第44話 ――――ふぅん
「ひいっ、ひいっ、ぷひぃっ!」
いつも冷静で、涼やかで、美しく魅せているレイフィア。
実を言うと、魔王軍の中はもちろんのこと、人類側にも彼女のファンがいるほどだった。
別にお高く留まっているわけではなく、彼女は自分らしくしているだけである。
そんなレイフィアは、今誰も見たことがないほど必死の形相で、アンタレスの猛攻から逃げていた。
「ふおおおおおおおおおおおっ!?」
剣閃。
見る者が見れば、アンタレスの腕の動きや剣は視認することすらできないだろう。
キラキラとレイピアが光っていることだけ見ることができ、そしてそれが見えるということは、すでに彼女の攻撃は終わっているということである。
剣はぶれて見えない。それほどの圧倒的な速さの連撃。
息をつく間すら与えられない猛攻を、レイフィアは大量の汗を流しながらなんとか潜り抜けていた。
それができている理由は、ひとえに逃げに徹しているからである。
反撃なんて一切考えていない。
今この状況で攻撃なんてしようものなら、あっさりと避けられカウンターを決められることだろう。
そして、それは一撃でレイフィアの首を斬り落としているに違いない。
とにかく逃げる。
逃げ続けることに専念すれば、さすがに魔王軍四天王の一人。
血染めの勇者の猛攻も、致命傷を負わずに済んでいる。
ただ、軽い傷は無数にできてしまっているが。
「(時間! 早く経ってください時間! こんなに一秒が過ぎるのって遅いんでしたっけ!?)」
必死の形相である。
こんなにも全力で身体を動かしたことは、生まれて初めてのレイフィア。
次々に自分の命を容易く奪う攻撃が、すれすれを通り抜けていく。
メンタルがボロボロになりそうだ。
アンタレスが使う武器は、当然聖剣。
聖なる力が宿っているため、魔族であるレイフィアには特効がある。
傷口が普通のそれよりもジクジク痛むし、何より時折発する光が痛い。マジで痛い。
「くぉっ!?」
ブオン! と風を切って振り下ろされる聖剣を、何とか避ける。
しかし、それがまずかった。
待っていましたとばかりに、アンタレスは小さな拳を握りしめていたのである。
「ぶっ!?」
当然とばかりに、その拳はレイフィアの顔面に叩きこまれた。
地面を何度もバウンドして転がる。
「お、乙女の顔を容赦なく殴る奴がどこにいますか!?」
「ここですわ」
細い手首のため、慣れない者が殴るとむしろ自分の手を痛める。
しかし、安心してほしい。
アンタレスは人や魔族を殴り慣れているのだ。
自分に反動が返ってこないように、すべての衝撃を敵に叩きこむ技術は身に着けている。
安心だ。
「それに、乙女という言い方は止めてくださいまし。わたくしが殴ったのは、生ごみより汚い顔ですわ」
「勇者の言葉センスとは思えないです」
もともと仲が良くない人間と魔族だが、ここまで言われると傷つくものがある。
まあ、自分も今回人間に仇為すために暗躍しているので、何も言わないが。
「さて、もう終わりですね。全然戦いもしなかったのは驚きましたが」
「はあ、はあ……。私は、バリバリ戦闘タイプではないので」
何とか立ち上がるレイフィアだが、先程のように元気に逃げ回ることができるかと問われると、厳しいと返す。
そもそも、こんなに激しく身動きをとるように鍛えていたりもしない。
致命傷を負わなかったのは、奇跡としか言いようがない。
同じことは、頼まれてもできないだろう。
「なるほどですわ。まあ、どうでもいいことです。さっさとあなたを殺しましょう」
満面の笑顔で、しかし目はまったく笑っておらず。
ゆっくりと近づいてくるアンタレスは、まさに恐怖の象徴であった。
正直、レイフィアもガチビビりである。
下半身のゆるみなんてものはなかった。認めなければないも同然なのだ。
だが、魔族である彼女にとっては敵地であるこの街。
しかも、アンタレスだけでなく、同じく特記戦力である勇者が全員そろっている時期に、いくら魔王軍四天王とはいえ、たった一人で侵入するはずはないのである。
「――――――それをするには、時間が経ちすぎましたね」
ズドン! という大きな音が鳴り響く。
地鳴りまで起き、思わずアンタレスは視線を上げる。
街の中から、いくつもの黒煙が上がっていた。
「……これは?」
「私が危険を冒してこの街に来た理由ですよ」
この二人の元にも、平和な街であると確信していた人々の悲鳴が聞こえてくる。
アンタレスは笑顔を消し、人形のような無表情でレイフィアを見据えた。
怖い。レイフィア、ビビる。
「行かなくてもいいんですか? このままにしていると、もっと大勢の人が死ぬと思いますが」
「…………」
「私を殺す間に大勢の人を死なせるか、私を見逃して多くの人を助けるか。どちらでもどうぞ」
アンタレスは逡巡するような間を置く。
目の前の四天王を見逃すという手はない。
当然のごとく殺すつもりである。
しかし、レイフィアの言う通り、ここで彼女と戦っている間に多くの人が命を落とすかもしれない。
基本的に四天王を殺す方がのちの人類のためになるとは分かっているが、こうも悲鳴が聞こえてくると、悩んでしまうのは仕方のないことと言えた。
レイフィアとしては、全力で街の人間を守りに行けと言いたいところである。
しかし、残念なことに、神は彼女を見放していた。
「――――――ふぅん」
ズガン! ととんでもなく重たい音が鳴り響く。
それは、瓦礫のついた重たい聖剣が地面に落下した音だ。
砂煙が舞い上がり、そこからのそりと人が現れる。
あまりにも特徴的で、世界に一人しか使っていないであろう瓦礫付きの聖剣を見た時点で、レイフィアは泣いていた。
現れた男は、満面の笑みを浮かべていた。
人殺しの顔である。
「では、お前を殺して、多くの人を助けるという選択肢を選ぼう」
「ぴぃっ!?」
「あ、あなたは……」
がっつり泣いてしまうレイフィア。
そして、アルバラードの顔を見て、驚愕の表情を浮かべるアンタレスであった。
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