第5話 占い
エデンズ大学の図書館の庭に並ぶ複数の大木。その一つ一つの上に木の一部となってツリーハウスがついている。学生たちの人気なスタディースペースで、故に予約制である。ツリーハウスは全部違うデザインと構造をしていて、ミネルヴァが予約したのはとんがり屋根の円柱形で、大きなバードハウスのようだった。中には部屋を囲むたくさんの本棚があり、短い螺旋階段が一階と二階を繋いでいる。大きな丸い窓から光が流れ込み、部屋中を暖かく染めた。一階の中央でアイザックはウィングチェア、ミネルヴァはその横のソファーに座り、二人でカーペットの上のローテーブルを囲った。
「えっ! アンジェリカ・マーシーって……君、あのマーシー家と知り合いなのかい⁉」
「ああ。祖父の代から交流があるみたいでな。それにアンジェリカさんは姉の大学の同級生だった」
「めちゃくちゃ深い仲じゃないか! さすが上流階級。色んなところと繋がりがある」
ミネルヴァはソファーから身を乗り出し、月色の瞳にキラキラと星を宿した。
「マーシー家って、確か珍しく昔から人間と友好関係を築けてる魔術師の一族だよね? 戦時中の頃も人間に協力的だったみたいだし。一般市民の保護とか、戦争孤児のために施設を建てたりとか。今はあれだよね。あの例の組織を先導してる……確かSPECAだっけ?」
「ああ。マーシー家は全員アンジェリカさんの祖父の代からSPECAのエージェントとして勤めてる。彼女の祖父のアブサロム・マーシーは、SPECAの設立者の一人だからな。彼女がサイレンズ湾に引き連れてきた者たちも、おそらくSPECAのメンバーだろう」
Supernatural Powers and Entities Control Agency、通称SPECAは、名前の通り人知を超えた、いわゆる人間にとって〝超自然的〟な存在や力を持つ者たちによってもたらされる問題や事件などを解決し、安全な社会を維持するための組織だ。元々SPECAができる前にも似たような小さな組織がいくつも存在し、独自に活動を行っていたが、いっそそれらの組織を一つにまとめ、情報を共有し、協力し合おうという提案で立ち上げられたのがSPECAだ。かれこれ五十年前の話である。
「へえ、ご立派だなあ。家族そろって世のため人のためって奮闘なされてるわけだ。素敵じゃないか」
「俺としては不都合で仕方がないけどな。SPECAのせいで年々魔術師の自由がなくなっていった。つまらない魔法使用の制限によって昔なら使えていた魔法や研究できた魔法の多くが禁じられてしまった」
「あー、確かに昔に比べたら自由に使える魔法は減ったね。特に危険性の高い魔法は。まあ、安全のためだろうけど」
「はぁ、全く。制限するにしてもせめて魔法の使用場所だけにしてもらいたい。それぐらいならまだ考慮してやれるというのに」
「ふふ、そう言うけどね、君さほどSPECAが提示してる規律を守ってないだろ? 実際同意なしで他人にバースマジック使ってるし」
「バレなきゃ問題ない。くだらん規律なんぞ破られて当然だ」
ミネルヴァは吹き出した。「アッハハ! 君のそういう自由なところ好きだよ。ま、君みたいなのがいるから、そういう規律が増えたんだろうけど 」
アイザックは前髪をかき上げ、ため息をついた。
「リスクを恐れて安全性ばかりを優先する最近の世の傾向にはうんざりする。時にはリスクを冒してでも前に進まなければ社会は発展しなくなるぞ。いま存在する規律を全て規範とし、思考停止してしまうのは自我を持つ生物として怠慢だ」
「うーん、でも規律は社会の秩序を保つために重要だからね。ある程度は仕方ないと思うよ。めんどくさい時もあるけど。まあそのせいで道が塞がれるようなことがあれば、その度に何とか搔い潜っていくしかないね。君がやってるみたいに。それにしても残念だったね。生物Xを見つけられなくて」
「全くだ。邪魔さえ入らなければまだ探索を続けられたというのに。結局あの日の収穫は人魚の死体が持っていた歯だけだ。まあ、それだけでも運が良かったと言えるが」
アイザックは不満をブツブツ零しながら、自分の鞄から革製のポーチを取り出した。中には彼が愛用しているビリヤードパイプが入っている。
「そうそう! その歯って今どこにあるんだい? 私も見たいよ! もう一通り調べたのかい?」ミネルヴァは前のめりになって聞いた。
「歯はいつもの研究室に保管してある。当然もう調べた」アイザックはパイプにピクシーリーフを詰めながら応えた。
「ふふ、あの研究室ってほんらい生物学生徒が共同で使える部屋なのに、もうすっかりきみ専用スペースみたいになってるね」
