第72話 とても、強い人
「これは酷いな……」
アリアス教の信者である男は、思わずそう呟いていた。
それは、地面に倒れ伏す自分たちの同胞を見て出てきた感想である。
アリアス教徒が殺され、血を流している。
何とも嫌な気分にさせられる光景だった。
「まあ、こいつらはかなり強引に活動をしていましたからねー。恨みを受けていたのは理解できますよ」
「アリアス教を広めるのはいいことだが、いくら何でも過激すぎだったからな」
近づいてきた後輩に対して、そう返す。
倒れているのは、アリアス教の中でも過激派と言える信者たち。
現在、宗教全体として他宗教から鞍替えをさせようと勧誘活動をしているが、かなり乱暴な手段を取っていたのが、倒れている信者たち――――マサド一派であった。
アリアス教のために身を粉にして働くのはとてもいいことであるが、あまりにも過激に過ぎた。
「ですね。アリアス教こそ世界で最も素晴らしい宗教ですから。それを広めて多くの人を救うべきなのは間違いありません。ですが、マサド一派は神の威光にかこつけて自分たちの欲望を叶えるために行動していたようですしね」
「いずれ、このことが起きていなかったとしても、懲罰部隊が動いていただろうな」
後輩の言葉に、男も頷いた。
マサドたちが純粋にアリアス教のためだけに行動していたら擁護したくもなるのだが、彼らはどうにもそうではなかった。
アリアス教を後ろ盾に、自分たちの欲望を満たすために行動していた。
あくまでも、アリアス教はアリアス神のために存在している組織であり、人員である。
それを忘れるようなことになれば、自浄装置としての懲罰部隊が動いていたことだろう。
アリアス教の中で秩序を齎し、教義を遂行するために存在している暴力装置。
彼らに目をつけられると、待っているのは死のみである。
恐ろしいことだと、背筋を凍らせる。
「ただ、マサドが倒されるとは思っていませんでしたね。こいつ、好き勝手出来るくらいには、相当力を持っていましたから」
「そうだな。だからこそ、上層部も簡単に懲罰部隊を動かせなかったということもあるだろうし。まさか返り討ちになんてあえば、メンツが丸つぶれだからな」
マサドの炎……強大な力は、アリアス教の中でも知られていた。
懲罰部隊が動かなかったのは、ラインを超えていなかったことや証拠を集めきれていなかったこともあるかもしれないが、彼の力を脅威に考えていたこともあるだろう。
恐怖と暴力で規律を守る懲罰部隊が返り討ちにあったとなると、もはやその抑止力はまるで機能しなくなる。
それを恐れていたのではないかと、男は考えていた。
そんな恐れられていた男が、こうして血を流して倒されているということは、驚くべきことだった。
いったい、誰がこのようなことをできるのか。
「ええ。ですから、普通の懲罰部隊でなく、何と聖女とかも動く予定だったらしいですよ」
「聖女が!? そいつはまた……」
後輩の言葉を聞いて、ギョッと目を見開く男。
聖女。それは、アリアス教の中でも特別な存在だ。
どの宗教でも『聖』と言葉がつくものは特別視されるものではあるが。
そんな存在が、マサドを調伏するために動こうとしていたのだ。
「だとしたら、いくらマサドでもどうすることもできなかっただろうな。……というか、お前はどっからそんな情報を仕入れてくるんだよ」
「へへっ、そこは企業秘密ってことで。ただ、聖女レベルが動くとなると、やっぱり噂になりますよ。めったにないことなんですから」
「確かになあ。普段は自由にアリアス教のために行動されているらしいが……俺たちとはまったく違う存在だもんな」
聖女が動くのであれば、強大な力を持つマサドでも一巻の終わりだったことだろう。
そう断言できるほどの、聖女とは特別な存在であった。
「神から直接加護と力を与えられたお方だ。うらやましい限りですが、それだけアリアス神に尽くしてきたということでしょうね。俺ももっと精進しないといけないなあ」
「その気持ちがあるだけで十分だろ」
男も、そして後輩も、彼らはアリアス神のことを敬虔に信仰しているが、神の姿を直接見たことはないし、何かしらの恩恵を得られたこともない。
それが普通のことだろう。
数万といる信者たちの元にそれぞれ赴いて加護を与えたりしていれば、いくら神とはいえ身体が一つではとてもではないが足りない。
ただ、聖女は違う。
彼女らは直接アリアス神と相対し、強力な加護を与えられた存在である。
羨ましく思うところはあるが、それほど神から愛されるだけの何かをしたということである。
そもそも、神とは平等ではなく、えこひいきをする存在だ。
それは、彼らもよく分かっていた。
だから、聖女に妬み嫉みを向けることはない。
「ともかく、マサドたちを屠った奴らを探さないとな。こいつらがやりすぎだったとはいえ、我々の活動に支障をきたす可能性がある。不安の芽は摘んでおくべきだ」
「そうですね」
マサドたちを返り討ちにしただけならともかく、アリアス教に牙をむく可能性もある。
それは許せないし、何としても防がねばならなかった。
彼ら二人が行動を起こそうとしていると……。
「――――――ご苦労様です」
静かで美しい声が聞こえてきた。
そちらを見れば、アリアス教徒なら誰もが知っている存在が立っていた。
「あ、あなたは……!」
「そんなに緊張しないでください。私にも緊張がうつってしまうので」
「そ、そうは言われましても……」
無茶を言うなと言いたかった。
なにせ、目の前に立っているのは聖女。
つまり、アリアス神のお気に入り。
彼女の不興を買うことは、すなわち神の不興を買うということ。
絶対に避けなければならないことだった。
「ここにいたのも、たまたまなんです。お二人の邪魔をしないように、すぐに立ち去りますので」
「いえ! いつまでもいていただいて結構です!」
自分の立場が分かっている聖女は、かすかに苦笑いする。
このような応対をされるのは本意ではないのだが、無理からぬ話だろう。
仮に自分が逆の立場だったら、同じようなことをしたかもしれない。
そう思い、聖女は視線をそらして倒れるマサドを見る。
「これは……」
目を丸くして、驚愕を露わにする。
付き合いのほとんどない彼らは分からないが、彼女と親交のある者は、とても聖女が驚いていることに気づくだろう。
「この方も相当の実力者と聞いていましたが……それ以上の圧倒的な暴力で押しつぶされたようですね。これだけのことができる者は、世界中を見ても数えられるくらいでしょう」
「見当がついているんですか?」
「いえ、さっぱり。ですが……」
聖女――――ルサリアは空を見上げる。
「とても、強い人だと思います」
マサドをこのように打ち倒した男と相対するのは、そう遠くない未来だった。




