第66話 アリアス神の思し召し
「で、今回のことには首を突っ込まないの?」
宿の部屋に入ってからしばらくして、私は馬鹿二人にそう問いかけた。
さっきまで言っていたことを簡単に翻しそうな二人だからである。
確認の意味も込めて尋ねた。
「基本的に、突っ込むつもりはない」
「あら、そうなの? いや、私としてはありがたいんだけど」
懸念するところだったのは、やっぱり宗教戦争に首を突っ込むわ、と言われることである。
しかし、アルは意見を変えるつもりはないらしい。やったわ。
「そもそも、宗教同士が勝手に殺し合うのは好きにすればいいだけの話だ。どちらも自分たちの正義のために戦っている。私が介入する余地はない」
ふーん……こいつの悪人基準がまったく分からん。
でも、余計な修羅場を経験しなくていいのであれば、別にいいわ。
「ただし、一般の市民に危害を加えるようであれば、話は別だがな」
「話を聞いている限りですと、アリアス教はどうにも他の関係ない無実の民にも影響を及ぼしているようですわね……」
目をギラリと光らせるアル。
アンタレスも同調するようにうなずいていた。怖い。
「うむ。ルサリアは炊き出しをしていたことから見逃したが、もし周りの迷惑を考えずに暴れるアリアス教信者がいれば、殺すとしよう」
「ですわね!」
「やばすぎる計画立てないでよ……」
なんでそんなにこやかに他人の殺害計画を口にすることができるのよ。
これが分からない。
「というか、そんなバカなことを仕出かす宗教を敵に回したら、相当面倒くさいんじゃない? ああいうのって、一度敵に回すと、死ぬまで追い詰められそう」
基本的に、組織や集団の人間に手を出すと、それがまとめて敵になるから大変なのよね。
やっぱり、数は力だし。
だから、集団と敵対するときは自分も集団をつくる必要があるんだけれど。
とくに、宗教とかは教義を通すためなら強烈に排他的になりそうなものだし。
しかし、そんな危惧を、バカ二人は恐れない。
「大丈夫だ、問題ない」
「死ぬまで追いかけ回すのはこちらの方ですわ! 獲物はわたくしたちでなくあいつらで、狩人はあいつらではなくわたくしたちですもの!」
「素晴らしい。よく言った、アン」
「はい、マスター!」
キャッキャッと楽しそうにする二人。
なにイチャついてんねん。
「……まっ、かわいそうなことになるのはあんたたちを敵に回す方よね。知ってた」
よくよく考えれば、相手が集団でもこの二人なら容赦なく皆殺しにして勝つだろう。
心配する必要がなかったわ。
「とりあえず、この街では何もないといいわねぇ……。本当に……」
まあ、こういうのって基本的に杞憂で終わることばかりだから大丈夫でしょ。
平気平気。
◆
アルバラードたちが滞在している街の、とある建物の中。
そこには祭壇があり、何かに礼拝をささげる場所だった。
大きな教会のように立派なものではないが、確かに少数の信者が集まって、毎日祈りをささげていた神聖な場所である。
そんな大切な場所は、今徹底的に荒らされてしまっていた。
そして、その宗教の信仰者である男は、鼻血を垂らしながら尻もちをついている。
そんな男の前で、一人の男がしゃがみ込み、態度悪く声をかけた。
「なあ、言っているだろ? 何度も何度も何度もさあ。俺らは別にお前らを痛めつけたり、殺したりしたいわけじゃねえんだって。ただ、頷くだけでいいんだよ」
声音は優しいが、内容は人の恐怖をあおるものだった。
実際、声をかけられている信者の男も、表情は怯え切っている。
そんな彼に、男はニッコリと笑いかける。
「お前らの今信仰しているゴミ宗教を棄教して、アリアス教を信仰しろっていう優しい提案にさあ」
「な、なにが優しい提案だ……。こんなことをして、許されると……!」
信者にとっても、自分の信仰する宗教はとても大切である。
棄教なんて、できるはずもない。
だが、男は理解できないように顔を歪めた。
「お前らみたいな弱小宗教を攻撃して、こっちに何の不利益があるんだよ。まさか、アリアス教とやり合うつもりか? マジで殺されるぞ、お前ら。止めとけよ。これは、脅しとかじゃなくて親切な忠告だぜ?」
「…………っ!」
言い返したいが、言葉を詰まらせてしまう。
男が言っていることは事実だった。
仮にアリアス教が本気で潰しにかかってくれば、抗うすべなんて持ち合わせていない。
規模が違いすぎるのだ。
抗っても、あっけなく押しつぶされるだけである。
最悪の、死という結果が待っているだけだった。
「どうして、こんなことを……。私たちは、何も悪いことなんてしていなかったじゃないか……」
「どうしてって、そりゃあお前……」
分かり切っているじゃねえか、と男は笑う。
「アリアス神の思し召しだよ」
宗教を背負って行動しているのだ。それ以外に何があるのだろうか。
そう、口では言っておく。
「で、どうするんだよ。早く鞍替えしてくんねえかな? 俺、別に殺しとかしたいわけじゃないし」
「くっ、うぅ……っ」
悔しさのあまり涙をこぼす信者。
しかし、抗えば待っているのは死である。
結局、彼は自らの信仰を捨てることになるのであった。
「上手くいきましたね! さすがマサドさん!」
「うるせー」
建物を出ると、男――――マサドに駆け寄ってくる部下。
部下というようなしっかりとした上下関係があるわけではないのだが、圧倒的な暴力を持っている彼のことを、慕っていた。
「でも、アリアス神の思し召しって……。めちゃくちゃ笑いそうになりましたよ。マサドさんが他人のために一生懸命動くわけがないのに!」
ゲラゲラと下品に笑う部下。
そんな彼の口元をわしづかみにし、すごんで見せるマサド。
「おーい、マジでペラペラしゃべってるとぶっ殺すぞ。どんなことでも、大義名分は必要なんだよ、バカ」
「ふ、ふみまへん」
ちっと舌打ちをしながら解放してやるマサド。
空を見上げながら、部下に問いかける。
「で、後はどこが残っている? この街は、他にもうねえか?」
「ある程度の規模の奴は、今回ので最後ですね。……あ、あと一つだけ残っています」
「ん? どこだよ」
一般市民に被害を出しながら、徹底的に他宗教を潰していたマサド。
本来であれば官憲が出張ってきても不思議ではないのだが、そこはアリアス教の権威によって完全に守られていた。
公的機関をも迂闊に手出しができないほどの勢力を、アリアス教は誇っていた。
まだ他宗教が残っていたのかと、マサドは驚いたように目を開いた。
「シャノン教、っていうらしいです。信者はめちゃくちゃ少ないみたいですけど、熱心に活動している奴がこの街にいるらしいですね」
「ふーん」
聞いたこともない宗教だ。
ということは、今回潰した宗教のような弱小宗教。
信者数も少ないだろうし、抵抗する武力も持っていないだろう。
アリを踏みつぶすような、簡単な作業である。
マサドはにやりと笑って、部下に言った。
「じゃあ、そのシャノン教ってやつを潰して、後はゆっくりするか」
「はい、マサドさん!」
これが、とんでもないものに手を出してしまったと気付くまで、あと少し。