「長いことリノベートされていない古い研究室だ。他の生徒のほとんどは新しい方を使っているし、別に構わないだろ。特に文句も言われていない」
それはみんな君のことが怖くて文句を言いたくても言えないからだろうなあと、ミネルヴァは心の中で苦笑した。
「それで、調べた結果なにか分ったかい? Xの正体は?」
アイザックはパイプを咥え、魔法で指の先に小さな火を宿し、ボウルの中の葉に着火した。ゆっくりと吸ったあとフーッと息を吐くと、煙がフワッと宙に舞い上がり、糸のように細く薄れ、消えていった。
「……結論から言うとXの正体は掴めなかった。できる限り調べてみたが、あのような歯を持つ現存種を特定することはできなかった。つまり、可能性の一つとしては、Xはまだ世に知られていない新種かもしれない」
「新種かあ……なるほど。もしそれが本当なら、何故SPECAがわざわざこの事件に絡んできたのか説明がつくね。人魚を殺せるほどの力を持つ新種なんて、野放しにしておけるはずがない。下手したら人間も被害に合いかねないからね。でもそこで疑問なのは、サイレンズ湾に落ちた物体は結局何だったのか、Xの出現と何か関係があるのかってことだけど」
「それは俺も疑問に思った。だから昨日の夜、リードからメールがあった際、彼にいくつか質問を送った。そして今朝返事があった。あの日、俺が病院を出たあと、彼も自分の警察チームに戻ってSPECAと共に町を捜査したそうだ。だが結局Xらしき生物は見つからなかった。Xはもうどこか別の場所に移った、もしくは海の方へ逃げたのかもしれないとSPECAは推断したようで、いったん様子見の為にサイレンズ湾を閉じ、後から来た増援の何組かに見張りをさせているそうだ。残りのグループは町の外の地域を捜査しに行ったが、今のところ収穫なし。リードが知っているのはそこまでのようだ。回収された物体の破片はSPECAが全て引き取ったっきりで、警察の方には何の情報も流れて来ていないそうだ。だからあの物体については彼も何も知らないと言っていた」
ミネルヴァはピクリと眉を動かし、顎に手を当てた。
「何の情報も来ていない? 警察に?」
「ああ」
「……それって怪しくないかい?」
「ああ、怪しい。間違いなく怪しい。未だに世間に何の情報も出回っていないのも不自然だ。SPECAが何らかの理由で物体についての情報を開示していない可能性がある」
アイザックもミネルヴァと同じくらい前のめりになった。
「ほうほう、何だろうね。もしかしたらXは本当に他国から送られてきた生物兵器で、その物体はXが乗ってきた航空機だったりして。もしその航空機の出所が世間に公開されれば大騒ぎになる。だから現時点では明かせない。そんな理由だったりして」
「全く有り得ないとは言えないが、今ある情報では何ともだな」
「ふふふ、面白い! 面白いなー。こんなに面白いニュースは久しぶりだよ。アイザック、君マーシー家と繋がりがあるなら探りを入れてきてくれよ。このままこの事件を私たちの中で迷宮入りにさせるのは勿体ない! SPECAが何か知ってるなら猶更だ」ミネルヴァは瞳孔が開いた目で落ち着きなく提案した。
「それが容易くできればとっくにやってる。いくら面識があるからといって、そう簡単に情報を差し出してくれるとは限らない。それに……アンジェリカさんは少し苦手だ……」
アイザックが珍しく目を逸らしながら張りのない声で呟く様子に、ミネルヴァは不意を突かれた。
「へえ……意外だなあ。いつもは満足のいく答えを得るためなら手段を選ばない君が、対人関係を理由に怖気づくなんて」
アイザックはムッとした表情でミネルヴァを睨んだ。
「別に怖気づいてなどいない。慎重になってるだけだ。容易にはいかないだろうが、君に言われなくともいずれどうにかして情報を手に入れるつもりだ。その時に備えて君は今度はどうやって俺から情報を買うか考えておくんだな」
「アハハ、まあまあ、そう怒らないで。いつも自信ありげな君が珍しく弱気なことを言うからさ。ちょっとイジりたくなっただけだよ」
「普通に性格が悪くないか?」
「いや、性格に関しては君に言われたくない」
「……もういい、君には今後一切情報を流さん」
「まあまあまあまあ、そう言わずに! ほら、もし君が何か手伝いがいるようならいつでも手を貸すし、困ったことがあれば全面的に協力するし」
ミネルヴァがアイザックを宥めようとしていると、彼女のポケットの中の携帯が振動した。携帯を取り出し、確認すると、知り合いからメッセージが来たことに気づいた。
「あ、しまった。そういえば今日勉強会の約束があったんだった」
