第70話 悪は滅びた
赤い業火がすべてを焼き尽くす。
人も、物も、魂さえも。
火は、人類に文明を与えると同時に、絶対的な恐怖を突きつけるものだ。
どれほど抵抗しようと、生物は焼かれたら死ぬ。
高度な文明を作り上げた人間でも、それは変わりない事実。
猛々しく燃える炎には、恐怖を抱くものなのだ。
「どうだ、きれいだとは思わねえか? 俺は、炎が大好きだ」
しかし、目の前で燃え盛る炎を見て、マサドは恐怖なんて微塵も抱いていなかった。
どこに恐れる要素があるというのか。
火は、とても美しいものだ。
別に、美術品などを見て綺麗だと思えるような、質のいい人生は送ってきていない。
美女を見たとしても、素直に美しいとは思えないだろう。
だが、火だけは違う。
これは、何の言い訳もなく、ただただ美しいものだと胸を張って言うことができた。
「一番きれいなのは、生物……とくに、人間を焼く火だ。これほど美しいものは、この世に他にないだろう。なあ?」
そう言って同意を求めるマサド。
目を向けられた聖剣とアンタレスは、目を見あって呟いた。
「変態だわ……」
「変態ですわ……」
「いや、あんたが言うの?」
お前も変態だろ、と言いたくなるのを何とかこらえる聖剣。
なお、その態度と言葉から、こらえた意味はほとんどなかったりする。
もちろん、アンタレスもマスターの大切な武器なので、攻撃することはない。
大切な武器でなければ?
……その時はその時だったという話である。
「さて、次はてめえらだな。と言っても、『血染めの勇者』が強いってことは分かっている。俺は別に戦闘がしたいわけじゃねえから、見逃してくれるんだったらこっちからも手を出すことはしないことを約束するぜ。ただ、そこのシャノン教の女信者は渡してもらうがな」
アルバラードの身体を燃やして轟々と音を立てている炎を背にして、マサドは言った。
『絶望』のアルバラードを殺すことができたからと言って、『血染めの勇者』も殺すことができるとは、到底思えなかった。
不意打ちに近いものがあったからこそ、うまくいっただけだ。
しかも、相手は歴戦の勇者である。
戦いたくもない相手だった。
この炎に怖気づいてくれればいいのだが……。
「いや、見逃すわけないですわよね? マスターにたてついた愚物を潰さないはずがないじゃないですの。当然ぶっ殺しますわ、お前」
「殺意たかっ!」
無論、怖気づくはずがなかった。
アルバラードの薫陶を受けて育ったアンタレスである。
たとえ、どれほど強大な相手だとしても、嬉々として攻撃を仕掛けたことだろう。
アルバラードに敵意を向けて攻撃を仕掛けたということで許されるはずもない。
正直、今にもぶっ殺してやりたいところなのだが……。
「でも、今回はわたくしの出る幕はないですの。だって、あなたはマスターを怒らせたんですもの」
「……はあ? 何言ってんだ? お前の言っているマスターとやらは、俺の火でとっくに死んで……」
死んでいる奴が怒って、何が怖いのか。
そもそも、そんな感情を抱くことは、死人にはできない。
怪訝そうに眉を顰めるマサド。
彼の耳に低い声が聞こえてきたのは、そんな時だった。
「――――――その通りだ、アンよ」
「…………は?」
ギョッとして振り返る。
生物の焼かれる火は、相変わらず美しい。
……その美しさに、陰りがあった。
それが意味するところは、生物が焼かれて命を燃やしているわけではないということ。
「私の心に燃える正義の炎。貴様の小火程度では、何の影響もないのだよ」
燃え盛る炎から、当然のようにのそりと姿を現したアルバラード。
多少身体が焼けているが、その程度であった。
明らかに人の命を奪えるレベルの業火だったのに、身体機能に影響を及ぼすような火傷は全く見えなかった。
「なん、で……生きてやがる!? 効いていないのか!?」
「ふっ……私には、聖剣の加護がある。ゆえに、この程度では死なんのだ」
「さすがマスター!」
「いや、私そんな加護持っていないし、持っていたとしてもアルに上げないし! なんで焼かれてないの? こわっ……」
聖剣は戦慄していた。
何か一切加護とか与えていないのに、貰った気になってどや顔している化け物がいる……。
というか、何で生身の人間があれだけの火力で焼かれてちょっと煤汚れているくらいなのだろうか。
意味が分からない……。
キラキラと目を輝かせているアンタレスも意味が分からない。
そして、もっとも意味が分からないのは、自分の炎に絶大な自信を持っていたマサドだろう。
「俺の火が……この世で最も尊いものが、効かねえ人間なんているわけねえだろ! 証明してやるよ、テメエのいかさまをよぉ!」
身体から溢れ出す業火。
それは、まるで意思を持つかのように荒れ狂い、アルバラードに襲い掛かる。
近づくだけで皮膚が火傷を負うほどの圧倒的な火力。
それが近づいてくるのは、まさに死そのものが近づいてきているのである。
だが、それを見ても冷静に顔色一つ変えないアルバラードは、聖剣を振り上げ……。
「ふぅん! 『死霊の嘆き』」
お得意の必殺技(文字通り)を放つ。
もう、この技に関しては聖剣が許可していなくても存分に振るうことができる。
何だか侵食されていっているような感覚がして、聖剣はガチで身震いするのであった。
「お、俺の火が……喰われていく……!?」
あふれ出る苦悶の叫びそ濃縮したような闇。
それは、迫り来ていた業火を、瞬く間に飲み込んでいく。
衝突してせめぎ合いのようなことも起きない。
ただ、一方的に炎が食いつくされていく。
そして、次の瞬間には、燃え盛っていた美しい炎は、跡形もなく消滅していたのであった。
「…………」
マサドは目を見開いてその光景を焼き付けていた。
大量に浮かび上がっている脂汗。
それは、自分の誇りでもある炎が、跡形もなく消滅させられたこと。
そして、自分の身体が、致命傷を負っていたことが原因であった。
アルバラードの放った『死霊の嘆き』は、業火を喰らいつくしてその勢いのままマサドの身体をも襲っていた。
致命傷を負った彼は、口から血を流して苦笑いした。
「……いいじゃねえかよ」
マサドは、自分の炎こそが世界で一番に美しいものだと思っていた。
だが、最期の最期に見たアルバラードの悍ましい攻撃は、火に勝るとも劣らない美しさを孕んでいた。
だから、マサドは多少思い残すことはあるものの、満足して地面に倒れ伏したのであった。
「悪は滅びた」
「悪は残ったの間違いじゃないの?」
満足げなアルバラードを見て、露骨に顔を歪める聖剣であった。
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