16.学院での魔物の出現
夏の学期も残り半月となっていた。魔法学院の学生たちは休みが近づき、どこか落ち着きがなくなっていた。サルジアもまた、カシモアからの思わぬ贈り物に浮かれていた。
「サルジア様、ご機嫌ですね」
「そうかな」
「はい。何か良いことでもあったのですか?」
ロメリアはサルジアを見て、自身も嬉しそうにしながら問いかけてくれる。
「実はね、カシモアがプレゼントをくれたんだ」
「それは良かったですね!
けれど、私にはカシモア様が贈り物をされるところが想像できませんね」
一緒に喜んでくれたロメリアは首を傾げてしまった。
「ロメリアはカシモアを知ってるの?」
「はい。ルドン・ベキア、カシモア・プラタナ、そしてクライブ・カファリー。この三名は同世代で突き抜けて優秀な方々で、ここ数百年の中でも稀にみる才能だと言われていましたから。
魔法使いは長生きですけれど、若い姿のまま、それも数百年も生きられるのは一握りの魔法使いです」
「そうなんだね」
サルジアは、百歳に近いと言っていた、どう見ても二十台にしか見えない師匠を思い出した。
「クライブ先生は、どちらかというと表舞台に近い所でずっと活躍されてますから、お人柄も知られていますが、ルドン様とカシモア様は人前に姿を現すのが珍しかったのです。
それでも役目を果たすために現れることもありました。ルドン様よりカシモア様の方が人前に出られてましたから、お姿を知っている人もルドン様よりは多いと思います。
けれど、私はルドン様に優しくしていただきましたから、カシモア様のことの方があまりわからないのです。それに、失礼になってしまうかもしれないのですが、カシモア様はお美しいのですが、同時に冷たく見えるといいますか……」
「それはわかるよ」
サルジアも初めて見た時に、カシモアを怖いと思った。初めて会った少女に中々手厳しい対応をしていたことも考えれば、カシモアは見た目も中身も怖い人で間違ってはいない。
ルドンはサルジアに優しくしてくれたし、見た目も優し気であった。
「私もカシモアって冷たい人なのかなって思ってたけど、きっと本当は、とても優しいんだと思う」
「サルジア様がそうおっしゃるなら、そうなのでしょうね」
ロメリアは当然のようにそう言った。
「それにしても、最近アマリアは先生に呼ばれ過ぎじゃない?」
今は放課後に先生に呼ばれてしまったアマリアを迎えに来ている途中である。
最初は三人でお茶をしようとしていたが、アマリアが急に先生に連れていかれてしまった。ロメリアとサルジアで準備をしていたが、それも終わってしまったのでアマリアを迎えに行くことにしたのである。
「アマリア様は、預言の館の主ですから、神殿とのやり取りもあってお忙しいのでしょうね」
「そうなんだ」
改めて考えてみると、学生でありながら館の主を務めるのは大変だ。寮生活が基本となる魔法学院で、北部にある館の業務をするのは距離的にも難しい。
「あれ、カガリーさん」
向かいから、ゴート村の出身でもあるカガリーが歩いて来た。サルジアは声をかけたが、カガリーはびくりとして、目をきょろきょろとさせながら、引き返して行ってしまった。
「何でしょう、あの態度は」
ロメリアは憤慨していたが、サルジアは困惑の方が強かった。一度は共に魔物に立ち向かった仲間として、挨拶くらいはしてもおかしくないと思っていた。
「何か失礼なことをしちゃったのかな?」
「そういうわけではないと思いますよ」
そう言ったのはアマリアだった。カガリーの姿に重なっていて気付かなかった。
「サルジア、ロメリアさん、今日は突然ごめんなさいね」
「ううん、大丈夫だよ」
「もうよろしいのですか?」
「ええ」
「それより、アマリアは何か心当たりがあるの?」
基本的にアマリアとサルジアは一緒に行動している。だが、先生にも呼び出されることも多く、館の主として動いているアマリアであれば、別筋から情報を知ることも考えられる。
「ええ。今回先生からあったお話も、ちょうどそのことについてだったの。
どうやらまた、ゴート村付近に魔物が現れたみたいなの。前みたいに喋りはしないけど、動物の範囲内に収まらないような見た目をしていると」
「そうなんだ。
私達が前行った時は、そういう風には見えなかったけど……」
「やっぱり、常に抜け道があるわけではないのでしょうね。
カガリーさんも家族が心配で、普段通り振る舞えなかったんじゃないかしら」
「そうかもしれないね」
言葉には出さなかったが、きっとサルジアの紫の瞳が、今のカガリーには受け入れ難いのだろうと思った。そうでなくても、魔物を退治した件で一緒にいたのだから、魔物を連想してしまうのかもしれない。
ロメリアはまだ納得がいっていないようだったが、サルジアがそれ以上言わないので彼女自身が口を開くこともなかった。
「今週はシンリー様にご報告に行こうと思っていたけど、先にもう一度ゴート村をみてみましょうか」
「うん、そうしよう」
しかし、サルジア達が調査に行くより先に、事件が起きてしまった。
学生が午前の授業で疲れた体を美味しい食べ物で癒している時にそれは起きた。
活気の溢れる食堂では騒がしさもつきものだったが、それを一瞬でひっくり返すような声が響き渡った。
「あ、悪魔!悪魔が出たわ!!」
学院の庭から聞こえて来た声に、大人しく席で座って食事をとっていた者達は、慌ててその場から離れる。
「おい、どこだ?!」
「まさか、もう建物の中に入っていたりしないよな?!」
悲鳴と怒号が飛び交う中、一緒に食事をとっていたサルジア、アマリア、ロメリアは、人々の流れに逆らって食堂の外に出た。
「誰か!助けて!」
食堂内の大声にかき消されて聞こえなかった被害者の声には聞き覚えがある。
「プラリア様?!」
サルジアにちょっかいをかけてこなくなってしばらくしているが、聞き間違えではないはずだ。声を頼りに近づくと、やはりプラリアがいた。緑の長い髪は乱れ、薄緑の瞳には涙が浮かんでいる。
プラリアの前には、馬のような魔物がおり、ゴート村の時のように二つ脚で立っていた。前脚は腕のようになっており、その先には歪な蹄のような手のようなものがついている。そしてその手で、プラリアの首を掴んでいた。
「うぐっ!」
プラリアが呻き声を上げたと同時に、魔物がぐるりと向きを変え、サルジア達を捉える。そして、プラリアを引きずりながらサルジア達の方に向かってきた。
「ぎぃ!ぐ、ぐるしい、死ぬ、死んじゃう!」
プラリアはかなり苦し気だったが魔物は気にも留めない。
(早くしないと、プラリア様が死んじゃう!)