「勉強会?」アイザックは眉を寄せた。「君、そんなのに参加しているのか?」
「勉強会というか交流会? そうそう、そこで最近会ってるメンバーたちをたまに占いの実験だ、あ、いや、占いをしてあげてるんだけど、それが結構ウケてね」
ミネルヴァは身に着けている革製ウエストポーチから施錠された小さな木箱とペンデュラムボードを取り出し、ローテーブルの上に置いた。黒い円状のボードの中心に、金色のペンタグラムと、それを囲む数々の文字が刻まれている。
「友人をあまり待たせるわけにはいかないから、そろそろ行こうと思う。でもその前に約束通り占ってあげるよ」
鍵のダイヤルを回し、木箱を開けると、中には様々な色と形をした宝石が入っていた。
「えーと、君の誕生石ってアクアマリンとブラッドストーンだったよね。先週きみの誕生日を祝ったばかりだもんね」
「あれは祝うというより、君が酒を飲む口実にしていただけじゃあ――」
「はい、好きな方を選んでくれ」
ミネルヴァは片方の手にアクアマリン、もう片方にブラッドストーンを乗せて、アイザックの前に掲げた。
「好きな方?」
「ああ。今日の気分的に。深く考えず、勘で選んでくれ」
この選択に何か意味があるのだろうかと考えながら、アイザックは何となくブラッドストーンを選んだ。暗い森林の深緑に血しぶきを付着させたような色の雫型の石。
「ブラッドストーンね。勇気と献身の象徴。負のエネルギーから心身を守ってくれる守護力の強い石。昔は殉教者たちの流した血によってできた石だと言われていたらしいよ」
ミネルヴァはブラッドストーンに細い鎖を付け、ペンデュラムを作ると、ペンデュラムボードの中心の真上にぶら下げた。
「ダウジング占いか。随分単純な占い方法だな」
「一番シンプル且つ時間がかからない方法なんだよ。あ、だからって手を抜こうなんて考えてないからね」
ミネルヴァは空いてる方の手をアイザックに差し出した。
「じゃあ始めるから私の手を取ってくれ。ほらほら」
ミネルヴァに急かされ、アイザックは渋々彼女の掌に自分の手を乗せた。
「よし。では早速だけど、君が知りたいことを教えてよ」
「知りたいこと?」
「そう。今知りたいこと、気になってること。何でも良いよ。因みにそれは君が心の底から知りたいと思ってることでないと占いは上手くいかないから、くれぐれもあまり適当な質問はしないでくれよ」
アイザックはペンデュラムボードに目を落とした。イエスとノー、七つの曜日、十二星座、二十六文字のアルファベット、一から九の数字。ボードに書かれてあるものは単純な文字列ばかりだ。
「知りたいことなら数多くあるが、こんなボードが答えてくれるとは思えないな」
「まあ、ここは専門的な質問じゃなくて、もっと個人的に気になってることとか、悩んでることとか……例えばカフェで話したように、今後の君の交友関係についてとか」
「それは興味がないと言っただろ」
アイザックは面倒くさそうにため息をつき、とりあえずパッと頭に浮かんだことを口にしてみた。
「ならXについて近いうちに何かわかるかどうか」
「良いね。それは私も知りたい」
ミネルヴァは手作りのペンデュラムを凝視し、集中すると、彼女のペンデュラムを持つ手がうっすらみ空色に光り、その光がブラッドストーンの先へと流れて行った。そして間もなく、彼女が手を微動だにせずいるにも関わらず、ペンデュラムはゆっくりと揺れ始めた。最初はどこを指すつもりなのか曖昧な動きを繰り返していたが、やがてペンデュラムははっきりとある方向を示した。
「おっ、イエスだ!」占ってる当の本人の方が興奮した様子で声を上げた。彼女の言う通り、ペンデュラムの先はイエスの方へ揺れたのだ。
「やったね。近いうちにXの正体がわかるってさ」
「その占いが正しければの話だがな」
期待に満ちたミネルヴァの表情と違い、アイザックは冷ややかな視線をペンデュラムに向けた。
「信用ないなあ。じゃあ他に聞きたいことは? しっかりと答えを出してみせるよ」
「ほう……ならいっそのこと、近い未来にわかるXの正体とやらを、今この場で教えてもらおうか」
「えー! ここで答えを出しちゃうのは面白みに欠けないかい?」
「答えを出せればの話だろ。何だ? 自信がないのか?」
「そういうわけじゃないけど……」
煮え切らない態度で、ミネルヴァは再びペンデュラムに集中した。ペンデュラムはまたさっきのように揺れ始めた。こんな占いでXの正体がわかるとは到底思えず、アイザックは興味なさげにパイプを吸い、フーッと煙を吐いた。
ペンデュラムはしばらく何処を指すわけでもなく揺れ続けると、次の瞬間ピンッと鎖を張り、アルファベットの『J』を示した。
(……J?)
