第52話 こわっ……
淫魔というのは、意外と軽んじられている魔族である。
というのも、その名称とか風説が、人間たちにとって脅威をあまり与えていないからだろう。
なにせ、人間の間では、『何か知らないけどエッチなことをしてくるスケベな美男美女』という認識だからだ。
他の具体的な魔物よりも脅威が低く見られていることから、あまり恐れを抱く者はいない。
人間って、本当にエロに弱いわよね……。
無機物の私にはさっぱり分からないわ。
そんな感じであまり脅威とみなされていない淫魔だけれども、裏工作とかにはうってつけの種族だったりする。
今回みたいに、敵の要人を魅了してしまえば、こんなふうに裏切らせることもできるのだから。
もちろん、一定以上の実力者になれば精神攻撃にも対策をとっているからそうそう効かないんだけれど、レイフィアのように四天王にまで上り詰めるほどの実力者ならば、それも可能である。
まあ、さすがにレイフィアレベルの淫魔がゴロゴロいるわけではないんだけれどね。
だとしたら、とっくに人類は負けているだろう。
しかも、基本的に魅了は異性に対して特効があるはずなのに、レイフィアはどう見ても女だし、メリアもそう。
同性の、しかも勇者にまで上り詰める彼女を篭絡して魅了することができるなんて、とんでもない実力者だ。
それこそ、歴史に名を遺すレベルの。
「ふぅん……。さて、どっちだ、魔族よ」
まあ、アルに目をつけられた時点で、その輝かしい未来はなくなったわけだけど。
「そ、そんなに都合よくはいかないです。私を殺しても、魅了自体は永続することになります。愛おしい人が殺されて復讐鬼となった勇者が、一人誕生するだけです」
「どうだろうな? 基本的に、魔法は使用者が死ねば効力を失う。使用者が死んだ後も残るような魔法は、それこそ英雄と称されるレベルの奴が魔法をかけたか、生きている奴がメンテナンスのように魔法をかけ続けるしかないんじゃねえか?」
「…………ッ!!」
余計なことを言いやがって、と言わんばかりに睨みつけるレイフィア。
ギロリと血走った目は、殺意がほとばしっていた。
おかしいわね。最初会った時、もっと物静かな感じの魔族だったのに。
自分の命がかかっていたら、こんなふうになるのね。
「それを言うなら、こいつは魔王軍四天王にまで上り詰めた淫魔よ。かなり強力だと思うわ」
「ふぅん……」
しかし、淫魔で魔王軍四天王にまで這い上がるだなんて、相当よね。
昔、嫌々戦わせられていた時も、淫魔なんていなかったし。
基本的に裏工作に特化しているような種族だからね。
「でも、意外ですわ。あなたがそんなにメリアのことを庇おうとするなんて……」
アンタレスが驚いたようにアランを見る。
そんな彼は、堂々と胸を張って言った。
「勇者はそう簡単に切り捨てていい人材じゃねえんだよ。後釜がポンポン生えてくるような存在じゃねえ。それに、こいつは曲がりなりにも勇者を一番熱心にやっていたんだ。こいつを消したら、その分の仕事が俺に回ってくるだろうが。絶対に嫌だね」
「マスター、やっぱり悪予備軍ですわ」
「だからそれは止めろって!!」
まだ碌に話していないけど、アルの恐ろしさが十分に理解できているようだった。
分かっていても逃げられないのが、アルクオリティ。
「ふぅん、そうだな……」
アルは少し考えるそぶりを見せる。
まあ、アランの言っていたことも分からないでもない。
聖剣に適合する者というだけでも、まず数は少ない。
そして、担い手となることができても、聖剣の力をどこまで引き出すことができるかは、個人差がある。
たとえば、私を無理やり引き抜いて酷使しまくっているアルは、ほとんど使えていない。
だって、私が認めていないもの。
だから、たまに私が認めてあげた時だけ、少しだけ力を使うことができている。
メリアは話を聞く限り多くの人々を助けられるほどの力を振るうことができたらしいから、かなり稀有なタイプなのだろう。
それを殺すとなると、後釜のことを考える必要もある。
……まあ、メリアに使われている聖剣がちゃんとしろよと思うんだけどね、私としては。
あいつらだって、自我はあるんだから。
「まあ、魅了を受けて洗脳されたのは事実だろう。この魔族を殺せばそれが解除されるか、されないか……どちらでもいいことだ」
おっとぉ? なんだか不穏な言葉が最後にきたわよぉ?
