液体のようになっていた。
「こざ、こが、こざかしい!」
魔物は壁を放棄して、サルジアに向かって走ってくる。魔法をかけるために離れていなかったせいで、呪文を唱える暇もない。
もしかしたら、ローブに付与されている魔法が護ってくれるかもしれない。
(でも、そうしたらまた、師匠の魔法が消えてしまう)
サルジアはローブを守るように、体を丸めた。
「やめろ!!」
魔物から目を離し、呪文も唱えられないサルジアはそう叫ぶしかなかった。
しかし、衝撃は訪れない。サルジアが顔を上げると、魔物は何かに縛られたかのように動きを止めていた。
「ぬ!ニエのくせに!フクサヨウだ!」
魔物は体の動きを止めたまま何か言っていたが、サルジアはこのチャンスを逃すわけにはいかない。すぐさま呪文を唱えた。
「風は流れる、吹き抜ける!!」
魔物をしっかりと指さし、既に穴の開いている箇所に風を刺す。
「う、ぬあああ!おぼえてろ!おぼえてろ!次こそは、カナラズ!」
魔物は叫びながら体を崩し、塵になった。
「うっ!」
サルジアは魔物を倒して安堵するとともに、体の中が燃えるように熱いことに気がついた。
もしかすると、保護魔法でどうにかなっていた体へのダメージが、無理をしたことで抑えきれなくなってしまったのかもしれない。サルジアは回復魔法をかけようとして、下手に魔法を重ねるのはよくない、とクライブに言われていたことを思い出した。
「サルジア様!」
「おい!魔物がいなくなったぞ!」
「やった!やったよ!」
遠くから、村人の歓喜の声が聞こえた。
「解除」
サルジアは、避難用に設置していた壁を解いた。
村人は思い思いに村へと戻って行く。ぬかるみに足を取られてはいるが、表情は晴れやかだった。ある者は家に戻り、ある者は田畑の確認を行っていた。
「カガリー、どういうことだ」
そんな中、不穏な声も聞こえて来て、サルジアはゆっくりと体を起こした。
「お前がここにいたら、誰が魔物を倒すと言うんだ」
「ごめんなさい、でも、私にはどうにもできなくて……」
「だが魔法を使えるのはカガリー、あんただけなんだよ。私らでは手も足も出ない。あんたまで逃げてしまったら、村はどうなるんだい?」
サルジアが逃がしたはずのカガリーが責められているようだった。
「あの、」
サルジアが近づいて声をかけると、村人はびくりと肩を揺らしたが、サルジアを見て表情を緩める。
「ああ、サルジア様、ありがとうございます!おかげで助かりました」
サルジアは礼を受け取ってから、続きを話す。
「なぜカガリーさんが叱られているのでしょうか?」
村人は嫌そうな顔になって、
「叱られてるって、よしてくださいよ」
と言った。
「カガリーが、村を助けなかったので、どういうことかと聞いているんですよ」
「けれど、魔物は危険ですよ」
「ええ、そうです。だから、魔法を使えるカガリーしか、村を守ることはできないんです。
村は魔法を使えるカガリーを支えてきました。仕事だってこの子の家は軽くなってるし、魔法学院への支度金だって、村で出してるんです。それなのに、魔物を追い払わず逃げるなんて、この村では許されないのですよ」
サルジアを遠ざけるような口調だった。この村で決まっていることをサルジアは知らない。村人も部外者に口を挟まれたくないのだろう。例え二度村を助けたとして、今後もサルジアがこの村を守るという約束もない。
魔法使いに頼もうと思っても、東や北にいる魔法使いにとってゴート村は遠い。何もしなくても高い依頼料は距離によってさらに値上がりする。常時ならば魔物の出現などないに等しい中央の土地だが、今はなぜが魔物が頻出している。そうなれば、何かあった時にすぐに頼れる人が村にいるほうがよいのだろう。たとえ強い力を持たなくても。その人材として育てられているのがカガリーだったのだ。
「今回の魔物は、特別危険だったのです。だから私が代わりに対応して、カガリーには隠れるようにと言ったのです」
「それがどうしたんです?あなたは元孤児でしょう」
特に開示してはいないサルジアの情報が、この村に届いている。その不自然さに、サルジアはすぐに言葉を返せなかった。
「この子は親もいるのに、元孤児に後れを取るなんて……」
それはカガリー、サルジア、両方にとっての侮辱の言葉だった。
「失礼ですが、私の師匠はルドン・ベキアです」
その言葉に、村人ははっとしたようだった。孤児というイメージが先行していたのだろうが、サルジアは偉大な魔法使いの弟子なのだ。
「それに私は、魔法だけを学んできました。カガリーさんは他にもきっと学ぶことがあったでしょう。差が出るのは当然のことだと思いますよ」
「失礼いたしました、サルジア様」
村人は、サルジアの言葉に納得したというより、彼女の立場を再認識して謝罪した。サルジアもそのことには気づいたが、それ以上のことは言えなかった。
「サルジア様、ありがとうございます。けれど、この村のことはこの村で決めます。
今回は、私がサルジア様に責任を押し付けて逃げたのです」
「カガリーさん、」
「今回は本当にありがとうございました。
私は家族が、この村が無事であればそれでよいのです」
そう言って笑う彼女は強がっているようにも見えたが、その言葉に嘘はないように思えた。
「わかりました。この村の事情を知らないのに、余計な口出しをしてしまって申し訳ございません。
失礼いたしました」
サルジアは大人しく、その場から離れることにした。
続きます。