アイザックはパイプから口を離し、ボードに注目した。すると、ペンデュラムはもう一度揺れ、今度はピンッと『M』を指した。他にもアルファベッドが示されるのかと思えば、予想と反してペンデュラムは『M』を指し終えたあと、ダランと定位置に戻り、やがて動かなくなった。アイザックとミネルヴァは数秒間ボードを無言で見つめた。
「……どういうことだ? JとMってなんだ?」
アイザックの問いに、ミネルヴァは顎に手を当て、首を傾げた。
「……誰かの……イニシャルかな?」
「イニシャル?」
「うん……一つ確認したいんだけど、Xが変化魔法を使ってる魔術師である可能性はないんだよね?」
「ああ、それはない。見つけた歯から魔力は一切感じなかった」
「そっか……」
ミネルヴァがまた考え込むように腕を組んだその時、彼女の携帯がまた振動した。
「あ、もう友人がすぐそこまで来てる。行かないと」
携帯の画面をチェックし、相手に短く返事を送ると、ミネルヴァはペンデュラムとボードを鞄に仕舞った。
「悪いね。時間があればもっとしっかり占うんだけど……」
「別に……端から占いなんぞに期待していない。大体Xの正体がイニシャルJ.M.ってどういうことだ。Xに名と姓があると言いたいのか?」
「うーん、正直はっきりとは分からない。私は趣味で占いを学んでいるだけで、預言者じゃないからなあ。でも……」彼女はニヤリと笑った。「もし本当に名前があるのだとしたら、案外Xは何らかの方法で姿形を変えた普通の人間だったりしてね」
ミネルヴァはソファーから立ち上がり、ドアの方に向かった。窓と同じくらい丸い、緑色のドアだ。ノブに手を置いたところで、彼女は振り返った。
「そういえば来週からイースターホリデーだけど、君は何か予定あるのかい?」
「家に帰って研究を続ける」とアイザックは即答した。
「アハハ、やっぱりそんな感じか。うん、君らしいよ」
ミネルヴァは笑いながらドアを開けた。その直後、彼女の両腕から青い光が燃え上がったかと思うと、勢いよく無数のネイビーブルーの羽が生え、梟のような大きな翼が彼女の両側に広がった。
「それじゃあ、カストルくんによろしく言っておいてくれ。あ、あとXについて何か分かったら是非連絡してくれ! すぐに飛んでいくよ」
そう言い残すと、ミネルヴァは床を蹴り、ドアの外へ飛び立っていった。彼女の翼の羽ばたきで風が巻き起こり、アイザックの前髪が勢いよく捲り上がり、部屋の隅の鉢の観葉植物もガサガサと揺れた。風が止むと同時にドアがバタンと閉まり、辺りは静まり返った。
「……騒がしい奴だ」
アイザックは乱れた髪を軽く直すと、自分もそろそろ研究室に戻ろうと立ち上がった。ミネルヴァの言葉が頭の中でリピートする。
〝案外Xは何らかの方法で姿形を変えた普通の人間だったり……〟
いや、それは有り得ない。アイザックは脳内で否定する。魔法なしで人間が姿形を変えられるはずがない。そして見つけた歯から魔力は感じなかった。Xは魔法とは無縁のはずだ。ではあのJとMは何だったのだろう。占いは好きではないし、当てにしたくはないが、ミネルヴァはああ見えて魔法とは真摯に向き合っている優秀な魔術師だ。いくら趣味程度に占いを勉強しているからと言って、適当に占術を行ったとは思えない。あのような結果が出たのには、何らかの理由があるのだろう。
アイザックは杖を出し、転移魔法を使っている間も、ペンデュラムが示したあの二つのアルファベットについて思考した。