「どのような過程があるにせよ、人類を裏切り、そして人々の安寧を害したのは事実。ならば、その罪を償わなければならない。当然、死をもってな」
「マスターのおっしゃる通りですわね。アランの言う人材枯渇についても一理ありますが、とりあえず殺してから考えればいいのですわ」
地獄のアルアンコンビである。
最初からレイフィアもメリアのことも見逃すつもりは毛頭なかった。
とりあえず殺す。殺してから考える。
決して後戻りできないことを、平然と言ってのける二人。
いやぁ、気持ち悪い……。
「おい、マジふざけんなよ。なんだよこいつら。なんでこんな化け物が生まれたんだよ」
「私に聞かないでくれるかしら?」
アランが冷や汗を流しながら私に詰め寄ってくる。
知らないわよ。私は関係ないし。
アルですら、出会った時からこんな感じだったわよ。
アンタレスなんて、なおさら知らないわ。
「けじめをつけなければならない。さて、動くな。お前より先にこいつを殺されたくなければな」
「くううう……! この外道!」
怒りを爆発させるメリア。
魅了されているとはいえ……いや、だからこそ、そんな大切な人を人質にとるアルが許せないのだろう。
しかし、その罵倒を許容できない者がいた。
「誰にものを言っているんですの、このクソガキ」
「こっわ」
アンタレス、ブチ切れ。
敬愛するマスターの悪口を、彼女はまったく許せなかった。
というか、導火線みじかっ!
アルに対してバカだとかアホだとかガキ以下の悪口を言っても、本気でキレそう。
そもそも、外道という評価はあながち外れているわけでもないし……。
「きゃっ!?」
そんなことを考えていると、ここから近い場所で巨大な爆発音が鳴り響く。
それは、どんどんとこちらに近づいてきて……。
ついには、建物を破壊して飛び込んできた!
小さな建物くらいの背丈のある筋骨隆々の魔物が複数体。
そして、それと戦っていたであろうルルだった。
ブチ切れていたアンタレスは、そちらを見て立腹する。
「もう! 何をしていますの、ルル!」
「いやいや、こいつクソ面倒くさいんだにゃ! というか、守りながら戦うってすっごいストレス! 思うように身体が動かせないのよ!」
ルルは、小さな子供を抱えていた。
アルと違って体格が大きいわけでもないから、担いで戦うのは非常に困難だろう。
避難が間に合わなかった子供でしょうねぇ。
本当、なんだかんだ言って勇者らしいことをしているわね。
「ふむ、仕方ないな。アンよ、あちらの加勢に行ってやれ。身動きの取れない女を殺すのは、私一人でも容易い」
「あれ、こいつ極悪人?」
今更気づいたの、アランは?
「はいですわ!」
「はあ……。俺もここにいたら疲れるから、もう行くわ。そいつのこと、好きにしたらいいわ、もう……」
元気に返事をして魔物をぶっ殺しに行ったアンタレスと、ブツブツ言いながら肩を落として去っていったアラン。
そして、ここにはアルとメリアだけが残った。
レイフィア?
ダメージと精神的ストレスで、とっくに意識を飛ばしている。
「さて、二人きりだな」
「…………ッ!」
「いや、私もいるんだけど。あと、ボロボロになったレイフィアも」
ニヤリと笑って怖いことを言うアル。
メリアも激しく警戒している。
アルから二人きりだね、と言われる恐怖よ。
「くっ……! この外道、レイフィアさんを離しなさい! 私の大切な……愛する人を! 愛を教えてくれ、私を愛してくれた人を、汚い手で持つな!!」
「ふぅん……」
メリアの烈火のごとき怒りを見て、アルは思案するように顎を撫でる。
今代の勇者の殺意をまともに受けて、顔色一つ変えない胆力は凄いと思う。
本当、何なのこいつ……。
「ところで、私はずっと気になっていたのだが……」
アルは問い詰めたり追求したりしようとするのではなく、単純に疑問を解決するためだと言わんばかりの表情で、メリアに尋ねた。
「――――――貴様、別に魅了なんてされていないだろう」
「え……?」
私はポカンと口を開けてしまう。
魅了されていない? どういうこと?
私が呆然とメリアを見ると……。
「…………」
彼女は、先ほどまでの強烈な怒りをあっさりと消し、完全な無表情で、じっとアルを見ていた。
こわっ……。