サルジアにとってプラリアは良い存在ではないが、死を願うほどの人でもない。苦しんでいる彼女は純粋に可哀想だった。
「ロメリア、誰か先生を呼んできて!アマリアは結界を!」
「かしこまりました!」
「わかったわ!」
サルジアも魔物からプラリアを助け出すために準備する。
「地は固まり、壁となる」
魔物の前に壁を出現させると、魔物はその壁を壊そうと、プラリアを掴んでいない方の手(とも言い難い何か)で殴り始める。
サルジアは急いで魔物に近づき、プラリアを掴む魔物の腕の位置をよく確認した。
「風は流れる、吹き抜ける」
魔物の腕は吹き飛び、プラリアは地面へと落下する。
「うっ!」
頭を打ってはいないようで一安心したところに、サルジアの作った壁が壊れる音がした。
魔物は腕を失ってもなお、目前の壁を破壊することに集中していたらしい。そして壁を壊した先にいるのはアマリアだ。しっかりと結界を張ってはいるが、彼女の表情は硬くなっている。
魔物がアマリアを守る結界に攻撃すると、さらに表情が苦しそうになる。結界に異常はないが、いつの間にか周辺の地面がぬかるんでおり、アマリアがそれに足を取られてバランスを崩す。
「アマリア!!」
サルジアは、今まで出したことのない大声が自分の喉から出て行ったのを感じながら、アマリアに向かって走った。
「サルジア、こちらに来ては――!」
アマリアの前に立つと、結界より先にサルジアに魔物の打撃が到達する。サルジアはアマリアの結界を避けながら、地面に転がる。
「ぐ、はっ……」
衝撃で一瞬呼吸を失ったが、想定よりもダメージが少ない。サルジアのローブに付与されていた魔法が発動したのだろう。
「サルジア!私は大丈夫だから、こちらに来てはだめよ!」
体勢を立て直したアマリアは、魔物を見据えながら叫ぶ。
彼女は常人よりも遥かに多い聖力を持っている。そんな彼女の結界は、たかだか魔物に攻撃された程度では壊れないのかもしれない。
そうわかってはいても、サルジアの心は落ち着かなかった。
(アマリアが、アマリアが死んじゃったらどうしよう)
その時頭に浮かんだのは、師匠だった。
――サルジア、また来るよ。
いつもそうやって小屋から去って行った師匠の声を、サルジアは未だに覚えている。けれど、もう二度とその言葉を聞くことは出来ない。
(私、もう、師匠に会えないんだ。これからも、ずっと……)
こんな時に、サルジアはようやくルドンの死を実感した。悲しみで涙が溢れると同時に、現状に対する恐怖も増していく。
(アマリアが死んでしまったら、もう一緒にいられないんだ)
痛みなんてどこかに行ってしまった。恐怖と焦りに突き動かされて、サルジアは立ち上がる。
「アマリアから、離れろ」
そこで、魔物は初めてサルジアを見た。
「風は流れる、吹き抜ける」
サルジアは出来る限りの魔力を込めて、呪文を唱える。
魔物を指さしたまま腕を動かすと、それをなぞるようにして、強い風が魔物を抉りながら吹き抜けていった。
魔物は呻き声を上げながら、体を塵へと変えた。
「サルジア、大丈夫なの?!」
即座に結界を解いたアマリアが駆け寄って来てくれる。
自分の体の内側が熱いような気がしたが、特に問題なさそうだと判断したサルジアは、
「うん」
と答えた。
「サルジア様!ご無事ですか?!」
ロメリアの声がした。彼女は先生を呼んで戻ってきてくれたのだ。
「サルジア、怪我をしているように見えるが、立っていて大丈夫なのか?」
クライブがロメリアの後ろから姿を現す。
「はい、これは大したことないです。師匠の保護魔法が――」
守ってくれたから、と言っている途中に、サルジアのローブから魔法陣が消えていることに気づく。目に見えるものではないが、付与されていた魔法陣が破壊されてなくなったのをサルジアは感じた。
(師匠の魔法が、一つ消えてしまった)
師匠によく似た瞳の色をしているクライブを見て、サルジアの目に再び涙が浮かぶ。
「ひとまず、医務室に向かおう。
アマリアさん、君に怪我はないか?」
「はい」
「では、ロメリアさんと一緒に、プラリアさんを補助してあげてくれ」
気を失ってはいないものの、地面に倒れたままのプラリアは一人では移動できなさそうだった。
「わかりました」
「サルジア、君は私が運ぼう」
いつかのように、クライブはサルジアを横抱きにした。前とは違い、サルジアにクライブの上着を被せて、彼女の顔を隠すようにして。
アマリアとロメリアは、ゆっくりとプラリアを起こし、腕を支えながら、医務室に向かうクライブの後に続いた。
続きます。